haiR×liaR×32R (1/4)
彼に少しでも近づけるなら。性別も、髪も、本心だって。捨てたって全然、惜しくなかった。



古びたサークル棟、自動車部に割り当てられている部室。2度のノック後、ドアを開ける音から少し経って声が上がった。

田中。今夜、時間あるか?」

パソコンを睨み走行会の車載動画を編集していた夢子は、背後からの問い掛けを受けて緩慢に振り向く。

声の主は部長。レジ袋を提げ「涼し〜」と歌いながら冷蔵庫へ向かっているところだった。先日底をついたアイスの買い出しだろう。

夢子は左腕の時計を一瞥すると作業を中断し、凝り固まった首と肩を動かしながらヘアゴムを解いて「ヒマですよ」と答えを返す。

「妙義行こうぜ。好きだよな、R」

冷凍室へアイスをしまい終えた部長は、レジ袋を折り畳みながら今夜の交流会がいかに素晴らしいか語り始めた。

交流会――走り屋で賑わう妙義と赤城、それぞれのトップといっていいチーム同士のバトルがあるという。

相手の地元でのバトルにこだわる赤城、地元の意地を賭けて負けられない妙義。何と言っても見所は、GT-RとRX-7の真剣勝負――

部長はどうやら、妙義のチーム、特にEG6を贔屓にしているようだ。ミラノレッドのシビックがどれだけ速いか田中に見せてやりたい、と息巻いている。


確かにシビックも好きだし、歴代GT-Rはもっと好き。だけど……正直、走り屋チームや公道バトルにはあまり興味が持てない。

でも、と夢子は首を傾げる。どんな車か見てみたいし、世話になりっぱなしである部長からの誘いを断るのは気が引ける。

どう答えようか考えながら曖昧に頷いていると、不意に部長が視界から消えた。

「マジお願いします。田中さんのサイバーさんで妙義まで連れていってください。急でホントすんません」

何故か夢子の愛車CR-Xにまで〈さん付け〉されている。

キレイとは言い難い床で土下座する部長のワンダーは、数日前から修理中だということを思い出した。

部車も整備中だとか、ショボい代車じゃ気分が乗らないとか、他の部員達はバイトやデートで捕まらないとか、床に平伏したまま切々と訴えてくる。

「メシ代もガソリン代も、全部俺が持ちます。なんなら、焼き土下座しますから」

下からの懇願に細い溜息を漏らし、夢子はしゃがみ込んだ。下ろした髪が流れ、蛍光灯に照らされる。

「簡単に土下座なんかしちゃだめですよ、部長。だいたい、誰が鉄板用意するんですか」

部長が顔を上げた途端、期待を込めた眼差しに射られて思わず苦笑が浮かぶ。

「正直に言うと、公道バトルってよく知らないんですけど……。妙義のR、見てみたいです。あと、シビックも」

「サンキュー田中!恩に着る!」

子供のように飛び上がってはしゃぎながら、謎の踊りを披露する部長を呆れながらも見守っていた。




交流会の開始予定時刻が間近に迫る頃だ。夢子は腕時計へ目を遣る。舞台となる妙義山には、早くから多くの車と人が集まっていたようだ。

県立妙義公園第1駐車場を目指し歩道に沿って歩きながら、部長のコース解説を聞いている。

初めて目にする車種も多く、夢子は興味深そうに周囲を見回した。

「ここが上りのゴールなんですね。部長、妙義にはよく来るんですか?」

「いや、結構久しぶり。集まってるやつらは、赤城のチーム目当てっぽいけどな」

周囲の熱気につられて胸が躍る。お祭り騒ぎ、と言っても決して大袈裟ではないほど。

駐車場には各チームのメンバー達が居るらしく、人だかりがざわついている。

夢子の視線が吸い寄せられた先には黒の、R32。思わず「かっこいいなぁ」と唸った。傍らに立つ男性が、ドライバーだろうか。

「お、いたいた。ほら、あのシビックだよ」

赤色のシビック・EG6を指差した部長が、やや興奮気味に夢子を促す。車から降りた茶髪の男性は、夢子と同年くらいに思えた。


「あっちの、世代違いのセブン。白いのと黄色いの見えるだろ。あれが〈高橋兄弟〉つって、赤城のツートップ。この辺じゃ有名人」

その後部長が指差したのは、人だかりの中でも目立つ、長身で華のある男性二人。彼らの周囲には特に、女性が多いように見える。

「大人気なんですねえ」

「まったく、羨ましいよなぁ」

やれやれと肩をすくめた部長はすぐ傍に居る男性に声を掛け、何事か話し込んでいる。

下りはやっぱシビックだよな――いや、それがケガしてんだってよ――マジかよ、じゃあ走んねーの?――――

断片的に聞こえていた会話はいつの間にか終わったらしく、部長に視線を遣ると仏頂面で腕を組んでいた。

「今の方、お知り合いですか?」

「へ?知らんけど」

知らない人相手に、あんなフレンドリーに話し掛けるなんて。

夢子の表情を読み取ったのか「ここに居るやつらみんな同類だぞ。車バカ」とにこやかに言ってのける。

自分もそれに含まれるのかと訊ねると愉快そうに首肯し、その後思い出したように肩を落とした。

「今日はシビック走んねーかも。田中に見せたかったんだけどなぁ」

