五月の詩 (2/2)
「紙袋に入ったアクセサリーがドアに掛かってたんだけど……豪くん、なにか心当たりない?」
大規模な走行会を間近に控えた、梅雨のある日。夢子からの問いは突然だった。愛車のセッティングに頭を悩ませていた豪は走行データから目を上げ「いや」と簡潔に答える。
「どうかしたのか」
「……ううん、なんでもない。忙しいとこごめんね」
困ったような顔で笑った夢子は「がんばってね、サーキット」と手を振り、豪に背を向けた。しばし彼女の背中を見送った豪は、再び紙面へ視線を落とす。
心の隅に何かが少し引っ掛かるような、ささくれ立つような、ごくごく些細な〈違和感〉から目を背け――気付かないフリをした。
オレは、この時夢子を引き留めなかったことをひどく後悔することとなる。
学生用駐車場に停めた愛車から降りた豪は、大きな欠伸で息を吐く。前期試験の心配をしなければならない時期がやって来た。それを乗り切れば長い夏季休暇。
あれからずっと、彼の〈監視〉を続けていることを夢子は知らないだろう。勿論、知らなくていいことだ。
最寄駅から自宅までの帰り道。音楽を聴きながら、携帯を操作しながら。自ら警戒心を削ぐような行為は慎み、適度な危機感を持つようになったようだ。
約束の時間にはまだ少し早い。待ち合わせ場所、カフェテリアのベンチに座っている夢子は――まるで縁側で日向ぼっこでもしているような――うっとりと心地良さげな表情を浮かべている。
豪が近付く気配を感じたのか、夢子はイヤホンを外して「おはよ」と笑みを咲かせた。
「おはよう。教習所のパンフ、持ってきたぞ。待たせたか」
「ううん、さっき来たとこだから。パンフありがと。豪くんに頼ってばっかりで、ごめんね」
「気にするなよ。オレ、おまえのこと好きだからな」
隣へ腰を下ろしながら何でも無いことのように告げたが、裏には〈友達として〉という逃げ口上を用意していた。夢子がそれに気付いたかどうか、豪には判らない。テーブルに置かれたパンフレットへ伸ばした夢子の指先が、はたと宙に浮く。
「……豪くん、今……すき、って、」
「そのままの意味だ。迷惑か」
「…………う、れしい、けど……豪くんは……その……私で、いいの?」
「夢子こそ。おまえ、オレのアニキのこと好きだろ」
驚いたように目を見開いた夢子が、発しかけた言葉を飲み込んだ、ように豪には見えた。
「違うのか」
「……えっと……引かれると思うんだけど、聞いてくれる?」
「ああ」
「……その、凛さんは……私の、初恋のひとに似ていて……。……小学生の頃見てた、アニメに出てくるキャラクターなんだけど……」
夢子が挙げたタイトルは豪も知っている。十数年前にテレビ放送されたオリジナルアニメを原点とし、現在もシリーズ展開されている人気作品だ。
しばしの沈黙を破り、夢子がぽつり「大佐」と呟いた。彼女の初恋相手の『役職兼愛称』だと言う。
〈彼〉には生き別れの弟が居り、二人は互いにそうとは知らず敵対関係に在り続けた。弟を自身最大のライバルと認め、その手により――戦場に命を散らした。
偶然にも、それは夢子の誕生日と同日の出来事だと。切々と語る夢子の瞳に滲む涙には、一体幾つの理由が含まれているのだろう。
「大佐が現実に居たらきっと、凛さんみたいなんだろうなって……。キャラクター愛が三次元相手に……あんな大量に溢れたのは生まれて初めてだったもので……」
「それじゃあ、アニキ本人は関係無いと思っていいのか」
「いえ!凛さんに大佐のお衣装を着ていただけたらどんなにいいかと思いました!」
「……コスプレ、ってやつか……」
「何着も作ったけど、私じゃ体格ていうか身長が絶望的に足りなくてなりきれやしないの!今までいろんなレイヤーさん見てきたけど、凛さんは絶ッ対似合う!私が保証する!」
先程まで泣きそうだったことがまるで嘘みたいだ。喜色満面で親指を立てる夢子を見つめているうち、豪の唇から苦笑混じりの溜息が零れた。
「……豪くん……?」
「何でも無い。気持ちを整理する方法を見失っただけだ」
