KISS OF LIFE (2/3)
「酒井、お前この後暇か?」
閉店後のロッカールーム。東堂社長に声を掛けられ、もう帰るだけの状態だった酒井は頷いた。
「はい、特に予定はないです。どうかしたんですか?」
「嘉納さんとこのエボがトラブった。夢子、家まで送ってやってくれないか」
すまなそうに社長が言う。そういえば、いつも社長が夢子の送り迎えをしていた。
「わかりました」
「大輝じゃ信用できねぇからな。最後に残ってんのがお前で良かったよ」
「……はい」
苦笑してDC2のキーを握り締める。
「悪いな。あいつエンジン室にいるだろうから、後頼むわ」
そして社長は慌ただしく出て行った。
ガレージ奥のエンジン室を覗くと、夢子がEP3のエンジンを組み上げているところだった。
普段の穏やかな顔とは違う真剣な表情に、酒井は声を掛けるのを躊躇った。
彼女は常温20度に保たれたエンジン室の中、オイルに汚れた軍手で額を拭う。
少しずつ作業を進めては傍らのノートに何か書き留めている。2つに結んだ黒髪が揺れていた。
どのくらい経っただろう。鮮やかな手付きに見惚れていた酒井はふと我に返った。
咳払いをしながらエンジン室のドアを小さくノックすると、夢子が弾かれたように顔を上げた。
ツナギのポケットに入れた携帯電話を取り出して電波を確認している。
「ここ携帯つながらないんだったー!」
彼女が慌しくエンジン室を飛び出してきた。少しだけ乱れた髪と、弾む呼吸。
「えっと……酒井さんずっと待っててくれたんですか?」
「ああ。社長に送って行くよう言われたからさ。一段落ついた?」
「はい、お待たせしてすみません。今準備しますねっ」
赤い顔でパタパタとロッカルームーへ走って行く。酒井と、目を合わせようとはしなかった。
「……嫌われてんのかな」
ポリポリと頬を掻くと、組み上げ途中のエンジンに目を遣る。
『夢子が組むエンジンは素直なんだ』
社長の言葉を思い出す。
『どんなにクセの強いジャジャ馬もな、夢子が手を入れるとちゃーんと言う事聞くんだよ』
それは天性のセンスだ、と社長は言っていた。"普通"のメカニックがどんなに努力しても辿り着けない場所がある。
しかし夢子はいとも容易く、そこへ到達してしまうのだと。
以前酒井が慣らしのために乗ったZ32。そのエンジンを組んだのが夢子だと聞かされて驚いた。
客の車――それもエンジン――を、殆ど経験のない夢子に任せてしまう社長にも驚いたが、気持ち良く伸びる加速、曲がり、止まる――あまりにも当たり前のスムーズな挙動には舌を巻いた。
街中を低速で流しても高速クルーズでもそれは全く揺るがなかった。
夢子が組んだエンジンには"命"が宿る。決して大雑把には踏んでいけない、独特の質感を持って"生まれ変わった"VG30DETT。
車という機械を機械と認めた上でエンジンと会話ができる、夢子の――夢子にしか出来ない仕事だと酒井は痛切に思った。
"羨ましい"? "嫉妬"? 胸が疼くこの理由は一体何だ。
エンジン室の照明を落とし鍵を閉める。
俺はチューニングに携るいちメカニックとして、彼女に嫉妬しているのだろうか。それなら説明がつく。何よりも自分を納得させるための"理由"になる。
「酒井さん、お待たせしました」
制服に着替えた夢子がパタパタと走ってくる。 ほんの少し歪んだネクタイを直してやると、みるみるうちに真っ赤になってしまった。
「夢子ちゃん学校行ってからココ来てるんだっけ?」
「ハイ。あ、でももうすぐ自由登校になるんですよ。そしたら朝からこっち来れると思います」
楽しみですー、とニコニコ笑っている。エンジンを組むときと、全くと言って良い程異なる笑顔。
ショップ裏手の駐車場には、東堂商会自慢のデモカーが整然と並んでいる。その中で白いDC2のロックを解除すると、夢子が感嘆したように声を上げた。
「このインテ、酒井さんのだったんですか?」
「ああ」
「すごいカッコイィ車だなって、思ってたんですよ」
お世辞が含まれた些細な言葉の筈なのに、酒井の心臓はドクンと鳴った。平静を装って夢子をナビに乗せたが、なかなか心臓の速度は鎮まらなかった。
進行方向を向いていても視界の隅に入る夢子の膝や指が、酒井の動悸を速めていく。
「酒井さんありがとうございました。おやすみなさい」
「……また、明日」
手を振る夢子に控え目に鳴らしたクラクションで応える。夢子は酒井のDC2が見えなくなるまで手を振っていた。
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