望んじゃいけない
「あンのハゲ!マジ、ムカつくッ!」

「…………言葉遣い、ひどいよ」

「だってさぁ夢子!ホント、ありえねぇっつーの!」

夢子の後輩である〈彼女〉はプンプンと憤慨しながら煙草を吹かしている。

とあるビルの非常階段。眼下に広がるネオンの海。時折吹く風は温い。夢子はフェンスに背中を預け、営業用の携帯で黙々とメールを返信している。

「こっちが盛り上げる立場でしょ。お客様に楽しんで戴けるように攻めていかなきゃ」

「そりゃまー、わかってるけどォ。キミはチェンジで、ってアンタ何様!」

階段に腰掛ける彼女は、大輪の花が散りばめられたドレスを着ていることすら忘れたようにだらしなく脚を放り出している。思い付く限りの悪態を喚き散らし、どうやら気が済んだらしい。スッキリした顔で紫煙を吐き出した。

「で、夢子はさっきのリーマンどーすんの?アタシ結構タイプだけど。いいカラダしてそーじゃん」

「んー?」

「見たトコ、夢子に脈ありそーだけど」

「うーん……」

「も〜!答えろよ!」

「わかんない。連絡先聞いてないから、向こうから連絡なかったらそれまで」

「へー、めずらしー。ねえ、今日終わったら行こーよホスト買い♪」

「行かない」

「どして?夢子の担当クン、もーすぐ誕生日じゃなかったっけ」

「もういいや。飽きちゃった」

「ウッソ!何でよォ。……あ。まさか、あのリーマンにマジなワケ?」

「うーん。でも古株の彼女モチだよ」

「うわ、ないわ。そんなの進んで不幸になるよーなモンじゃん」

「そうかもね」

夢子はくすくすと笑いながら親指を動かす。五月蝿くならない程度に入れる絵文字。『金を落としに来い』という下心を周到に隠す可愛い文面。

計算された文章が形を成していく。客を繋ぎ止めるエサを撒くための営業メール。行間から〈あなただけ〉感が見え隠れするように。面倒だけどそれなりに効果はある。

別れた男から教えて貰ったことで、役に立っているのがキャバ嬢の営業方法だけだなんて。そんなの今更どうにもならない。

消せない過去は忘れてしまえばいいだけのこと。時間が経てば、どんなに強い想いも出来事も風化していく。それが年月を経るということ。誰にも逆らえない自然の摂理。

今はただ、その時期が来るのをじっと待つだけ。


夢子さん、アリスさん、ご指名です!」

ボーイが呼びに来るのと同時に立ち上がったアリスは携帯灰皿へ煙草を揉み消した。手早くマウススプレーを数回、口腔へ振り撒く。甘い甘い、ピーチの香りが漂う。夢子もひと吹き、分けて貰うと舌が軽く痺れた。

「――今行きます。ほら、行こ」

「はいはい、今行きますよー」

夜の蝶はドレスの裾を軽やかに翻して営業スマイルを装着し、暗い店内へと戻っていった。



トオルからメールが来たのは来店の翌日。受信時間は午後10時。

『末次です。昨日はありがとうございました。このメール届いてますか?』

こちらが拍子抜けするほどに簡潔な文面だった。



店から解放される頃には、既に午前2時を回っている。

閉店間際に指名してきた客のアフター要請は「今、妹がウチに来てるんです」と笑顔で断った。勿論、嘘。突っ込んではこないが向こうも当然、判っている。

『嘘吐きは泥棒の始まり』?嘘の無いキャバクラなんて、つまらないに決まってる。嬢の嘘を楽しめないような人間に、キャバクラは向いていない。

それにしてもあいつ、細客の癖にアフターとは生意気な。何度も足を運んでいる常連というわけでもないし。もっと通って本指名を入れて、金を落としたなら考えてやらないこともない。

帰宅途中のタクシー内で夢子は何度もメールを読み返し、ほんの少しだけ笑んだ。

(キャバ嬢失格だな……)

