出会ってしまった
そこは日常とかけ離れた〈夢〉を見せてくれる、大人が騙し騙されの恋愛ゴッコを楽しむ場所。

安くはない金額と引き換えに得られるものは、大きな勘違いとスプーン一杯の甘い言葉。罠を罠と知りつつ堕ちるか、留まるか。堕ちたが最後、後戻りは――恐らく不可能。



きらびやかな造りの店内。笑顔を張り付け着飾った女性達。腰掛けるとどこまでも深く沈むソファ。不慣れなせいか、そわそわと落ち着かない。しかし取引先との〈付き合い〉を断るわけにもいかない。

白ワインのボトルを空ける頃には腹を括り、タダ酒飲み放題なのだと割り切ることにした。磨き上げられた華奢なグラスを呷る。どうせ向こうの経費で落ちるのだから、遠慮するだけ損だ。

93年物のキュヴェ・ドン・ペリニョン・ロゼが喉を滑り落ちていった。軽快な味わいが膨らみ、濃厚な豊潤さへと変わるその過程を口腔内でなぞる。

確かに美味いけど、酒屋の特売で買ったスパークリングワインと何が違うのか解らない。

「これは当たり年だから美味いんだよ!」

云々、薀蓄を垂れていた上司は御機嫌で隣に居る〈嬢〉の太腿を撫で回している。

黙々と酒を飲み干すトオルを見遣り、ボーイに「お兄さん、あの子こっち呼んで!」と声を掛けた。

上司はトオルの横で硬い笑顔を浮かべる嬢を指差し、「キミはチェンジで」と赤ら顔を更に緩める。

「はーい。失礼しまぁす」

彼女はにこりと笑みを浮かべ立ち上がるが、腹の底では舌を出しているだろう。強い香水の残り香が後を引き、トオルは早く退店したくてげんなりと息を吐く。


「失礼します。夢子です」


場内指名を受けた〈彼女〉が軽く会釈をしてトオルへ名刺を差し出す。爪先まで気を抜いていない、緊張感を持った立ち居振る舞い。

先程まで隣に居た嬢(名前すら覚えていない)から受け取った名刺は、テーブルの上に放ったままだ。夢子から受け取った名刺は意外と厚く、微かな香りと共に手の中に在った。

「お名刺戴いても良いですか?」

浅く腰掛けた夢子に見上げられ、トオルはカードケースから名刺を一枚取り出す。一瞬、触れ合う手に――ドキリとしたのは何故だろう。

「お名前の読み方、スエツグトオルさん……で合ってますか?」

「あぁ」

「ウチのお店、初めてですよね。――お気に召しませんか」

「……いや」

「さっきから退屈そう。あの子新人だから、お喋り弾まなかったのかな。ごめんなさい」

夢子は悪戯っぽく微笑うとトオルのグラスを満たす。すぐそこに在る剥き出しの肩は白く艶やかだ。触り心地の良さそうな肌だな、と不意に思った。

夢子ちゃん、は……何でこの仕事してるの?」

トオルの問いを受けた夢子は臆することなく真っ直ぐ返答した。

「知りたかったからです」

「……何を?」

「昔のカレが――ハマった世界を」

他の嬢に比べて薄めのメイクを施した顔がほんの一瞬、翳る。それが嘘か本当か、トオルには解らない。キャバ嬢が客にオトコを匂わせても良いものだろうか。

解らない方がイイ事なんて、世の中に山ほどある。ココは騙されてやるのが作法ってモンだろ。

「元彼、キャバクラにハマってたんだ」

「はい。借金してまで通ってたみたいです。……それがわかって、私の方からサヨナラしました」

「ふうん……」

キャバクラの何がそんなに〈いい〉のか、トオルにはさっぱり解らなかった。初めて来て解ったことは、世の中には女性の雰囲気を買う奴等が居るということ。

隣に座らせ、酒を飲むだけ。同じ金額を払うのであれば、確実に気持ちイイことができる風俗にでも行けばいいじゃないか。



「トオルさんは、そういうタイプじゃなさそうですね。彼女一筋って感じ」

「そう見える?……もう付き合って長いからなぁ」

「家族みたいな存在、ですか」

「ハハ、そうだな。……でもさ、夢子ちゃんは彼氏がキャバクラにハマって、それが原因で別れたんだろ」

「はい」

「そしたら、キャバ嬢になろうって思うもんかな」

「おかしいと思われるかもかも知れませんけど……私なりのけじめだと思ってるんです。カレがキャバクラとキャバ嬢に使った分以上に稼いで、キレイさっぱり使いきってやる、って。でもイザこの世界に入ってみたら、意外と私に合ってるみたい」

