キミのヒカリ (2/3)
今夜はまだ眠くないな。もう少し起きていようか。床に積んでいた本を消化するべく手を伸ばした時、テーブルで携帯が震えだした。
『夢子、遅くに悪いな。今、平気か』
「あ、豪くん。明日は講義午後からなんだ。まだ眠くないから大丈夫」
出てみると、数少ない〈男友達〉からだ。電話の向こうは少しざわついている。どこに居るのか問うと、歯切れ悪く『湯河原のあたり』とだけ返ってきた。
何をしているのかしつこく聞き出そうとするが、彼は答えてくれない。やがて根負けしたように『今度連れてきてやる』と口走った。
「ほんと!じゃあ豪くんのひらべったい車、乗せてくれる?」
『ああ、乗せてやるけど……いい加減、覚えてくれてもいいだろ。NSXのどこが難しいんだよ』
「いやいや、じゅうぶん難しいよ……」
『二外の独語の方が難しいだろ』
「独語は楽しいよ。強くてかっこいいし」
『……強い、ってのはまあ分かるが、格好いいか?』
「かっこいいよ。で、仏語はなんかフワフワして優しい」
弾んでいた会話がぷつりと途切れた。
♪ピンポ〜ン
唐突にインターホンの呼出音が鳴り、夢子は思わず壁の時計へ目を遣る。午前1時を数分過ぎたところ。
こんな時間に配送業者が来るはずないし、友人なら訪問前に必ず一言くれる。――――〈贈り主〉かもしれない、と不意に思い当たった。
『誰か来たみたいだな。そろそろ切るよ。ごめんな、遅くまで』
待って、お願い、ひとりにしないで。
♪ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポ〜〜〜〜〜〜ン
携帯を握り締める掌に冷たい汗が滲む。渇いた口中、無理矢理唾液を飲み込んだ。
「……その……いたずら、だと思う……」
『こんな時間に?……まだ鳴ってるよな』
なんでもない、ちがう、助けて、いや、こわい、こわい、言いたいことがぐるぐる回る。喉の奥が詰まったように、言葉が何も出てこない。
『おい夢子。おまえ、オレに何か隠してないか?』
「……なにか、って、なに?」
『オレじゃ頼りにならないって言うんなら、みんなで相談に――』
「やだなーもう、豪くん心配しすぎ。ぜんぜん、大丈夫だよ」
『バカ、意地張ってんじゃねえよ!今行くから、絶対部屋から出るなよ。わかったな!』
「…………わかった」
夢子の声は明るく聞こえたけれど、確かに震えていた。豪は携帯をポケットに突っ込み愛車へ駆け寄る。〈ここ〉から飛ばして、何分かかるだろう。
大学から夢子の自宅へ送ったことがあった。あれは大雨の日だったな。夕方、学内掲示板前で偶然会って、これから帰るところだと夢子が言って。
小さな折り畳み傘しか持っていないようだから、「そんな傘じゃすぐずぶ濡れになるぞ」と脅したんだ。
素直に「送らせてほしい」と言えば良かった。夢子ともう少し、一緒に居たかっただけだった。
三階建てのアパートで、一階は幼児から小学生向けの英会話教室。大家は隣市に住んでいて、あまり会うことがない。
空室だらけの格安物件、現在の入居者は夢子だけだと。夢子が話してくれたことは覚えている。いや――ただ忘れられないだけだ。
運転席に腰を落とし、エンジンを叩き起こす。振動を感じながら小さく舌を打った。こういう時こそ、冷静で居なければならない。
ストーカーだと確信した。表沙汰になる事件は、ほんの一握り。警察は〈なにか〉起きてからでなければ動いてくれない。
住居侵入、暴行、傷害、拉致、強姦、殺人。未遂を含め、なにかが起きてからではどう考えたって遅すぎる。
最寄駅から徒歩で約5分、寝静まる住宅街。マンションと新築住宅に挟まれた、古めかしいアパートに夢子は住んでいる。
建物の前にNSXを停めた豪は、二階――パステルカラーのカーテンが閉ざされた部屋へ視線を遣った。灯りは点いているが、室内の気配は読み取れない。
階段横の簡素な集合ポストは、扉に鍵のかからないタイプ。名入れには、明らかに女性が書いたと思われる苗字。
カーテンの色と合わせて〈女性〉が住んでいることが簡単に予想出来た。ポストから郵便物を抜き取られることも考えられる。
手紙は勿論、携帯電話やクレジットカードの明細、店舗からのダイレクトメールだって個人情報の塊だ。
周囲に視線を巡らせながら階段を早足で上がり、『201』のプレートが掲示されているドアの前で立ち止まった。
目に留まったものは、銀色の細いドアノブに掛けられた小さな紙袋。白色無地で何の変哲もないはずのそれが、妙に引っ掛かる。
以前、夢子から聞かれたことが思い浮かんだ。
