姉模様 (1/2)
午前中は寝ていようと決めていた、ウィークデーの午前9時。

軽やかな足音が部屋へ近付いてきたことにはまだ気付かない。静寂が満ちる部屋で寝返りを打つ。

突然、だった。ノックも無くドアが開けられたかと思えば「買物付き合って!横浜!」と大声が鼓膜を震わせる。声の主は姉、夢子

お願いやお誘いといった、可愛らしいものでないことは起こされたばかりの頭でも十二分に理解できた。車を出し、荷物を持てという〈命令〉だ。それも、拒否されるとは微塵も思っていないだろう。

束の間、沈黙が落ち――弟の休日の予定など気にも留めない、暴君のような姉はわざとらしく舌を打つ。枕に顔を埋めたままの弟へ「返事は」と問い掛けた。

「……わかった、行くって。おまえ、声でけえよ……」

「40秒で支度しな」

「無理だろ……」

「30分間待ってやる」

どこかの大佐めいて言い放ち、ばたんとドアが閉められる。階段を下りる足音が遠ざかっていく。

姉の無駄なテンションの高さから察すると、睡眠時間はたっぷり取れたらしい。そういえば、昨夜は顔を合わせていない。自分が帰宅した時には既に寝ていたということだろうか。どう考えても寝過ぎだ。

接客業に就いている姉と、平日の休みがかぶることは珍しい。だからと言って、こちらも貴重な休日である一日を潰す理由にはならない。自分に予定が入っていないことを、姉は知っていたのだろうか。



身支度を整えて朝食を済ませ、ガレージに向かう。昨夜帰宅後にボディは水拭きしてあるから、今は窓だけ拭いて行くことにしよう。

早速窓拭きに取り掛かると、背後から「うわ」と呆れ声が飛んできた。

「まーた拭いてる。すり減っちゃえ」

「なんてこと言うんだ」

「はいはい、先乗ってるよ」

外出の支度と化粧を整えた夢子はさっさと助手席へ腰を落とし、ドアを閉める。シートの角度を調整し、背もたれへ身体を預け携帯電話を操作し始めた。

全ての窓を拭き終えたところで、フロントガラス越しに夢子と目が合う。険しい顔で口をぱくぱくさせているのは「早く」とでも言っているのだろう、右手親指で雑に運転席を差している。

自分が後に生まれたというだけで、何故こんなにも理不尽な思いをしなければならないのだろうか。

洗車用具を棚へ片付け、背後から飛んでくる「はーやーく!」の連呼に「うるせえって」と返す。

一人で行けばいいだろう、なんて言おうものなら、信じられないだの冷たいだの姉を敬えだの、とんだ勘違い発言をされるに決まっている。





出掛けに揉めたけれど、秋晴れの澄んだ空気の中を運転することは気持ち良いものだ。

自宅から少し足を伸ばし、目的地である横浜市内へ向かうと次第に交通量が増えていく。通行人を眺めている夢子へ「なあ」と声を掛けた。

「ポーターズでいいのか」

「いーよ。あ、ATM寄るから忘れないでね」

「用ある奴が覚えてりゃいいだろ」

「一応だよ、念のため!」

新港地区には、小さい頃からよく来ていた。買物、食事、映画、一日居ても回りきれない。家族や友人と、それからデートにも。まあ、今も〈家族〉で来ているわけだが。

200を超す店舗がひしめく、横浜ワールドポーターズ。ここから赤レンガ倉庫やコスモワールドへも歩いて行ける。横浜観光の拠点になりそうだ。

駐車場に停めた愛車に背を向け、姉と連れだって歩き出す。


「すみません、写真撮ってもらってもいいですか?」


ガイドブックを手にした、女子大生と思しき数人が夢子へ声を掛けてきた。夢子は「いいですよ」と気軽に答え、彼女達と話し始める。

夢子は通行人に道を聞かれたり、見ず知らずの年寄りに話し掛けられたりすることが妙に多い。姉弟二人で歩いていても、なぜか夢子だけ話し掛けられることが昔から不思議である。

そんなに(夢子だけが)親切そうに見えるのだろうか。それともお人好しとか、断らなさそうとか……いっそナメられているのではないか。

柱にもたれて待っていると、しばらくして夢子が「待たせたな」と小走りで駆け寄ってくる。

「飴、もらった。一個やるから感謝しろ」

右手で差し出したのは黄色いパインアメ。

「おう、サンキュ」

「あの子たち、関西から遊びに来たんだって」

適当に頷くと個包装を破り、穴の開いたリング状の一粒を口中へ放り込む。どこか懐かしさを感じさせる甘酸っぱさが広がった。夢子も満足気に口内で転がしている。

歩き出した途端、なにかしらのゴミをパンツの尻ポケットに捻じ込まれたことは無視するとしよう。



ここ・ワールドポーターズに限らず、クイーンズスクエアや百貨店内の〈夢子お気に入りショップ〉は大方頭に入っている。今日はどの店から行くのか問おうと口を開いた途端、背後から「小早川さん!」と弾んだ声を投げられ――姉弟二人が同時に振り返る。

こちらへ手を振りながら高いヒールの靴で駆け寄ってくる、今時の女性。見覚えは無いが、夢子の知り合いだろうか。隣へ視線を遣ると、夢子は満面の笑みを浮かべながら手を振り返し「偶然だね、買物?」と女性へ話し掛けている。

「はい、カレと待ち合わせで。お休みの日に会うの珍しいですよね。……もしかして、こちら彼氏さんですか?」

「いやいや、弟。ごめんね、愛想なくて」

「そうなんですか、すみません。こんにちは、小早川さんにはいつもお世話になってます」

どうも、と会釈した途端。傍らの夢子が「じゃ、またお店でね」とあっさり会話を切り上げる。顔を上げると女性は既に背中を向けており、突然吹いた木枯らしのような出来事に思えた。



身体を翻し、迷いなく進む夢子を追い掛ける。先程までの笑顔はどこへ行ったのか、表情を作ることをすっかり放棄しているようだ。

「おい夢子。さっきのなんだよ、ニッコニコしやがって。外ヅラ良過ぎだろ、クソ姉」

「はァ?タダであたしの笑顔見ようとか何様のつもり。見たいなら金出せ愚弟」

本人同士は世間話のような感覚だが、刺々しい口調の応酬は傍から見れば喧嘩と取られかねない。すれ違うカップルが物珍しげにこちらへ視線を寄越す。威嚇の意味で男へ視線を突き刺すと、彼は慌てて目を逸らした。

「で、ATMの後はどこから行くんだ?昼メシくらいは奢れよな」

問いを受けた夢子はじろりとこちらを見上げ、心底呆れたように溜息を吐く。

「もう昼の話って。さっき朝メシ食ったとこじゃん」

「どうせ今日も散々歩き回るんだろ。すぐ腹減るって」

「じゃあどっか適当に決めて。あんたの食べたいもんでいいから」

「……絶対に文句言うなよ」

「なんでもいいよ。今は、ね」

どこか得意気に夢子が笑う。長い一日になりそうだ、と姉の隣で弟が溜息を零した。



姉模様 (2/2) #

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