不良少年のうた (1/2)
湿度の高い初夏の夜。今にも雨が降りだしそうな灰色に濁った空を振り仰ぎ、夢子は傘を片手に家路を急ぐ。
路地を曲がる時、ちりん、と甲高く自転車のベルが鳴った。足を止め辺りを見回す。丁字路の突き当たり、街灯の下。白い自転車の傍らに、制服姿のおまわりさん。
向かい合っているのは小学生……いや、こっちも制服っぽいから、たぶん中学生の男の子が捕まっているみたいだ。職質というより補導だろうか。
おまわりさんには、いい思い出が無い。昔、ちょこっと夜遊びしただけで、鬼の首でも取ったように追い掛け回されたことを思い出す。
あの子も、そんなかんじなのかな。だとしたら、ちょっと、かわいそうかも。そりゃ、夜遅くに子供が出歩くのはいけないことかもしれないけど。
完璧、余計なお世話だけど……ベロベロに酔ったフリして、絡んでみたらどうなるだろう。思い立ったら即行動、夢子は身体から力を抜き「お疲れさまれすー」と呑気な声を上げた。途端、二人の視線がこちらへ向く。
左手に傘をぶら下げ、平衡感覚を失くしたような足取りで近付き「迎えに来てくれたんだ、ありがと」と男の子へ目配せをする。
「おまわりさあん、この子私のおとーとなんれすよう。ぜんぜん似てないれすよねえ、遺伝子仕事しろってかんじ?」
ヘラヘラ笑いながら、右手でしまらない敬礼を披露してみせる。若い警官は顔を顰め、夢子を一瞥した。
「酔っ払ってるのか。未成年じゃないだろうな」
「やだもー、そんな若く見えますぅ?ぜんぜん酔ってないれすよォ、まだまだイケますってー」
すっと真顔を装った夢子は口元に手を当て、今にも嘔吐しそうなフリをしてみせる。
「家まで我慢できるか?キミ、もういいからお姉さん連れて早く帰りなさい」
「だからあ、私酔ってませんってばあ。そーだ、これから一緒に飲みましょーよ。近くのいい店知ってんすよォ」
「はいはい。気をつけて帰るんだよ」
うんざりした顔つきの〈おまわりさん〉と自転車が見えなくなったところでひとつ息を吐き「だいじょぶ?」と男の子へ声を掛ける。
彼はきょとんと夢子を見つめ「オレのこと、助けてくれたの?」と尋ねた。
「なんか悪いことでもしたの?」
問いを返すと首を振って否定する。素直な子は好きだな。へらっと口元が緩む。
「そう思ったからさぁ。もーしわけないけど、昔っからおまわりさん苦手なのよ」
「オレも」
顔を見合わせて苦笑すると、共犯者のような奇妙な連帯感が二人の間を浮遊した。
「オレ、マサトってゆーの。鮎川真里。おねーさんは?」
「田中夢子。おねえさんなんて、照れるなー」
「じゃあ夢子ちゃん、ね。アリガト、夢子ちゃん。助かった」
人懐こい笑顔につられ、こちらも笑顔になる。ほのぼの笑っていたところ、現在時刻を思い出した。
「そろそろ帰らないとおうちの人が心配するよ、真里くん」
「ウチ帰っても、誰もいねーから」
鍵っこなのか。実家に住んでいた頃は自分もそうだったな。誰も居ない家に帰るのは寂しかった。ただいま、に誰も答えてくれないんだもの。
この春から一人暮らしを始めたばかりで、ただいまを言う相手は当然居ない。それでも〈自分だけの居場所〉が在ることは安心感をもたらすようだ。
「うち、ここから近いんだけど来る?」
「……いーの?」
「なにもないけど、暇つぶしにはなるんじゃないかな」
「夢子ちゃんて優しーね。オレが悪いヤツだったらどーすんの」
「うーん……それは困るけど……。悪いひとには見えないんだよね」
ついておいで、と踵を返す。後ろから足音が追い掛けてきて、隣に並んだ。
「はい到着」
アパートの駐輪場に停めてある50ccスクーターから買取業者のチラシを剥がすと、真里が目を円くして「これ、夢子ちゃんの?」と訊ねた。
「うん。ガッコ行く時に乗ってるの」
「オレ、乗ってもいー?」
「いや、真里くん中学生なんだから免許持ってないでしょ。危ないよ」
「シユーチならいらないんでしょ、免許」
「……なんでそーいうことは知ってるのかなあ……」
「おねがい!」
キラキラ輝く真里の眼差しが、ざくざく夢子に突き刺さっている。
「…………ちょっとだけだからね。誰にも言っちゃダメだよ」
根負けしたように囁くと、ぴょんぴょんとそこらを飛び跳ねながら「早く行こ!」と催促する。部屋に荷物を置きスクーターの鍵を手に駐輪場へ戻ると、真里は今か今かと待ち構えていた。
「カギ、オレが持ってていー?」
「いいけど、どこに行くの?」
心当たりがあると言う彼へ鍵を渡す。スクーターを押す小さな背中についてしばらく歩いた。やがて真里が「ココ!」と指差したのは、駐車場のような場所。工場名が書かれた看板が立っており、奥に数台、停めてある車が見えた。
「工場の所有地なの?……たしか、人とか車の出入りがあるとこは、私有地でもダメなんだよ」
あ、ダメだ。真里くん、全然聞いてない。さっさと駐車場へ入り込むと、手慣れた様子でエンジンをかけて――
あれ、と夢子が首を捻る。今、目の前で真里くんが乗っているのは、ごくごく普通のスクーターのはずなんだけど……こんなに速度出せるもんなの?
それに、この音。自分のスクーターから出ているとは思えない――これまでに聞いたことのない音だった。
「真里くん。初めて乗ったんじゃないよね?」
ひとしきり走り回り、満足気に戻ってきた真里へ問う。えへへ、と悪戯っ子のような笑みが返ってきた。
二人乗りで自宅アパートへ戻り(本当は二人乗りしちゃいけないのでコッソリと)、それから真里くんはいろいろなことを話してくれた。学校のこと。友達のこと。バイクと甘いものが好きなこと。
真里くんは週に一、二度遊びに来るようになった。だいたい夕方から夜にかけて。来る前に電話をくれるところが律儀だなと思う。
一緒にご飯食べたり、テレビ見たり、ゲームしたり。弟ができたみたいで嬉しかった。そして、気付けば夏休みまでもう少し。
→不良少年のうた (2/2) #
倉庫|夢|0:top