流れる景色を眺めながらぼんやりと思う。客に本気で惚れてはいけないと思っていたし、それがルールだと言い聞かせてきた筈だ。だがそれは脆くも崩れ去った。

末次トオルという〈彼〉の来店で。

つまらなそうにグラスを呷る彼に、夢子は一瞬で堕ちたのだ。

理由――恋に堕ちるのに理由は必要だろうか。あったとしても、それは自分を納得させるための〈言い訳〉にしかならない。



夢子がこれまで稼いだ金の殆どはホストへ流れていった。同年代の女性に比べたら、金銭感覚はとっくに麻痺しているだろう。

いつか止めようと思いながらも、気付くとホストに使った金額は相当なものになっている。

その金額と引き換えに夢子の手元に残ったものは、嫉妬と優しい嘘だけ。キャバ嬢もホストも、客相手に嘘を売っているのに変わりはない。ホスト遊びから足を洗ういい機会かも知れない、と夢子は思った。

ハマり過ぎて首が回らなくなり、風呂(ソープ)に沈められた同業〈嬢〉の話も聞く。冗談だと思っていたが本当にあるらしい。それも、この世界では別段珍しいことではないと。

このまま続けていけば、自分だけはそうならないという保証は何処にもない。


同僚と違って、ブランドものにはさほど興味がない。現在、毎月の大きな出費はホスト遊びの他、美容院やエステなど自分のための必要経費。

これだけは減らせないが、ホストと縁を切るだけでかなりの額が浮くことになる。それを、彼を繋ぎ止めておくために使おう。

しかし彼は普通の会社員。盛装が必要なホストならまだしも、サラリーマンに〈貢ぐ〉というのはしっくり来ない。

彼に何か――金のかかる趣味でもあれば、理由が出来るけど。深夜の街を横目で見ながら夢子は小さく溜息を吐いた。




メールのやり取りは互いに手探り状態のままで暫く続いた。最近はやっと敬語もなくなり、返信を待ち遠しく感じるようになる。

使っている携帯は同じ会社、同じ機種の色違い。そんな小さな偶然でさえ、とても嬉しかった。




水曜の昼頃、夢子はゆるりと瞼を開ける。遮光性の高いカーテンを使っているが、室内は既に明るい。

休日は日曜と水曜。完全週休二日制のこのペース、一度身に付くと案外ラク。昼夜が完全に逆転していても、規則正しく生きることは出来るのだ。

昨夜はアフターで散々飲まされたせいで、体内にアルコールが残っているような気がする。

酒は、どちらかといえば苦手。これも仕事のうち、そう思えば大概のことは我慢できる。二日酔いという程ではない、微かな不快感に頭を振る。しかしそれは携帯を開いてすぐに消えた。



