haiR×liaR×32R (4/4)
姿見に自分を映し、夢子は細く息を吐いた。
ここまで〈女の子らしい格好〉をしたのは初めてだな。自分で言うのもアレだけど、今日の私、結構かわいいぞ。
ウィッグは地毛に近い色を選んだため、不自然さを感じない。伊達眼鏡を掛けた指先、派手じゃないけど華やかなネイル。
『夢子ちゃん、自信持って!』沙雪と真子の笑顔を思い浮かべ、足に慣らした靴を履く。
待ち合わせ場所に居るのは、昨夜も会ったR32。こちらへ手を挙げる毅を見つめ、夢子は決めた。今日は精一杯、女の子らしく居よう。
「こんにちは、夢子です。兄がいつもお世話になっています」
自分でも驚く程の変身だ。まさか、同一人物だとは気付かないだろう。
挨拶から当り障りのない世間話を終え、運転席から投げ掛けられた〈兄〉の話に、少し肩へ力が入る。
「アドバイスを素直に聞けるし、何より本人が努力してるよ」
「そう、なんですか」
妙義には沢山の人が居るのに、彼は〈私〉を見てくれているんだ。――嬉しい。
そんな人を私は、騙している。鎮まらない罪悪感が心を刺した。
ドライブと食事を終えた宵の口。R32は夢子の自宅付近に到着し、ハザードランプが点けられた。
本当は、帰りたくない。それを悟られないよう明るく、お礼を言う。
「ありがとうございます。すごく、楽しかったです。それと、ごちそうさまでした」
一呼吸の後、運転席から胸を躍らせる問い掛け。
「また今度、誘ってもいいかな」
かあっと頬が熱くなった。黙ったままで居る夢子へ、毅が言葉を続ける。
「夢子ちゃんが良ければ、だけど」
いいに決まってるじゃないですか、そう叫びたかった。どう頑張っても口元が緩んでしまう。
「次もまた、ここに乗せてくれますか」
「勿論。行きたい所があるなら、どこでも連れていくよ」
連絡先を交換した携帯は、沙雪と真子による渾身のデコ電。小物にも手を抜かない彼女達のおかげで、最後まで女の子らしさをアピールできたに違いない。頷き、遠ざかっていくテールランプを見送る。
R32が見えなくなると、何故か突然テンションが高まった。拳を突き上げて言葉にならない雄叫びを上げると、どこかで激しく犬が吠えた。
「毅さん。昨日は本当、ありがとうございました。夢子、すごく喜んでましたよ」
翌日は月が綺麗な夜となった。夢子は何食わぬ顔で〈兄〉を装って妙義へ愛車を走らせ、毅に謝意を表した。
「いや、俺の方こそ。楽しかった」
「あいつ、毅さんに失礼なことしませんでしたか」
尋ねられた毅は一瞬考えるような素振りを見せたが「大丈夫」と呟き相好を崩す。柔らかな笑顔に、夢子の心臓がどきりと揺れた。
愛車へ乗り込む毅の後姿を見つめるが、不安は拭いきれない。気付かないうちに何か、やらかしてしまったのでは――
「何だよあいつ、超キゲンいいじゃねえか」
憎々しげに吐き捨てられた言葉を聞きつけた夢子が「慎吾さん」と振り返る。
「慎吾でいーよ。毅はお前……の、妹のこと気に入ったンだろ」
「そう、なのかな」
「嬉しくてしかたねーって感じだな。すげームカつくけど」
「もしそうだとしたら……おれ、ものすげー嬉しいけど」
慎吾の苦笑につられ、笑みと白い吐息が浮かんだ。
毅は勿論、慎吾もメンバーもアドバイスをしてくれるから、妙義を走るのは楽しい。
次の約束が決まり、仲良くなった〈女友達〉と碓氷峠で待ち合わせて作戦を立てた。
服のコーディネートや化粧にもだいぶ慣れてきた、と思う。夢子の一人二役は至って順調だった。
幾度かのドライブを重ねて縮まった距離、そこから先を期待する自分が居る。
私は、触れ合う指先の愛しさを知ってしまった。彼が好きで、好きで、好きで。
好きすぎてつらいなんて、物語の中だけだと思っていたのに。
彼に会いたいけれど、こんな気持ちで男を――兄を装っても、本心を隠しきれる筈がない。
自然と、妙義山から足が遠のいていく。
例え電話だけでも、繋がっていられるなら幸せだった。いつもの他愛無い会話の終わりに、毅が問う。
『あいつは、元気?』
「……兄は今、課題が忙しいみたいで……」
そう、と吐息混じりの声が聞こえる。
「走りに行きたい、とは言ってましたけど」
ごめんなさい。全部、嘘なんです――。通話を終え、携帯をきつく握り締める。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
男のフリなんかしなくても、メンバーに加えてもらえたのかもしれない。妹が居るフリなんかしなくても、あの時正直に話していたら。
今更どうしようもないことを考えて、考えて。苦い溜息ばかり、込み上げてくる。
公道を知ったからこそ、サーキットを更に楽しめると思っていた。
実際――走ることは楽しかったし、改めて学ぶ事も多い。でも、今日はあんまり楽しくない。なんでかな、思い通りに走れない。
自動車部の定例走行会。走り慣れた筈のコースに苦戦する夢子は、苛立ちと共にヘルメットを脱いだ。上気した頬に、冷たい空気。
部長は夢子へスポーツドリンクのペットボトルを手渡し、確認するように訊ねる。
「調子が悪い、と言うより集中できていない」
「……はい」
「前回より随分タイム落ちてるぞ」
「すみません。次、気合入れて行きます」
「うむ。期待してっからな」
