不良少年のうた (2/2)
講義終了後、自宅までのんびりとスクーターで帰ってきた夢子は駐輪場で半帽を脱ぎ、ハンドルへ引っ掛けた。

鞄から自宅の鍵を取り出した時、近くで無機質な呼出音が鳴っていることに気付く。どうやら我が家の電話機らしい。今朝、出掛けに留守電を設定し忘れたみたいだ。

わたわたと靴を脱ぎ散らかして部屋に駆け込み、受話器を取り上げた途端。聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

『もしもし夢子ちゃん。マサトだけどぉ』

「……真里くん」

荒い呼吸を落ち着けるように、深く息を吐いた。真里の明るい声が耳朶をくすぐる。

『これからソッチ行っていー?』

「うん、いいよ」

『アリガトー!』

短い通話を終えた後、思い立って冷凍庫を覗く。やっぱり、アイスの買い置きがカラだ。鍵と財布だけ持って近所のスーパーへ出掛けることにした。


半額だからって、ちょっと買い過ぎたかな。でも真里くん喜ぶぞ。一日一個まで、って冷凍庫のドアに貼っておかないと。

歩いて帰る途中、それは突然。風切音と共に、鈍い痛みが背中を走った。膝を落として前のめりに転倒し、提げていた買物袋が地面に放り出される。

……こんなとこで寝てないで、早く帰らなきゃ。もうすぐ真里くんが来ちゃう。私が居なかったら心配かけちゃうのに。なんで、どこも、動かないんだろう。



ぴくり、身体が震えた。はじめに気付いたのは、湿気て埃っぽい空気。それから、スニーカー越しに冷たいコンクリート。煙草のにおい。がらんと広い、倉庫のような場所だと思う。上りはじめた月の明かりが、高い窓から射し込んでいる。

パイプ椅子らしきものに座らされて――いや、ロープで縛り付けられているようだ。手足を動かそうにも、身動きひとつ取れない。

そのままじっと俯いていると、会話が耳に入ってきた。声から察すると若い男が数人、夢子から遠くない距離に居るようだ。

新しい『チーム』を立ち上げたばかりの、彼らの狙いが真里くんだということを知る。会話の端々に出てくる『ばくらてん』ってなんだろう。のっそり顔を上げた夢子が「あのう」と掠れた声を出す。

「お取込みのところ、悪いんだけど」

「――あ?ナンだコラ」

「やんのかコラ」

眉毛なかったり、前歯なかったりするけど、たぶん高校生くらいの男の子たち。パリパリに固めた髪、お揃いの特攻服を着て凄んでくる彼らへ「真里くんなら、来ないと思うよ」と進言した。

「ハァ?おめー、あいつのオンナだろうが」

「え……私が?」

「違うのかよ、誰だおめー!」

「コイツ、どうすんだよ。こんなとこ連れてきちまって」

「どうするったって……人違いってコトか?オレらムダ足じゃん」

狼狽える彼らを、夢子は他人事のように眺めている。


程無くして、倉庫の扉であるシャッターが開けられたことに、その場に居た全員が気付いた。静まり返った空間に、ガシャガシャと耳障りな音だけが響き渡っている。

「き、来たぞ!鮎川だ!」

「中坊一人で何ができるってんだ、やっちまえ」

「オレらには“獏羅天”がついてんだ!」

彼らの咆哮が虚勢かどうか、夢子には判らない。だけど多勢に無勢、華奢な男の子一人じゃ〈勝ち目〉なんて、到底。

「てめェら――誰に手ェ出したかワカってんだろーなァ!」

鼓膜を震わせた大声。真里くんに似ているけど、あのひと、だれ。真里くんは、いつもにこにこ笑ってくれて、


「全員“ひき肉”にしてやんよォ!」


ごく短距離の助走を経て、小柄な身体が跳ねた。自分よりも大きな体躯、それも複数人を相手に引けを取らず、殴打や足蹴の応酬を繰り広げている。

こちらに目もくれず身体ひとつで暴れる彼は――〈笑って〉いた。目は細く吊り上がり、兇悪でヒステリックにさえ見えるその笑み。しかし新しい玩具を与えられた幼児の如く、この状況を心の底から楽しんでいるようにも感じられた。

彼を、見て、いたくない。唇を結んだ夢子は俯き、目を伏せる。次第に、耳に入る声も音も小さくなっていくようだ。荒い呼吸、苦しそうな呻き声。

「今度同じよーなコトしてみろ。ぜってーぶっ殺す」

真里の掠れた声は重苦しく、夢子の両肩に伸し掛かるようだ。ゴジャッ!と聞いたことの無い音が耳を、脳を、心を侵す。拳と顔面が衝突する音だと、夢子は理解したくなかった。


