儚く優しく冷えた月 (p.3/4)
慎吾が学校に来たのは毅からのメールの10日後。土曜だった。
部活に顔を出した夕方、弓道場を後にして携帯をチェックすると着信が5件程入っている。全て慎吾から。
イライラとリダイヤルを押す姿が容易に想像できて少し可笑しかった。
かけ直そうかどうしようか少し迷っていると、マナーモードのバイブが震え出す。

「……もしもし」
『やっと出やがった!ったくシカトしてんじゃねーよ夢子
「慎兄……」
『後ろ』
「え?」
夢子が振り向くと、EG6にもたれた慎吾がくわえ煙草でスイと手を上げた。
『来いよ』
それだけ言うと、ぷつりと通話を打ち切る。

夕陽を浴びた夢子がとことこと近付いてくるにつれ、慎吾の鼓動はほんの少しだけ早くなる。

「メシ食い行こーぜ」
「……ずっと、ここで待ってたの?」
「あン?夢子がオレのことシカトしてっからだろーが。こーなりゃ直で会うしかねェだろ。
  奢ってやっから、オレの気が変わンねーうちに早く乗れ」
「ケーキ、食べたい」
「好きにしろよ」
和やかな夢子の表情に安堵している自分が居る。
泣き腫らしていたらどうしようと――オレがずっと心配していたなんてこと。こいつは微塵も知らない。


吸殻を道路に投げ捨てると夢子が大声を上げた。
「ポイ捨てだめっ!」
「うわ、ビビった……」
「学校の前に捨てるなんてひどーい!」
「うるせェな、拾うよ」
苦笑しながら吸殻を拾い、近くにあった灰皿へ捨てる。
「これでいーだろ?」
唇を尖らせている夢子の頭を撫でた。久し振りに触れる柔らかな髪にまた少し、心臓が早くなる。


「ホントは吸わないのがいちばんいいんだよ?」
見上げてくる瞳はどこまでも真っ直ぐで、慎吾は心の奥を見透かされたような気がして視線を逸らす。
「……ハイハイ」
シートに体を沈めながら生返事。


夢子が助手席に乗り込む。慎吾の体の左側だけ、細胞が沸騰したように熱を持つ。
ステアリングを握る手が微かに震えていることを悟られないように、喋った。
車内を無言にしてしまうのが怖かったから。自分以外のことを考える隙を与えたくなかったから。


「いーよなァ夢子は。卒業まで遊んでりゃいーんだもンな」
「まだテストあるんだよー。でも慎兄の方が暇そうじゃない?大学ってそんな時間あるんだ」
「バーカ、忙しいっつーの」
「うそ〜。いっつも私のトコ来てるくせに」
「いつもじゃねェだろ」
「そんなに私に会いたかったの?」
何気ない夢子の言葉は、慎吾が思ったよりも心の奥に刺さった。


「……あんま可愛いコト言ってっと犯すぞ」
「やだ!慎兄のバカっ!」
ツンとそっぽを向いてしまった。
いつもの、泣き虫でコロコロと表情を変えては生意気な口を叩く――可愛い夢子


こいつが笑ってられるならオレはそれで――――


「なんてキレイ事も言ってらんねェしな……」
「?なにー?」
「何でもねーよ」



オレ、今結構ギリギリかもしんねェ。
一緒に食ったメシの味も覚えちゃいない。何を食ったのかすらあやふやで。
ただ、毅のことを聞いたとき夢子の頬に差した朱色と、俯いた角度だけは――やけにハッキリ覚えている。




夢子ちゃん!」
「今日も可愛いねっ!」
「チョコ食べる?チロル好きなんだよね?」

「あ……えと……ありがとうございます……」
妙義山の駐車場に着くとEG6はあっという間にメンバーに囲まれ、夢子を強奪される。
慎吾は「オレ放置すんなよ」と不貞腐れた。


「あ!高田さん、それって……」
「無印のジャムサンドクッキー」
「やっぱり!私これ好きなんです」
「よかった。オレあんまりこーいうの買わないからさ」
「わーい。いただきますー」
夢子は満面の笑みを浮かべて小さなクッキーをぱくり。
もしゃもしゃと甘いクッキーを噛み締めていると、どこか遠慮がちに頭を撫でられた。


優しくて温かい手の感触――だけどこの人は、高田さん。毅じゃない。



「お、シルエイティ」
「碓氷のインパクトブルーのお出ましだ」
入口付近が騒がしくなったことに気付く。青い車から女性が二人、降り立った。


「おっす慎吾ー!」
「……うるせーのが来たなァ」
「庄司くん、こんばんは」
「だからその庄司くんてのやめろッつったろ!」
「あッれー?ココに可愛い女のコがいるなんて珍しいじゃない。しかもセーラー服!」
夢子、覚えてないか?こいつ、沙雪」
高田に撫でられたままの夢子が「さゆ姉?」と呟いた。小首を傾げるその仕草に栗色の髪が揺れる。


「――え、夢子ちゃん!? あんなちっちゃかったのにもう高校生?ウソやだ可愛いー!」
沙雪は高田から夢子を奪い取って「ひさしぶりー!」とハグをする。


華やかな香水の匂い。それは夢子がどんなに頑張っても手の届かない、大人の匂いに感じられた。


「慎吾にいじめられてないー?」
「……うん。多分大丈夫」
「いじめられたらあたしにすぐ言うのよ?こらしめてやるからッ」
2人でくすくすと笑っていると、聞き覚えのあるエキゾースト音が響いた。
暫く聞いていないけど、間違える筈ない――夢子が大好きな毅と、毅のR32。