今は結構楽しんでます、と彼女は微笑った。

「へぇ。なんか面白いね夢子ちゃん」

苦笑しながらグラスを傾ける。オレンジがかったピンク色の液体は喉を潤したが、心は少し乾いた。何故だろう。彼女が――夢子が気に掛かる。



「末次くん、もう一軒行こーじゃないか」

すっかり出来上がった様子の上司が立ち上がった。明らかに呂律が回っていない。

「大丈夫ですか」

「だいじょーぶ。全然酔ってないよ〜」

フラフラと怪しい足取りでトイレへ向かった。チェックお願い、と取引先の社員がボーイへ声を掛けている。

「トオルさん、また来てくださいね」

「あぁ……と言いたいとこだけど、正直薄給サラリーマンにはキツイよ。今日は向こうの奢りだから来ただけだし」

「お財布は私持ち、って言っても?」

身体を寄せた夢子が、トオルの耳元でそっと囁く。熱い吐息がかかり、耳朶がジンと痺れた。

「……何で?」

「私がトオルさんを気に入ったからです」

夢子は飾ることなく真っ直ぐに言った。テーブルに置かれた自分の名刺を裏返し、小さなバッグから取り出したペンをサラサラと走らせる。

「ここに載ってるお店用じゃなくて、プライベートの携帯ですから」

書かれていたのは、11桁の電話番号と携帯キャリアのメールアドレス。

「気が向いたら連絡してくださいね。……お店には内緒ですよ」

グラスに残った銅色の液体に映る夢子の笑顔は、幼さを残しているように見えた。



「また来てくださいね」

「お待ちしてます〜」

店の前で数人の嬢に見送られる。トオルが夢子へそっと視線を移すと、色とりどりのネオンが輝く夜道で、視線は交差した。

白い肌にタイトな黒色ロングドレスがよく似合っている。きれいな子だな。トオルが小さく手を振ると、はにかむように笑い胸元で手を振り返す。

ひらひらと舞う夢子の指先は蝶のようで。彼女を狙うオレは――差し詰め……蜘蛛、だろうか。急に気恥ずかしくなり踵を返した。





三軒目の店を出て、泥酔状態の上司をタクシーに押し込んだトオルは終電間近の電車に飛び乗った。

普段の通勤には車を使っているが、飲み会の予定がある日だけは電車通勤と決めている。店を何軒もハシゴする上司のせいで、代行も頼みづらい。

自宅アパートは最寄駅から徒歩数分。酒に弱い方ではないが、酔いを醒ますには歩いて帰るくらいが丁度いい。


【club DREAM 夢子


スーツのポケットに捻じ込んだ夢子の名刺は折れ曲がることなく、受け取ったときと同じ確かさで手の内に在る。

カードケースにしまいながらほんの数時間前の出来事を反芻してみたところで、それは実感を伴わない。満員電車に揺られながら小さく溜息を吐いた。





「なあ。お前、キャバクラとかキャバ嬢って詳しいか?」

翌日。残業中の同僚にコーヒーカップを渡しながら聞いてみる。

「いきなり何だよ。末次、彼女いるだろ」

「……それとは別だ」

「ふーん、まァいいけど。県内の店なら大体わかるぜ」

彼は自前のノートパソコンを開きながら「おれさ、キャバ嬢攻略サイトやってんだよ」と小声で言った。

「…………は?」

「内緒だぞ。末次だから打ち明けるんだからな」

トオルはぽかんと口を開けて同僚を見つめる。女には不自由しないであろう彼がキャバ嬢を〈攻略〉……?

「これでも結構アクセスあるんだぜ」

そしてディスプレイに表示されたのは『栃木のキャバ嬢いただきます。』という、ふざけたタイトルのウェブサイト。

何だこれ、といった表情のトオルに彼が「店か、嬢の名前は?」と問う。

「…………club DREAMの夢子ってコ」

「あぁはいはい。あそこ、けっこー可愛いコ多いよな」

キーボードをパチパチと叩きながら同僚が言う。二人以外に誰もいない、夜更けのオフィスで交わす会話として相応しいかどうかは判らない。

「あったあった。おれ3ヶ月前に行ってるわ。そん時ヘルプについたのが夢子ちゃん」

「ヘルプ?」

「そん時は夢子ちゃん、まだ新人だったんだよ。入店したての新人って自分を指名する客がまだいないから、他の嬢に指名を入れた客の相手するんだ。嬢が他の客についてたり、指名入れないフリーのテーブルについてる間の繋ぎ、だな。そうか。末次は夢子ちゃんがお気に入りか」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「隠すなって。清楚系だけどよく笑うし、可愛いっつーかキレイな子だもんな。指名変えとけば良かったぜ。……店の公式サイト、あったっけな」