足音が近付いてくる。それは夢子の背後に回り、直後、はらりと上体のロープが解かれた。恐る恐る、目を開ける。コンクリートの床にしゃがみ込んだ真里が、足首を縛るロープを解いてくれていた。窮屈な拘束から解放された夢子が息を吐く。

「ゴメン、夢子ちゃん。オレのせーで怖い思い、させちゃったネ」

足元からこちらを見上げ笑いかけてくれる彼は、いつもの真里くんだった。制服の半袖シャツと拳がべったりと血に塗れている。そこが、違うだけ。

言葉を失くしたように押し黙る夢子を見つめる真里は、自らの手に多量の血液が付いていることに気付いたようだ。

「……オレのこと、怖い?」

不安を滲ませた声色に、夢子は思わず首を振る。痺れた腕を持ち上げ、彼の頬に付着した血液を指先で拭った。乾き始めたそれは、夢子の指も赤く汚す。

「怖くなんかないよ。来てくれてありがとう、真里くん。……でも、よく、ここがわかったね」

夢子ちゃんち行く途中、アイス落ちてんの見っけて。家行ってもいなくてー、もしか、拉致(さら)われたのかもって探しに来た」

「……そっか……」

「スクーター、借りたんだ。公道走っちゃダメって言われてたけど……あと……カギ、壊しちゃってゴメン」

「ま、結果オーライでしょ。ありがとね」

髪をくしゃくしゃ撫で回した。されるがままに大人しくしている真里は、穏やかな笑みを浮かべている。しなやかな猫を撫でているような感覚に、夢子がふと目を細めた。

「うちでシャワー浴びていきなよ」

うん、と頷き立ち上がった真里は夢子を促し、倒れている人たちなどまるで目に入らないようにすたすた歩き出す。


倉庫の外に出るとすぐ、重油のにおいと潮風を感じ、ここが港――本牧埠頭だと夢子は気付く。

目の前に数台のバイクが停まっている。日章旗のペイント、ものすごい形のハンドル。きっと彼らのバイクだろう。それと比べると、夢子のスクーターは小さく見えた。

鍵を壊した、と真里が言ったとおり、夢子の〈愛車〉は鍵穴が変形している。どうすればこんなんなるんだろう、ただただ不思議に思えた。

それに、エンジンがかかったままだった。規則正しい鼓動のように小刻みに震えて、真里と夢子を待っていてくれたような気がする。さも当然のようにハンドルを握り、シートにまたがる真里へ「こら」と慌てて声を掛けた。

「半帽かぶって後ろ乗んなさい。無免でしょ、中学生」

「ちぇー。したら夢子ちゃんがノーヘルじゃん」

「ううん……今日だけね。見つからないようにこっそり帰ろ」

ハンドルに下げられたままの半帽を真里へ手渡した。前のめり気味にシートへ腰を落とすと、背中から真里がぎゅっと抱きついてくる。

「オレも愛機が欲しいなぁ」

呟かれた言葉は確かに夢子の身体を伝い、何処かで燻る火種へと変わる気がした。



幸い、二人乗りもノーヘルも見つかることもなくアパートへ戻ってくることができた。ひとまず安堵して溜息を零す。

駐輪場に停めようとした夢子が背後を振り返る。スクーターの鍵は家の中。鍵穴は壊れている。

「これ、どうやってエンジン……」

ひょいと地面に降りた真里が鍵穴へドライバーを挿し込み、エンジンは数秒もしないうちに停止した。しんと空気が静まる。

「真里くん、」

「キンキュージタイんトキだけ。人のもん、ギったりしないよ」

「……うん」

しゃがみ込んだ真里は「ムリさせてゴメン」とライトの辺りを撫でている。

「直してもらおーね。オレがつれてったげる」

「先にシャワー浴びなよ」

玄関の鍵を開けながら真里へ声を掛ける。尻ポケットに入れていた財布や家の鍵は無事で良かった。


浴室の照明を点け、給湯スイッチを入れた。浴槽へ向けてシャワーを強く出し、流しっぱなしにしておく。お湯が出るまで少し時間がかかるから、先に洗濯機を回しておこう。

「シャツ、洗うから脱いで」

夢子の言葉に従い、真里はシャツを手渡した。ちゃんと、汚れは落ちるだろうか。半開きにしていた浴室のドアから湯気が出ていることを目視した夢子は、洗濯機を操作しながら「シャワー、いいよ」と声を掛けた。