「やっぱり、引いた……よね……」
「いや。夢子は小学生の頃から、今もずっと〈大佐〉が好きなんだな」
「はい……」
「それだけ『好き』が続くって、凄いことだろ」
「すごい、かなあ……?」
「オレ、小さい頃からアニキの真似してカートやモトクロスなんかやってたけどさ。思い通りにいかないことが続いたせいで飽きたり嫌いになって、何度も投げ出したよ。それでもやっぱり、オレは〈走る〉ことが好きなんだ。何度離れても結局戻って、その繰り返し。対象が何であれ、一つの事柄に真剣なヤツは格好いいと思う」
「豪くん……」
「オレは夢子のことをもっと知りたいし、オレのことだって知ってほしい。……まずは、そうだな……夢子が好きな作品を知りたい」
「じゃあ、布教用の全部貸すね。感想聞かせてくれたら嬉しいな」
「ああ。悪いが、オレは大佐に負けるつもり無いぞ」
「もしかして豪くん、妬いてくれてるの?」
「…………」
「なんてねー。自惚れが過ぎました」
けらけら笑う夢子の耳元へ、そろりと豪が顔を近付ける。
「そうだと言ったら、どうするつもりだ」
硬直したように身動きを止めた夢子はみるみるうちに頬を赤く染め、「うれしくて爆発します」と声を震わせ俯いた。
「オレの前から居なくなるなんて許さない」
「……ただでさえ豪くんカッコいいんだから、そんなこと言うの反則だよ……」
俯いた夢子の横顔に触れたいと豪は思った。その素直過ぎる衝動を理性でどうにか捻じ伏せる。
「急にしおらしくなるなよ」
「だ、って豪くんが……すきとか言うから……」
「……夢子は、オレのこと嫌いか……?」
落胆を全面に押し出した声を絞り出した。さすがにわざとらしいか。それでも、夢子ならきっと真に受けるだろう。慌てて顔を上げた夢子が、豪の予想通り問いを否定する。
「す、きです……好き、に決まってるじゃない……。掲示板前で、声かけてくれたの、すごくうれしかったんだよ……」
「それ、男二人にナンパされた時か」
「えと……サークル勧誘の……」
「ああ。オレが声掛けたこと、覚えてたんだな」
「忘れないよ。たぶん、ずっと忘れない。……ありがとう、豪くん」
何が、と問おうとして開きかけた口を噤む。夢子は『全部』と答えるような気がしたからだ。
「オレの方こそ。ありがとう、夢子」
遠慮がちに見つめ合うと、互いに照れ笑いを隠しきれずに居ることが分かる。豪は〈幸せ〉の端を掴んだように感じた。
「朝からアツイね、おふたりさん!」
突然飛んできた大声を受け、二人同時に振り返る。ロードバイクに乗り、派手なジャージを着た友人が颯爽と現れた。自転車競技部の朝練――いや、彼個人の自主練だろう。
「構内で騒ぐな。迷惑だ」
「イチャついてんなよバカップル。カノジョ募集中の俺様にケンカ売ってんのかコラ」
「……夢子も何か言ってやれ」
「自転車、普通のより細くない?初めて見た」
「カッケーだろ!すっげ軽いんだぜ。持ってみっか、田中」
「さわっていいの?」
夢子がロードバイクに食い付いた。彼女の好奇心は旺盛な方だと思う。
「え、これすごい、ほんとに軽い!……あとさ、なんでそんなピチピチしたの着てるの?趣味?」
「いい質問だな!田中にはイチから丁寧に説明してやろう♪シットすんなよ、豪!」
呆れ声で「しねえよ」と返す豪を無視した友人は、身振り手振りを交えて夢子へ〈説明〉を始めた。好きなことについて話す時、〈人〉はこんなにも嬉しそうに、幸せそうに笑うのか、と豪が気付く。
例えばオレが、クルマのことを話す時も。相手からはこんなふうに見えているのだろうか。
兎にも角にも――五月に芽吹いたオレの恋が実ったのは、熱い暑い季節の扉が開いた時だった。
[五月の詩] END.
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2014/05/11 up.
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