サイトで発表されているランキングには、嬢の名前のみが並んでいる。夢子は先月のNo.5だった。

「お、あれから3ヶ月経たずにNo.5かァ。素質あるんじゃないか」

キャバ嬢の〈素質〉。多分、無い方が幸せだろう。

「嬢のプロフと写真はパスワード制だったな。末次、名刺」

「え?」

「名刺だよ、名刺。嬢が席着く時に貰っただろ?IDとパスワードが載ってっから。毎月変わるんだよコレが」

「……ちょっと待て」

カードケースから夢子の名刺を取り出す。確かに、サイトアドレスの下に小さく載っていた。意味を持たない英数字の羅列を読み上げると、彼はウキウキとキーボードを叩く。

「よし、出たぞ」

ズラリと並ぶ、キャバ嬢――キャストというらしい――の顔写真。

「顔出しNGのコもここだけには晒してるんだ。しっかし、相変わらずレベル高いなぁ。採用の時、絶対顔で選んでるよな」

名刺をデスクへ置き、コーヒーを啜りながらトオルも画面を覗き込んだ。皆、同じような顔に見える。それでも〈彼女〉だけはすぐに判った。昨夜よりも幾分澄ました顔でこちらを見つめている。



名刺をひらひらと揺らしながら「昨日行った店か」と同僚が訊いた。

「あぁ」

「ちきしょー、おれも別件なきゃ行きたかったなァ。メール、来たか」

「いや。こっちの連絡先教えてないから」

「うっわ、勿体ねぇ」

「気が向いたら連絡してくれって……携帯は、教えて貰ったけど」

「名刺に載ってる営業用のだろ」

「いや、裏にプライベートな番号とメアド書いてある」

彼は慌てて名刺を裏返し、まじまじと見つめている。

「……マジだ。お前、ホレられたんじゃねぇの」

「そうか?」

「プライベートの携番なんて、フツー教えてもらえないぜ?おれがソレ入手すんのに何本ボトル入れたと思ってんだ……」

カップを手にがっくりとうなだれている。しかし次の瞬間、何かを期待するように顔を上げた。

「で、どうすんだよ」

「どう、って何だ」

「決まってんだろ。食うのか?」

「……そんなの、わかんねぇよ」

「あーイライラすんな!ガツンとイっちまえよ!」

おれなら速攻そうするね、とニヤついている。何か企んでいるような、裏のありそうな悪い顔だ。

「……だってよ、変じゃないか?」

「何がだよ」

「オレのこと気に入ったから、また来てくれって言うんだぜ」

「そりゃ言うだろ。嬢はそれが仕事だからなァ」

「……向こうが、金出すからって」

「何だそりゃ!そんなのアリかよ、ずっりーな!」

「オレもワケわかんねぇよ。からかわれてんのかな」



昨夜の夢子を思い出す。真っ直ぐな瞳から嘘や誤魔化しは感じられなかったが――彼女達は甘い嘘を吐くのが〈仕事〉なのだ。



「いや待てよ、末次。それ、かなりオイシイ話じゃないか」

「本当だとしたらな」

「連絡してみろよ、夢子ちゃんに。今は店に出てるから電話は留守電、メールは明日になるだろうけどな」

「何で分かるんだよ」

同僚が微笑いながら指差したプロフィールページには、出勤予定表が載っている。店の定休日は日曜。夢子は大体水曜が休みのようだ。

「週5だぞ。すごいな」

「すごいのか?」

「ほら、欠勤もしてないだろ。皆勤賞だぞ」

真面目なキャバ嬢。何処か矛盾を孕んだ言葉が浮かぶ。

「帰りにでもメールしてみるかな」

「どうなったか聞かせろよ」

「……ネタにする気だろ」

「何だ、バレたか。もちろん、名前や店名は伏せるぜ?」

「お断りだ」

名刺を取り上げ自分のデスクに戻ったトオルは、書類に目を通しながら夢子を思った。

白く滑らかな肌。落ち着いた色の髪。黒目がちの大きな瞳。スッと通る鼻梁。艶やかに濡れた唇。

彼女は何を考えているのか。彼女に何のメリットがあるというのだろう。

視線は書類の上を滑るばかりで内容はちっとも頭に入ってこなかった。胸ポケットの携帯へ意識が行く。

オレが手に入れたものは、大きな勘違いだろうか。今はまだ――解らない。





01.[出会ってしまった] end.

→02.[望んじゃいけない] #

2004/10/26 up.


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