『愛車のロードスター。ナビの乗り心地は悪いらしい。』



写真が添付された、彼――トオルからのメール。写っているのはこぢんまりとした赤い車。

車に疎い夢子は〈ロードスター〉がどんなものかさっぱり解らなかったが、好きな男が好きなものなら――好きに決まっている。



『トオルさんおはよ

可愛い車だね

乗ってみたいな



社交辞令と取られかねないが、思ったことを素直に親指で綴った。送信完了画面を確かめてからベッドを抜け出す。

すぐに、サイレントモードにしたままの携帯がベッドの上で震える。着信だ。発信者を確かめることなく「ハイ、もしもし」と通話を始める。

夢子ちゃん?オレだけど』

「え、トオルさんっ?おは……じゃなくて、コンニチハ」

『おはよ。さっき起きたとこだろ』

「……うん。トオルさんは仕事中じゃないの?」

『今、昼休み。夢子ちゃんは今日休みなんだよな』

「そう、水曜日はお休み。電話くれるなんて珍しいね」

夢子ちゃんの声、聞きたくなったから』

「え……」

『――ごめん。迷惑だったかな』

「うぅん、すごく嬉しい……」

耳元に感じる照れ笑いはとてもくすぐったくて、それでいて温かいものだった。彼は下手なホストよりも女心のツボを心得ている――悔しいくらいに。

『良かったら今夜、ドライブでもどうかなと思ってさ』

「えと、ロードスターで?」

『ああ。仕事終わってからだから、ちょっと遅くなるかもしれないんだけど――』

「行きたい!」

思わず夢子の声が弾んだ。心臓が蹴り上げられたように速く鳴っている。

『じゃあ詳しいことはメールでいいかな。そろそろ戻るから』

「はぁい。午後のお仕事も頑張ってね」

『ありがと。それじゃまた後で』

夢子は暫くの間通話履歴を眺めていたが、慌ててリダイヤルを探る。呼び出し音はひどく無機質で長く感じられた。



『…………ご指名ありがとうございます……アリスです……』

夢子だけど……寝てた?」

『ひさしぶりに爆睡。あ、でももー起きる時間だからだいじょぶ。逆にありがとー。どした〜』

「あのね、車のことでちょっと聞きたいんだけど」

『珍しいじゃん。何?』

「ロードスターって、どんな車か知ってる?」

『んとね、ちっこいスポーツカー。オープンで二人乗りのヤツ』

「ああ、オープンカーなんだ」

『ん、そーだよ。ロードスターがどしたの?』

「今夜、ドライブ行くことになって……」

『ほう、マジすか。こないだのリーマン?』

「うん」

『へー、あの人ロードスター乗ってんだァ。背高いのにね』

窮屈そうじゃない?と電話の向こうで彼女が笑った。

ライターの金属音が聞こえる。彼女が吸う煙草の銘柄は確か――フィリップモリス・スーパーメンソール。アルミのパッケージが浮かぶ。

夢子は煙草を全く吸わないが、客が吸う銘柄はそれぞれ全て覚えている。癖みたいなものだ。


『まァ楽しんできなよ。でも2席じゃヤレないね。超せまーい』

「……しないよ、そんなこと」

『シよーとしてもできないっしょ。実用性に欠けるんだよね〜あーゆー車。見た目はカッコイーかもしんないけど、チューニングなんかしてたら乗り心地ゲロ最悪だし。そのクセ金ばっかバカみたいにかかって仕方ないのー』

起きたばかりの頭がようやく働き始めたのだろう。ニコチンを摂取して饒舌になっていく。

「チューニングって、何?」

『んーと、マフラーとかエンジンとか、部品をイジること、かな。やればやるだけ寿命縮めるんだよね。チューンド車なんて消耗品のカタマリよ?ムダな趣味』

紫煙を吐き出す細い息が電波に乗って夢子へ届く。彼女にとっては煙草が、生きる上での必要経費。

何かに縋らなければこの仕事はやっていけない、と先輩に言われた。それは、ホストや酒や煙草やブランドやペットなど、嬢によって様々。

自分を切り売りする私達は、心のどこかに小さな穴が開いているのかも知れない。その穴は隠せば隠すほどじわじわと拡がっていく。

だから私は、隠すことを止めた。傷口をそのままにしておいては膿んでしまうということに気付いたから。


『……あ、つーかアタシさァ、今日同伴なんだわ。マジだりー』

「金融屋さんだっけ?かなり気に入られてるもんね」

『勘弁してよ、あンな脂ぎったオヤジじゃ嬉しくないって。アタシも夢子みたいなのにモテたいよ〜。金にはなんなそーだけどそっちのが絶対イイ!』

「はいはい。社長のこと逃がしちゃダメだよ?ちゃんと優しくしてあげてね」

『うす、リョーカイっすー。スシでもオゴられてくるさ』

「いい子にしてるんだよ。それじゃ、またね」

『頑張ってね、ドライブデート。超オーエンしてっから。明日にでも報告してよ』

「……うん。ありがと」

苦笑しながら通話を切った。電池は残りひとつ。充電しなきゃ。



そして夢子はある決意をした。彼の時間を〈買う〉ことを。心の独占までは望まない。望めない。

時々でいいから会ってほしい。店で会うならその分は勿論私が払う。会いに来いと言うのならどこまでも会いに行く。

間違っても――本命の彼女になりたいなんて――望んじゃいけない。

私はキャバ嬢。解ってるから。弁えてるから。そこまで聞き分けのない女じゃない。

二番目でいい。金ヅルでいい。体目当てでいい。都合のイイ女でいい。

だからお願い。私を必要として。上辺だけでいいから――愛してるフリを、してほしい。





02.[望んじゃいけない] end.

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2004/11/11 up.


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