何が原因か――自分がいちばん解ってるんだ。頷いた夢子はヘルメットとペットボトルを抱え、足早に愛車へと向かう。後姿へひらり、雪が舞った。
髪を切ろう。そして、妙義へ。毅さんに、会いに行こう。私には、話すべきことがあるから。
捨てたはずの気持ちを掬い上げて確かめ、愛車を駆って夜の妙義山を目指す。県立妙義公園、第1駐車場。数日降り続いた雪は夕方から止んでいる。
彼に声を掛けるには勇気が必要。それでも怯むことは許されない。深呼吸をひとつ、夢子は心を決め足を踏み出した。
「毅さん」
「田中。久し振りだな」
「あの――おれ、毅さんに話したいことがあって。今、いいですか」
真っ直ぐな視線を受け、毅は一度頷いて愛車へ促す。
走り出したR32は程無くして第4駐車場に到着し、停車後にライトが消された。エンジンの鼓動がシートを僅かに震わせている。
「寒くないか?」
「大丈夫です」
モッズコートが擦れる音の後、毅からの問いに強張った声で答えたきり、言葉を続けようとしない。
微かな違和感を拭い助手席を見遣ると、彼は切羽詰まったような表情で俯いている。毅は口ごもり、探るように尋ねた。
「話って、何だ」
彼は手にしていた紙袋から何か取り出し、自ら装着していく。長髪のウィッグ、眼鏡……毅には、確かに見覚えがあった。
やがて変身を遂げた〈彼女〉は眼鏡越しにこちらを見つめ、深々と頭を下げた。
「嘘、ついてました。妹とか、兄とか居ません。毅さんと会ってたの、全部――私です。ごめんなさい」
毅は全ての言葉を失ってしまったように、ただ黙り込むしかなかった。何を言うべきか全く分からなくなり、唾を飲み込む。
「毅さんの走りに、車に、…………毅さんに、憧れて。少しだけでも、近付きたかったんです。慎吾と、同じ大学なのは本当です。学部は別で、ここに来てから知りましたけど……」
頭を上げた彼女は眼鏡とウィッグを外し、紙袋へしまい込んだ。がさがさと乾いた音が車内に大きく聞こえている。
「本当に、すみませんでした。もう、妙義には来ないつもりです」
沈黙に押し潰されそうだ、と夢子は唇を結ぶ。今まで生きてきた中で、こんなに不安な気持ちになったことはなかった。
彼はいつも、私に〈初めて〉を教えてくれた。ここで彼に、彼のR32に会えただけで良かった。きっと、いい思い出になる。
紙袋を抱えて、助手席のドアを開けようと左手を泳がせた途端。
「いや。また来ればいい。俺も、田中に――会いたいんだ」
穏やかな声が運転席から投げ掛けられる。夢子は持ち上げた左手を、腿の上で握り締めた。
「……私のしたこと、怒ってませんか」
「嘘とはいえ、悪気があってのことじゃないだろう。男の格好をしているのも、理由が」
そこまで口にしたところで、毅の顔が強張った。
「田中は、このためだけに髪を?」
「ええ。毅さんて……髪、長い方が好きですか?」
「ま、まあ……どちらかといえば」
「……そう、ですか」
それじゃ、これから伸ばします。そう呟いた彼女は、襟足に触れて微笑を浮かべた。
こちらに向けられた、どこか照れくさそうな表情は柔らかく感じられる。毅が見る限り、だいぶ落ち着いたようだった。
俺は嘘をついた。本当は、髪の長さなんて――短くても長くても――どちらでも構わないと思う。
例えば、君の髪が長くなっていくのを見ていたい、とか。君の小さな変化をすぐに感じ取れるくらい、いつも傍に居たい、とか。
……こんな恥ずかしい事、間違っても口に出せるわけがないだろう。だから俺は、彼女に嘘をついた。
「夢子」
助手席の彼女を見つめ〈名前〉を呼んだ途端。彼女を――夢子を、好きになっていたことに俺は気付いてしまったのだ。
紙袋が足元へ滑り落ちた。彼女が俯き、紙袋を追うその視線を遮るように頬へ、耳へ、髪へ指先を滑らせていく。
みるみるうちに硬直し、大きく目を見開いたままで居る彼女は、途惑いながら言葉を紡ぎ始める。
「た、毅さん。ずるいです、こんな……」
叱られた気がして手を離した途端、それを咎めるように慌てた声が飛んだ。
「いえ――びっくり、しただけなので…………やめないで、ください」
再び触れた彼女の頬は、燃えるように熱く感じられた。とうに終わった夏が今、毅の指先にだけ戻ってきたように。
「悪かった。その……気が、付かなくて」
「私が女だって気付いたのはたぶん、慎吾だけですよ」
幾度か首を振り、苦笑を乗せた吐息が零れる。窓が曇り始めていた。
車体の僅かな揺れを感じた直後。夢子の両頬に、目元に、耳朶に、大きく温かい掌と、節くれ立った指の感触。
運転席から身体ごとこちらを見つめる毅と、しっかり視線を合わせて。
「俺以外の名を呼ぶな、夢子」
低く穏やかな声が、身体へ心地良く染みていく。
あんなに遠かった彼が、今はこんなに近くて。目を閉じてしまうことさえ、もったいないと夢子は思った。
夢子が伸ばした手は少し躊躇った後、愛しく温かな掌へ重ねられる。ここから先は――闇色に染まる、車内だけの秘密。
[haiR×liaR×32R] END.
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お題:R
2012/03/02 up.
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