haiR×liaR×32R (3/4)
妙義山の頂上。『妙義ナイトキッズ』メンバーが集まる駐車場に、冬の訪れを確信させる冷たい風が吹く。
「うお、さっみー」
「乾燥してるし、ちゃんと保湿しないと」
「はは。田中はマメだなー」
慎吾の提案による〈おネェキャラ〉は妙にウケてしまい、不本意ながらもチーム内で定着してしまった。
気付かないうちに女らしい仕草が出てしまっても怪しまれないし、一方的にでも距離を縮められるし、意外と便利なものかもしれない。
ただ唯一〈彼〉に対しては、未だ緊張と敬語が外せないままで居る。
「田中」
呼び掛けられた声に「はい」と答え、身体ごと振り向いた。視線の先、毅は愛車を指差して問う。
「良かったら、助手席に乗ってみるか?」
喉の奥から奇声が飛び出しそうになった夢子は、ぐっと拳を握り締めて力を込める。
「……ぜひ、お願いします」
冷静さを装ってみたものの、足取りは浮かれて口元も緩む。
小さな咳払いをひとつ、彼の愛車・R32の助手席へ腰を落とす。
運転席に居る毅と、さほど距離は無い。手を伸ばせばすぐ触れられる近さに彼が存在しているということに、夢子は興奮を隠せない。
そわそわと落ち着かない様子の夢子を見遣り、毅が苦笑を零す。
「そんなに乗りたかったなら、乗せてくれって声掛けろよ」
「いえ、その、ご迷惑かと」
全然。夢子にはそう聞こえた。直後、走り出したR32の助手席で夢子は絶句する。それは未知の体験だった。
車種が異なるとはいえ、自分の走り方とは全く違う。コースを知っている、熟知している人の走りだ。
上りと下りを3往復後、第1駐車場へ戻ってきたR32。助手席の夢子は感動しきりといった表情で、鼻息荒く両拳を握り締めていた。すごい、と素直な感想が口をついて出る。
「おれ、サーキットでよく同乗しますけど、こんなん初めてです。ありがとうございます!」
「そんなに喜んでもらえるとは思ってなかったな。俺も、嬉しいよ」
運転席で笑う彼を、直視出来ない。本当は、もっとあなたを見ていたくて、もっとあなたの近くに居たくて。
もたもたとシートベルトを外した夢子は「ありがとうございました」と頭を下げ、ドアを開ける。
アスファルトを踏み締める足取りはのろのろと重い。『後ろ髪を引かれる思い』って、こういうことなんだな。溜息が漏れる。
「田中。落としたぞ」
背後からの声に振り向くと、毅は何かを右手に掲げている。大きさから見ると、カード状のもの。そして色からすると、恐らく〈学生証〉。
何が、載っているんだっけ。確か――大学名、学部、学科、学籍番号、氏名、生年月日――顔写真。
ポケットに差していた財布から落ちたのだろう。一番知られてはいけない人の前で今、秘密が露見してしまった。
「……田中……夢子……?」
訝しげに読み上げられたのは、学生証に記されている本名。瞬間、背筋が凍り付く。
彼から名前を呼ばれることをずっと望んでいた。現実となった今、こんなにも恐ろしい事だとは思ってもいなかった。
「い、妹です」
咄嗟に吐いた嘘が自分を縛る。嘘に嘘を重ねて、嘘で塗り固めて、その上でバランスを取るしかなくなるのに。
「学生証、失くしたんで再発行申請してて……それ、借りたんです。図書館、学生証で出入りするんですよ。妹――夢子は今日、講義なくて、」
言葉が、嘘が続かない。例えば、自分自身の身分証を――免許を見せろと言われたらそこでおしまい。この嘘には穴が多すぎる。
せっかく毅さんの隣に乗せてもらえたのに、妙義に来るのは今日が最後になるなんて。