夢子ちゃんもホコリっぽいっしょ。いっしょにはいろー」

「な、何言ってんの、おませさん!」

「ガキあつかいすんなよォ」

ぶうぶうと文句を言う真里を引きずり、洗面所へ押し込んだ。「タオルとシャツ、カゴに入れとくから使って」とドア越しに声を掛ける。

「やっぱ、いっしょにはいろーよー」

「ハイハイ、ごゆっくり」

夢子ちゃあん!」

駄々をこねるように名前を呼んでくれることが、少し嬉しかった。


真里と入れ替わり、夢子もシャワーを浴びることにした。たしかに、全身が埃っぽい感じ。転倒した際地面についた膝は、ごく軽い擦り傷になっているようだ。さすがに顔から行かなくてよかった。

適当に髪を乾かして居室を覗く。真里くんはテレビでも見ているかと思ったけど、やけに静か。シングルベッドに横たわって……寝ている、のかな。

近付いて顔を覗き込んでみる。口が少し開いて、ヨダレが垂れそう。まるで子供みたいな寝顔。

このちいさなからだに、なにもかもつめこんで。起こさないように手を伸ばし、さらさらと髪を撫でる。

悩みなんかないような顔で、いつも明るく接してくれる。無邪気な笑顔を向けてくれる。さっきの〈こと〉が、全部、うそみたいな。


ぱちりと一度瞬いた真里が勢いよく身体を起こし、手の甲で口元を拭った。

「ごめん、オレ寝ちゃってた」

互いに顔を見合わせ、苦笑と照れ笑いが混ざったような吐息が零れる。真里が、不意に真剣な眼差しをこちらへ向けた。

夢子ちゃん。アイツらに殴られたりしなかった?」

「あー……えっと。最初、背中……殴られたか蹴られた、のかな。それで転んで。手とかヒザはついたけどなんともなかったし、」

「背中、見して」

「――え、いや、もう痛くないし、たぶん血も出てないからだいじょうぶだよ」

「いーから」

断りきれずベッドに背を向けてシャツの裾をたくし上げると、真里が息を飲んだように感じられた。

「……赤くなってる。痛くない?」

「ん、平気。冷やしとけば治ると思うから、気にしないで」

「ゴメン」

「……なんで、真里くんが謝るの」

「オレのせーだ」

温かい指先が背中に触れる。くすぐったいような、心地良いような。暫しの沈黙の後、真里が「オレ」と切り出す。

「これからも、夢子ちゃんといっしょにいていー?」

「真里くん……」

「オレんこと、キライになんないで」

遠慮がちに肩へ預けられた真里の頭を撫でた。ふわり、髪がシャツ越しに肌を滑る。夢子と同じように香る髪。

「……だいじょ、ぶ。嫌いになんか、ならないよ」

年上なのに気の利いたことが言えず、もどかしさと苛立ちを覚える。それでも耳元で「うん」と小さい声が返ってきた。

洗濯機から聞こえる音が変わり、乾燥運転に入ったことに気付く。夢子が思い出したように「スクーター」と声を上げた。

「明日、ガッコ行くのに乗りたいんだけど……しばらく預けることになるかな」

「ううん、すぐ終わると思うよ。行こっか」

そっと彼の身体が離れていくことを心なしか残念に思う自分が居て。それを振り払うように立ち上がった夢子は、慌ててシャツの裾を下ろす。スクーターの鍵を手にした夢子へ「オレが押してくね」と使命を背負ったような顔で真里が宣言した。



