haiR×liaR×32R (2/4)
夢子が男性を装って愛車と共に妙義へ向かったのは、秋が深まりつつある週末のこと。
このために髪を切って、大学構内でメンズ服や立居振る舞いを勉強した。もともと女子が少ない学部のため、参考にする相手には困らない。
一応、準備は万端。うまくいくといいけど。
夜は更けたが〈走る〉には早い時間帯ということもあり、駐車場に居る人数はそれほど多くないようだ。
ナイトキッズのメンバーらしい人に声を掛けて、入れてもらえるように頼んでみよう。できれば相手が一人で居る時に。
駐車場の隅、売店付近に停めた愛車。運転席で張り込み気分を味わいながら夢子は待った。
ふと、ミラーへ目を遣る。長めの前髪、アシンメトリーに作った毛束を指先で整えながら気持ちを落ち着ける。
しばらくして自販機そばのベンチに腰を下ろした一人の男には見覚えがあった。ミラノレッドの、シビックの人。今の夢子より幾分長髪に思えた。
脚を放り出して、カーゴパンツのポケットを掌で探っている。小銭を探しているのか……それとも煙草だろうか。
(今だ。今、行かないと後悔する)
決心を固めた夢子は運転席から飛び出すと小走りで彼へと近寄っていき、精一杯男っぽく作った声で「すみません」と呼び掛ける。
「あの。おれ……ナイトキッズに、入りたいんですが」
彼は別段驚いた様子もなく立ち上がり「車は?」と問いを返した。
「CR-Xです。サーキットには行きますけど、ストリートの経験はあまりなくて」
「うちは来る者拒まず、去る者追わずってスタンスだから気にすんなよ。歓迎するぜ」
夢子は俯いて安堵の息を吐く。一歩、踏み出せた。だけどきっと、自分にとっては大きな一歩。
「いっこ、聞きたいンだけどよ」
顔を上げた途端視線がぶつかり、怪訝な表情を浮かべた彼は迷うことなく核心を突く。
「なんで男のカッコしてんだ?」
「いえ……あの、どうして――」
「どうしても何も……お前、どう見たって女だろ。背は高い方かもしんねーけど」
前言撤回。踏み出した一歩目は落とし穴へ、それはもう勢いよく突っ込んでいたらしい。
僅かに後ずさるが、彼はすかさず夢子の手を鷲掴んで袖口へ指先を這わせ「こンな細い手首の男が居るかよ」と薄笑いを浮かべる。
(部長。あなたが推してるミラノレッドのシビックの人は、見た目どおりガラが悪いですよ……!)
左手首に彼の体温を感じたまま考えを巡らせた後、夢子は観念したかのように口を開いた。
「中里さん、に……」
「あ?」
「……中里さんの、近くに行きたくて……。女は、チームに入れてもらえないかもしれないから……」
「だからって、ンな格好までするのか。はあ――ったく、羨ましいぜ毅のヤツ」
呟きと同時、どこか名残惜し気に熱が離れていく。程無くして〈彼〉の名前だと気付いた。
「中里さんの名前、毅さんっていうんですね」
「オレは庄司慎吾。忘れンなよ」
本名を名乗らなければいけないと思った。既に、自分が女であるということはバレているのだから。
「田中……夢子、です。名前、ここでは秘密にしてもらえますか」
「可愛い名前なのにな、夢子チャン」
「男のカッコしてる意味がなくなるじゃないですか」
愉快そうに笑った彼が携帯電話を取り出す。連絡先を交換し「これで共犯」と言い放った後、夢子の愛車へ視線を遣った。
秘密はあっという間にバレたけど、彼は妙義で〈本当の自分〉を知る唯一の存在になるかもしれない。
「大事に乗ってンのな」
「親戚のお下がりですけど、気に入ってるんです」
白色のボディライン、そしてドアに羅列してあるステッカー群を眺める慎吾が「自動車部?」と目を見張る。
「はい。うちの部長、あなたのファンみたいですよ」
いや、と呟き『自動車部』前の大学名を指した彼は、財布から学生証を取り出し夢子の眼前へ突き付けた。
「……同じ……」
夢子も財布に入れている学生証を提示し、互いに同じ大学の学生であることを確認する。
「学部違うから講義被らねえだけで、どっかですれ違ったりはしてるかもな」
「はぁ、すごい偶然ですね」
「運命だと思ってくれて構わねェぞ」
「間に合ってます」
学生証をしまいながら適当に答えたその時、聞こえた音。夢子は間髪入れず駐車場の出入り口を見据える。
「毅の32か。耳、いいンだな」
「音が、忘れられないんです」
ここで――彼がFDに負けた、あの時の音。
孤高のロータリーサウンドにさえ引けを取らない、身体に深々と突き刺さる闇色の咆哮。今はこんなに近くて、だけどこんなにも遠い。
「とりあえず行こーぜ。新メンバー紹介、ってことで話つけてやるよ。会いたかったンだろ」
「で、でも心の準備的なものがまだ、」
「んじゃ今すぐ準備しろ」
頭頂部をポンと一瞬撫でられた夢子は、なんとなく彼なりの激励を感じて笑った。
慎吾に促されて〈彼〉に近付くにつれ――夢子の心臓はまるで早鐘を撞くように高鳴り、全身に響き始めている。
やがてこちらを視認したGT-Rの彼が、訝しむように束の間、眉根を寄せた。
「毅。こいつ紹介するぜ」
「友達か?」
「まァ、大学の知り合い。自動車部だぜ。チームに入れろっつーから連れてきた」
背中を押してくれた慎吾の掌は優しかった。ガチガチに強張っていた身体が少し、ほぐれた気がする。
「は、はじめまして、田中といいます。以前、毅さんが走るのを見て……あの、自分はCR-Xなんですけど、ええと……憧れてます」
一礼の後、ストレートな視線と支離滅裂な憧れ宣言を受けた毅は一瞬面食らったようだが、ふと表情を緩めて会釈を返す。
「ありがとう。これからよろしくな」
メンバーからの呼び掛けを捉えた毅が「それじゃ、また」と背を向けた途端、夢子の膝はガクガク震え始めた。
「仔鹿か」
「しゃ、しゃべった……っ!」
中腰であわあわと謎の動きを繰り出す夢子を眺め、きっと喜んでいるのだろうと勝手に結論付けて慎吾が頷く。
「ドサクサに紛れて名前呼んでやんの」
謎の動きがぴたりと止まり、瞬時に顔色が変わる。どうやら覚えていないらしい。まったく、見ていて飽きないやつだ。
「……女だってバレてない、かな。結構暗かったから……」
「毅が鈍感なだけだろ。オレはちゃんと気付いたぜ」
誇らしげに自らを指した慎吾が視線を巡らせ「そろそろ挨拶回り行くか」と呟いた。つられて夢子も周囲を見回すと、車もメンバーも少し増えてきたように思える。
「お前、おネェキャラでいいよな」
「イヤちょっと、何がいいんですか」
「その方が余計な詮索されないで済むだろ。お前の仕草完全に女子だぜ、ジョシ」
頭を抱える夢子の肩へ手を回した慎吾は、当分退屈しないで済みそうだと唇から笑みを漏らした。
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