まるで絶望の淵に独り取り残されたような心細さで、泣いてしまいたいと思った。でも泣くなんてダメだ。今までが全部、無駄になってしまう。
「そいつ、32好きなンだってよ」
肩を叩かれると同時に慎吾の声が聞こえ、神の救済にすら思えた。
「知ってるのか、慎吾」
「夢子だろ?一回連れてきたことあったよな。32に会いたいッつってたけど、あの時は毅居なかったンだよ、なあ」
言葉の終わりに向けられた眼差しは驚くほど真摯に感じられ、夢子は浅く頷く。
「どっか連れてってやれよ。夢子もクルマ好きだし、横に乗せてやるだけですげー喜ぶぜ」
夢子に背を向けて歩き出しR32のヘッドライトの傍らに立った慎吾は――なんのかんのと毅を言いくるめ、やがて日時の約束まで取り付けてしまった。
「帰ったら夢子に教えてやれよ。きっと驚くぜ」
毅から受け取った学生証を持ち主へ手渡しながら、慎吾はやや大きな声を上げる。ちゃんと、毅にも聞こえるように。
戻ってきた学生証を財布にしっかりとしまい直した夢子へ、慎吾は「オレの横にも乗せてやるよ」と顎で促した。
夢子が助手席に腰を下ろし、シビックが走り出した途端。運転席から沈んだ声が上がる。
「悪い。勢いであんなこと言っちまった」
そんな、と言いかけた夢子が首を振る。ドライブの約束をしてくれたのに、何を謝る必要があるのか。それを伝えようとした途端。
「服とか化粧とか、大丈夫かよ」
あ、と声が漏れた。髪を切ってから、女性ものの服は全く買っていなかった。
元々オシャレな方ではないけれど、手持ちの服はそもそも〈デート〉に向いていないものばかりに思える。
慎吾が取り付けてくれた約束の日まで、あまり時間もない。無性に焦りを感じた。
「あの、女子っぽい服のアドバイス、してくれませんか」
「オレ好みに仕立ててどーすンだ」
「それはまぁ、そうですけど……。どうしよう……誰か、お願いできないですかね?慎吾さんて顔広いじゃないですか」
長めの沈黙が訪れた。自分はなにか、変なことでも聞いてしまったのだろうか。
「……心当たり、あることはある」
ぽつり、慎吾が苦い顔で呟いた。
翌々日。近くに着いたと慎吾からの電話を受けた。自宅を飛び出し、待ち合わせ場所へと急ぐ。
小走りで近寄った先、仏頂面の慎吾と共に居た二人の女性。慎吾とは対照的に、とても楽しそうである。
慎吾が右手を上げ「よう」と適当な挨拶を寄越したが、二人はそれを遮るように夢子の傍へ駆け寄った。
「はじめまして!あたし沙雪。慎吾から話聞いてるよ〜♪」
「こんにちは、真子です。よろしくね、夢子ちゃん」
シビックの隣に停められた車は、碓氷峠最速の〈青いシルエイティ〉。女性ドライバーのことは噂に聞いていたが、知り合いだったのか。
彼女達の勢いに気圧された夢子は頷くのに精一杯だった。
「はじめまして、田中夢子です。近くまで来てもらってすみません。よろしくお願いします」
下げた頭を上げきらないうち、両側から細腕がガッチリと絡められる。直後、沙雪の弾んだ声。
「夢子ちゃんの変身計画、あたしらにまかせてね!」
豪快な誘拐さながら車内へ放り込まれる瞬間、背後から慎吾の声が飛んだ。
「生きて帰ってこいよ、夢子」
自分の置かれた状況に理解が追い付かないまま彼へ視線を遣る。こちらへ手を振る慎吾の表情は、何故か今生の別れを感じさせる真剣なものだった。
うきうきと走り去っていくシルエイティを見送り、慎吾が呟く。
「なんで女は着せ替えが好きかねぇ」
理解し難い、と首を振り空を仰いだ。快晴の鮮やかな青色が目にしみた。
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