『(有)真嶋商会』の看板が見えたところで、真里が「そこだよ」と嬉しそうに笑った。直後、駆け足になり、あっという間に夢子を置いていってしまう。

「夏生さあん!こいつ直してぇ!」

ガレージらしき場所へ飛び込んだ真里が大声を上げ、それから少し遅れて夢子も「失礼します」と中へ足を踏み入れた。

「……今度は一体ナニやらかしたんだ、女連れて」

「ワケはあとで話すからぁ、お願いー」

「大方おまえが原因なんだろ。……迷惑かけて悪かったな」

「いえ、そんな」

作業着姿の男性が立ち上がり、苦虫を噛み潰したような顔で真里と夢子を交互に見遣った。真里が「紹介するね」と二人の間で笑う。

「夏生さん。前話したよね、アっちゃんのアニキ」

「真嶋夏生だ」

「は、はじめまして」

自己紹介というにはあまりに短い、彼の名乗りに頭を下げる。

夢子ちゃん。トモダチ♪」

田中夢子です。お世話になります」

改めて深く礼をすると、夏生は若干の途惑いを含ませた声で「あぁ」と答えた。


真里は押してきたスクーターを見せ「どんくらいかかりそー?」と夏生を見上げる。

「すぐ終わらせる」

「オレ、コーヒー買ってくんね」

自販機へ走っていく真里を見送った夏生はひとつ息を吐き、工具を取り出しながら「何があったか話してくれるか」と夢子へ投げ掛けた。

真里くんと会ったことから、かいつまんでぽつぽつと話し始めた。夢子からは夏生の横顔が伺える。作業の手は止めずに時折頷いてくれるから、なんとなく話しやすさを感じた。

「……それで、真里くんにつれてきてもらいました」

「あんたを監禁したの、どんなヤツらだったか覚えてるか」

「ええと……高校生くらいの男の子数人で……おそろいの特攻服着てて……同じようなバイク乗ってて……“ばくらてん”がついてる、とか話してて……」

作業の手がぴたりと止まり、突然鋭くなった夏生の視線に身体が震えた。たぶん、年齢はそんなにかわらないはずなのに。

「あの。それって、どういう――」

「……いや。あんたをモメ事に巻き込みたくない。きっと、アイツもそう思う」

真里くんのことだと解る。彼のことを心配しているような優しさ。このひとは――夏生さんは一体何を、抱えているのだろう。歩み寄ることさえ許されない彼との距離感はとても遠く感じた。

「見たとこフツーのお嬢さんだ。知らなくていい事だってある」

黙り込んだ夢子を宥めるように彼は呟いた。だが、これ以上詮索してほしくない、背中はそう言っているようだ。


「お待たせぇ。夢子ちゃん、オレのといっしょでいー?カルピスウォーター」


足音と共に真里の明るい声が飛び込んでくる。目の前に差し出された缶飲料を受け取った。

「――ありがとう、真里くん」

「マー坊、ずいぶんそのコに懐いてんな」

「だって夢子ちゃん、すっげー優しーんだよ。コーヒー、置いとくネ」

「ああ。もう終わるぞ」

「はっえー!さっすが夏生さん、メチャ一流のプロメカニック!」

「ったく……おだてたってナンも出ねーよ」

「あの、お代は……」

おずおずと夏生へ話し掛けると、振り向いた真里がニカッと笑った。

「いーよ、オレにツケとくから」

「オメーが言うな。……いや、気にしないでくれ。コイツに出世払いさせる」

ぐりぐりと真里の頭を撫で、夏生が苦笑を浮かべた。真里くんにとって、彼はお兄さんみたいな存在なんだろうと夢子は思う。


「ありがとうございます。お世話になりました」

「おう、気ぃつけてな」

「バイバイ、夢子ちゃん」

夏生の隣で手を振る真里の瞳は、こちらの心の奥底を見透かすように深く澄んでいる。

夢子も手を振り返して〈愛機〉へ腰を落とし、エンジンをかけた。それと同時に「夢子ちゃん」と真里の声が飛んでくる。振り返ると、傍へ駆け寄ってきた真里は着ているTシャツを指し「洗って返すね」と笑んだ。

「真里くんのシャツ、もう乾いてると思うけど……取ってこようか」

「ううん。また今度、夢子ちゃんち行っていー?」

「いつでもおいでよ。アイス、買い置きしとくから」

嬉しそうに頷いた真里が、内緒話をするように夢子の右耳へ顔を寄せる。

「今度こそ、いっしょにお風呂はいろーねっ」

「か、からかうんじゃないの!おませさん!」

「カオ真っ赤ぁ。夢子ちゃんかわいー」

けらけら笑う真里を見て、この子には何を言っても無駄なのだと夢子は溜息を吐きながら悟った。

「……それじゃ、またね、真里くん」

「まったねー」

ん、と咳払いをした夢子が夏生へ頭を下げ、真嶋商会を後にする。


夢子を見送った夏生が「いつから聞いてた」と真里に問う。

「んー?ナニがぁ?」

「自販機行っただけにしては、戻ってくるの遅かったろ」

夢子ちゃん、どれがいーかなって迷ってたんだよー」

「今、あのコに何て言ったんだ」

「なーいーしょッ」

はぐらかすような口振り、無邪気としか言い様が無い笑顔を向けられ、夏生が溜息を吐く。直後、耳へ届いた音。誠のCB350F改、バケヨンだ。真里の顔がパッと明るくなり、仔犬のように全力で誠のもとへ駆けて行く。

「どーした、カワイイTシャツ着てんな、マー坊」

「もっ聞ーてよ誠さあん!今日ね、夢子ちゃんとね――」

会いたい人が居て、話したい事があって。毎日楽しくて、嬉しくて。オレは――いや、きっとオレだけじゃない。みんな、こんな日がずっと続くと思っていたんだ。

油くさい海の色、濁った空の色、目を眩ませる太陽の色。全部を塗り潰した色は鮮血の深紅。誰も想像なんかしない、未来がオレらを待っていた。





[不良少年のうた] END.

不良少年のうた (1/2) *

2014/01/16 up.

続編.チョコミントフレーバータイム #★裏.オリキャラ有(夢主元彼).p2


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