『紙袋に入ったアクセサリーがドアに掛かってたんだけど……豪くん、なにか心当たりない?』
あの時、もっと詳しく話を聞いていたら――こんな事には。後悔を捻じ伏せるように唇を結ぶ。
紙袋を持ち、インターホンを鳴らそうとした指先が一瞬途惑う。携帯を取り出して到着を知らせる短いメールを送り、数十秒程度おいてドアを二度ノックした。
「夢子、オレだ。豪。居るんだろ?開けてくれ」
室内まで声は届いただろうか。息を殺し、気配を探りながら待っていると、チェーンと玄関ドアを開錠する音が聞こえた。
細く開けられたドアから身体を滑り込ませ、鍵とチェーンを手早く閉める。古いタイプの鍵、細く頼りないチェーン。これでは〈万一の場合〉外部から簡単にこじ開けられてしまうだろう。
携帯を握り締める夢子はなんとか笑顔で居ようと試み、ぎこちない様子で立ちすくんでいる。
「悪い、遅くなった。……大丈夫か?」
「ん、だいじょぶ。でも、ほんとに来てくれると思わなかった」
「オレが行くって言ったんだ。来るに決まってるだろ」
頷く夢子は、豪が手に提げている紙袋を見遣り表情を強張らせた。視線に気づいた豪が「表に掛かってた」と顔の高さへ掲げてみせる。
居室へ引っ込んだ夢子が段ボール箱を抱えて玄関へ戻ってきた。大きさの割には軽そうだ。中には、先程のものと同じような小ぶりの白い紙袋が数点。
それより多く目につく、ブランドロゴの入ったショップバッグの類。ブランド名や袋の大きさから、中身はアクセサリーと推測出来た。
どうしたのかと問うように、夢子と目を合わせる。
「……ドアノブに……」
「これ、全部か」
「……うん……。怖くて、捨てられなくて……ごみとか、出すとこ、見られてたらどうしようって……」
不安げな彼女を目の前にして『実害が出ていなくて良かった』などと言えるだろうか。
「これからうちに来ないか?それとも、どこかホテルでも取るか……。このまま一人でここに居るよりは、安心だと思うぜ」
「……でも……それじゃ、豪くんに迷惑かけちゃう」
「オレはおまえの力になりたいんだ。どんな小さいことでも。だから、迷惑だなんて思わないでくれ」
「…………ありがとう」
強張っていた夢子の表情が幾分和らいだと感じられた。余計なことを考えさせたくなかった豪は「よし」と明るく頷く。
「それじゃ荷物まとめて行こうぜ」
「まとめる、って……?」
「とりあえず一週間、ここに戻ってこなくて済む程度の荷物だ。着替えと化粧品くらいだと思うが……テキスト類はラボに置いてあるんだろ」
「…………ええと、少し待ってもらってもいい?」
「ああ。準備できるまで待つよ」
「あ……ごめん、玄関で。上がる?」
「いや、ここでいい。その……着替えるだろ」
高校時代のものと思しきジャージの上下を豪が指差す。
「ごめん、これパジャマ!」
はずかしー!と言い残し、転がるように走り出した夢子は居室のドアを勢い良く閉め、バタバタと支度を始めたようだ。つい、豪の口元が緩む。
気持ちを落ち着けるように、ひとつ息を吐いた。こっちにも準備がある。何が、誰が必要か。携帯を取り出し、ホテルを一室確保した。
本来であれば〈家〉の力は使いたくない。だが、自分一人で出来ることには限界があることを豪は知っている。
「豪くん」
「準備できたか」
顔を上げると、旅行にでも出掛けるような大荷物を抱えた夢子がしょんぼりと佇んでいる。
「……なんか、思ったよりたくさんになっちゃって……」
「おまえの荷物が多いことは知ってる」
苦笑を浮かべ、パンパンに膨れたボストンバッグを受け取った。
「しばらく不便を強いるけど、必ず解決する。……だから、オレのことを信じてくれ」
「来てくれたもん、信じてるよ」
ドアスコープで玄関前を覗くが、周囲は無人のようだ。
「これ、道具使えば外から中が見えるって知ってるか。取り外して鍵開けたりも出来るんだぞ」
絶句した夢子を見遣り、余計な心配を掛けてしまったことを反省しながらドアを開ける。人の気配は感じられないが油断は出来ない。
鍵をかける夢子を視界に入れたまま、周囲を探るように見渡す。夢子が振り向き、銀色の鍵を豪へ差し出した。
「……いいのか?」
「信じてるって、言ったでしょ?預けておくから、この部屋好きに使って」
「わかった。ありがとう」
一週間。それまでに必ずケリをつける。豪は受け取った鍵をしっかり握り締めた。
→キミのヒカリ (3/3) #
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