一瞬の逢瀬
「悪い、待った?」

夢子のマンション前に停められた〈ロードスター〉は、街灯の光を受けて鮮やかに赤く輝いている。

「うぅん。……ロードスターって、目がパッチリしててすごく可愛いんだね」

「乗り心地は悪いから覚悟してくれよ」

苦笑しながら言うトオルに、夢子は笑って頷いた。



高級外車のコレクションをはじめ、車が趣味だという客は多い。助手席の飾りとしての経験も何度かある。

それに比べたら確かに――ロードノイズは五月蝿いし足回りは硬いし――乗り心地は良いとは言えない。でも何より嬉しかった。

窓の外を流れていく夜の街も、思うように進まない渋滞も、夢子には嬉しく思えた。渋滞していたら、その分長く一緒に居られるから。



「わ、キレイ……」

星が輝く夜空の下で夢子は声を漏らす。

「ちょっと街から離れるだけで、こんなに空キレイになるんだね」

普段、ビルの隙間から見上げる空はあんなに淀んでいるのに――同じ空とは思えない。手を伸ばせば届きそうな程、すぐ近くで輝く星。散りかけた桜の花弁が数枚、ゆるりと舞っている。

「花見した?」

隣のトオルが聞いてきた。

「――うぅん、今年はしてない」

「じゃ、良かった。夜桜……もうすぐ散っちゃうけど、ギリギリ間に合ったかな」

ふわりと笑んで桜を見上げる。シャープな顎のライン、浮き出た喉仏。彼は雄なのだと、夢子はただ深く思った。


「…………桜の、木の根元には死体が埋まってる、って言うよね」

「ああ、聞いたことある。元ネタは小説?都市伝説だっけ」

「小説だったかな。桜がキレイなのは、死体の養分を吸い取るから。だから薄いピンク色に咲くんだって」

「へぇ。でもまぁ……役に立つなら、埋まってもいいかな」

互いに顔を見合わせてくすくすと笑う。少し冷たい風が花弁を舞い散らす。トオルの右手が不意に、夢子の前髪に触れた。思わずびくりと体を強張らせると、目の前に一枚の花弁が差し出された。

「ついてた」

トオルはバツが悪そうにごめん、と苦笑して呟く。夢子がそっとトオルの右手に触れ、薄い花弁を抓んだ。

「私、今、トオルさんと一緒なら――埋まってもいい、って思った」

花弁を宙に放ると、それは身を捩らせるように風に乗る。

「手、冷たいね。寒い?」

今度はトオルが夢子の手に遠慮がちに優しく触れ、ぎゅっと握り締めた。

「これでちょっとはマシかな」

温かい掌からじわりと体温が伝わる。

「――もっと、あっためてほしいな」

ほんの少し震えた声で、俯いた夢子が呟く。



次の瞬間、夢子はトオルの腕の中に居た。トオルの心臓がすぐそこにある。それは夢子の鼓動とシンクロするように、ひどく速い。



「……コレ、間違ってる?」

トオルが呟いて、夢子は微笑って首を振る。

「ずっと、こうしてほしかった。初めて会ったときからずっと」

広い背中に腕を回す。程好くついた筋肉、微かに香るコロン、思わず零れた夢子の本音。ずっとこうして居たいと思った。勿論、不可能だということも――痛い程解っていた。



どうしてキスしたあとって恥ずかしくなるんだろう。相手の顔を真っ直ぐ見られなくなるくらい。それが、その人との初めてのキスなら、尚更。



夢子

トオルの低い声に顔を上げる。

「可愛いよ」

そっと髪を撫でてくれるから目を伏せた。2席のロードスターは、当然ながらとても狭い。だから必然、互いの距離が近くなる。

手をつないでキスをして――たったそれだけで、こんなに満たされるなんてこと、今までなかった。彼が私のものじゃないという、動かし難い絶対的な事実も気にならない。


水曜夜のドライブが二人の習慣になるまで、そう時間はかからなかった。





03.[一瞬の逢瀬] end.

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2005/01/06 up.


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