「はあ……それは残念ですね」

「しかたない、またの機会にな。そろそろ始まるっぽいぞ」

交流会は上り・ヒルクライムから始まるとのことだ。妙義の捻じ曲がったコースをどう攻略するのか、期待が高まる。自分なら、どうするだろう。

緊張感を持ったまま、部長と二人ゴール付近で待ち構える。GT-Rが有利に思えるけれど、どちらが勝つだろうか。


あちこちで携帯片手に実況し合う人達のお陰でどうにか、開始からの状況は掴めていた。せめてバトルの結末は、自分の目で確かめたい。

「あ、雨降ってきたぞ」

「おいおい、このまま続けて大丈夫か」

路面を心配する声が聞こえた。濡れた路面、崖っぷちを全開で走る〈公道バトル〉なんて――やっぱり、どうかしてる。

遠かったスキール音がどんどん近付いてきて、2台が雄姿を現した途端。ギャラリーから歓声が、拳と共に上げられた。

ゴールはもう、目と鼻の先。FDがR32のラインを塞いだ、そう思った刹那。FDが歩道に乗り上げて――――

雨で煙る視界を貫いたのは、眩い程の黄色い閃光。――負けた。R32が、FDに負けた。

目の前で起きたその事件は、にわかには信じ難い〈事実〉だった。

ギャラリーの歓声が全身を包む中、隣の部長へ怒号混じりで問い掛ける。

「歩道に、なんて!あんなの、アリなんですかッ」

「ああ!公道バトルなんて、何でもアリっちゃアリだからな!」

なんだか釈然としない。言いたいことはいつの間にか顔に出ていたようだ。

周囲のざわつきが引かない中、部長が「田中はサーキットしか知らないんだもんな」と呟いたことが気に掛かった。



「みんな、まだ帰らない方がいいぞ!もうすぐダウンヒル、スタートするぞォ!」

突然、男性の弾んだ声が飛んだ。頂上駐車場からゆっくりと走り出した180SX、その助手席から声を張り上げている。

「レッドサンズのS14と、秋名のハチロクだって?」

「ここでハチロクが見れるなんてツイてるな」

そこかしこで期待を込めた歓声が上がる。どうやらこちらも、走り屋の間では有名なようだ。

ハチロクとはAE86のことか。サーキットで見掛けることもあるが――シルビア相手に、この雨の中どんな走りをするのだろう。

だけど、今はそれよりもっと、気掛かりなことがある。隣で「カッパでも持ってくりゃよかった」とぼやく部長へ声を掛けた。

「部長。妙義の、……ドライバーさんの名前って知ってますか」

「シビックは庄司ってやつ」

「いえ、Rの……」

「32は確か、中里っていったかな」

「……中里さん」

私はその名をきっと、忘れないのだろう。薄っすら汗ばんだ掌を幾度か握り、夢子は小さく頷いた。


「いやぁすげー楽しかったわ。ありがとな」

やがて隣から上がった部長の声は、まるで一仕事終えたかのような充実したものだった。

「私も、楽しかったです。走り屋のチームって、男の人ばっかりなんですね」

「まァ大体、男所帯だろうな。ウチの部だって女は田中一人だし」

「……女は入れてもらえないんでしょうか」

「イヤイヤ、やめとけって。ナイトキッズはガラ悪いって聞くぞ。……つーか田中、公道バトルには興味ないんだろ」

ここに来る前の自分なら肯定した筈だ。ただ、即座に否定もできないで居る自分に夢子は気付いていた。

冷たく降る雨は、次第に強くなってきている。

「どうする、下りも見てくか?」

「……私はどちらでも」

「んじゃ、バトルの邪魔になんねーうちに帰ろうぜ。風邪引いちまうよな」

「すみません。運転、お願いしてもいいですか」

「珍しー。ホントにいいのかよ」

「はい。今、テンション高すぎてまずいです」

随分久しぶりに座った助手席で、フロントガラスを流れていく雨粒を眺めていた。先日交換したばかりの新品ワイパーはよく働いている。

運転をお願いした部長はなんだか楽しそうで、そんな気持ちで運転されるなら車も嬉しいだろうな、とぼんやり思う。

妙義を後にするのは、少しばかり名残惜しい気がした。秋名のハチロクも赤城のS14も、ちょっと見てみたかったな……きっと、また来よう。


例えば私が男なら、こんなに悩むことなくチームの――『妙義ナイトキッズ』のメンバーになれるのかな。

公道バトルの経験がなくても、受け入れてもらえるだろうか。もしかしたら、オーディションみたいなものがあったりするのかもしれない。

私が公道で闘うために、必要なものは何だろう。これまでサーキットで学んできた、セオリーやテクニックとは異なるものだろうか。

もっと筋肉つけて、今までどおりサーキットにも通いながら、公道バトルの勉強……と言うのかは分からないけど、

田中、なに笑ってんだ」

信号待ちの間に運転席から飛んだ、部長の呆れ声。それには答えず、フフンと楽しげに鼻を鳴らす助手席の横顔に、部長は小さな企みを感じた。



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