「あ、中里くん!」
するりと夢子を放すと沙雪はR32の元へ駆けて行く。
当たり前のように毅に触れる沙雪に、言い様のない不安を感じた。



そこは、毅の隣は――私の場所……だった――――



夢子はきつく唇を結ぶ。

10日以上、メールも電話もしていない。電波での繋がりすら持てなかった。すごく会いたいけど会えなかった。
「しばらく」がどのくらいの期間をいうのかわからないけど、いつか毅から連絡をくれると思っていた。
それは夢子の思い上がりだったのだろうか。あのメールは完全に2人の間を断ち切るものだったのだろうか。



俯いて立ち尽くす夢子の顔を高田が覗き込んだ。
「慎吾……夢子ちゃんが、」
泣きそう、と高田が言う前に慎吾は夢子の手を取っていた。



毅が慎吾と夢子に気付き、驚いたように目を見張る。



「オレは夢子のこと、絶対泣かしたりしねェ」
毅が口を開く前にキッパリと言い切った。2度目の――今度は腹の底から本気の、宣戦布告。
夢子をEG6に押し込むと乱暴に発進させる。




暫く走っていると、きつく唇を噛み締めていた夢子が助手席で細い嗚咽を漏らした。
慎吾はEG6を停車させエンジンを止める。途端、車内に夢子の不規則な嗚咽が充満する。


「さゆ姉と、毅、って、何かあったの?」
やがて夢子がぽつりと零した言葉はひどく痛々しく感じられた。


「んー……昔のことだけどな。沙雪にフラれてんだよ毅」
「今もさゆ姉のこと……好きなのかな……」
「それはないだろ」
「どうして?」
夢子が居んだろーが」
「だって……」
「自信ねーのか」
「……さゆ姉キレイだし、スタイルいいし、いい匂いするし……」
夢子はそれに比べて貧乳だしな」
「……うん。」
こくりと頷いた。
否定すればいいのに、真に受けやがって。……ったく。だからお前は可愛いっつーんだよ。


「オレは夢子の、そーゆートコも好きだぜ」
「……慎兄?」
「毅なんかやめて、オレにしとけ」
慎吾のいつになく真剣な顔から、夢子は視線を逸らすことが出来ない。――体が、すくむ。
そっと夢子の顎に手を添えて、もうすぐ唇が触れ合おうかというそのとき。背後から大きなエキゾースト音が聞こえた。
夢子の体がびくりと強張る。

「……チッ、毅だな」
慎吾が舌打ちしつつEG6から降りると、毅のR32がすぐ後ろに急停車したところだった。


「未練がましい男はキライ、だとよ」
嘲るように言った慎吾を見据え、降り立った毅が低く言う。

夢子を渡してくれ」
「さァ……オレに聞かれてもなァ。夢子、どうする?」
静かに助手席のドアが開いて夢子が降りた。
目元が薄っすら赤く腫れている――自分のせいだと思うと、毅の胸はひどく軋んだ。



「――慎兄、私……毅のこと、好きなの」
「バカ。言う相手が違うだろ」
小さく震えた声で言った夢子に鞄を手渡す。
「アリバイが必要ならメールよこせよ」
ポンと頭を撫でて背中を押した。


「ありがと、慎兄」
振り返ってはにかむように笑った夢子を、慎吾は美しいと思った。



毅と少しだけ言葉を交わしR32の助手席へ座る夢子を目で追っていたが、居たたまれなくなって煙草に火を点けた。
遠ざかっていくエンジン音を背中で聞いていると、車内の携帯からけたたましく着メロが流れる。


「あいよ」
『あ、慎吾?今高田くんから聞いたんだけどさァ、中里くんと夢子ちゃん付き合ってるんだって?』
「……そうみたいだな」
『あんた達が行ってからさ、中里くんてば〈俺が愛してるのは夢子だけだ〉なんて真っ赤になっちゃって。
 そんでスッゴイ勢いで32乗ってっちゃったのよ』
「へーェ……」
夢子ちゃんに悪いコトしたかなぁ。今度お詫びにゴハンでも奢るって言っといて』
「わァったよ」
『慎吾、あんたもね』
「あ?」
『フラれたんでしょ?夢子ちゃんに。かわいそーだからついでにオゴったげる』
「うるせェな。用はそんだけか?」
『相変わらず冷たいわねー。どうせまだその辺いるんでしょ?真子と待ってるから戻ってくればァ?』
「チッ。ほっとけバーカ」
図星を指されて通話を切った。どうして女ってヤツは勘がイイんだ。
左手に持っていた煙草は随分短くなっている。慎吾はそれを靴底で踏み消した。
EG6に乗ろうと踵を返したが、ふと夢子の言葉を思い出し吸殻を拾い上げる。


「……ったく、オレも末期だよなァ」
苦笑してEG6のシートに体を埋め、車内の灰皿へ捨てた。



「ダッセーの……」
シンと静まり返った車内で慎吾が呟く。
つい先程まで夢子が座っていた助手席はガランとして、やけに広く感じられる。



夢子がシアワセならそれでいい――なんて殊勝なコトはまだ当分、言えそうにない。