青い車と6月の花嫁 (2/2)
温かな夜風に髪が踊る。
行きつけのヘアサロンで作ってもらったスタイル、それに合わせたメイク。きっと一人では再現出来ないだろう。
ヤビツ峠、頂上駐車場。
夢子は華やかな指先をピンと空へ伸ばし「結婚か」と呟いた。
「やっぱりまだ考えられないな。第一、相手も居ないし」
「なんてカッコしてんだよ、夢子」
小さな独り言に、背後から思わぬ反応。
右手を下ろしながら振り返ると、視線の先に居たのは大宮智史――[チーム246]のリーダーであり、夢子の友人でもある男。
いつもなら聞き逃さないNB8Cの"音"すら耳に届かなかったことに驚く。我ながら珍しく感傷に浸っていたのだろう。
夢子は足もとを見せ付けるように、ワンピースの裾を両手でふわりと持ち上げた。
「ちゃんとレーシングシューズですよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「じゃあ、どういう問題?」
ヒラヒラと裾をはためかせた夢子が小首を傾げる。
それを眺めていた智史は何か言い掛けるように唇を開きかけたが、言っても無駄だと思ったのか、小さく溜息を吐いた。
「海でも行くか」
「どっから海が出てくんのよ」
「夢子の服と車」
「?」
「海の色だ」
招待状を受け取った翌日に衝動買いしたマリンブルーのワンピースを見下ろし、思わず笑みが零れる。
「まぁいいけど……空腹でたまりません」
「メシ食ってこなかったのか?あのホテル、フランス料理で有名なんだろ」
「ちょこっとつまんだくらい。コンパ状態だったし。あ、お酒は飲んでないからね」
「そもそもお前下戸だろ」
夢子は頷き、小さなバッグから名刺の束を取り出すと「見てよコレ」とトランプの手札よろしく広げて見せた。知名度の高い、大手企業の社名がズラリと並ぶ。
それを受け取った智史は、印字をしげしげと眺めながら感嘆するように溜息を零した。
「すげーな、モテモテじゃん夢子」
さほど関心がないのか、夢子はGRBのフロントフードを撫でている。
愛しくてたまらないものに触れるような仕草で。
「あたしのコイビトはこのコだけよ」
「寒ッ」
「それは置いといて、早く行こーよ。おなかすいた」
「ったく、ここ来る前にどっかで食って来りゃ良かったろ」
「こんなカッコで適当なお店入れないし、ひとりで食べるのも味気ないし」
「……それじゃ真っ直ぐ帰れば良かっただろ。何しに来たんだよ」
「何って、智史に会えるかもって思ったから」
智史が呆気に取られたように口を開け、何度か目を瞬かせる。
硬直したような智史の手から名刺を取り返し、それをバッグへ突っ込んで夢子が振り返った。
「乗るの?乗らないの?」
「……乗り、ます」
「どーぞ」
助手席のドアに手を掛け夢子が笑う。
「お。夢子、これってブーケ?」
白を基調とした小さな花束を取り上げた智史は、物珍しそうにそれを眺めている。
「あ、後ろ置いといて。それ受け取ったら次の花嫁になるらしいよ」
「へえ、良かったじゃん」
「別に良かないよ。今は仕事と車が充実してるからさー」
「んなこと言ってたら一生独身だぞ?」
「それも一つの生き方だと思うけど」
「……そうかもしんねぇな」
夢子は静かに愛車を発進させた。車内は微かなロードノイズで満たされている。
「智史は結婚したいって思う?」
「まぁ、人並程度には。って言っても金ねぇしな」
「知ってる。あたしさ、なんとなくで結婚するのは嫌なのよね」
「なんとなく?」
「ガツンと手応えがある恋愛の先に在ってほしい、って……でもコレってワガママかね」
「いいんじゃないか。夢子らしいと思うぜ」
「褒め言葉として受け取るわ」
夢子は唇に笑みを浮かべ、4速へ放り込んで5速へ繋ぐ。しなやかにシフトチェンジを繰り返す夢子の左手を見遣り、助手席で智史が問うた。
「なあ、夢子。お前、走ってて楽しいか?」
「はぁ?何それ」
「一歩間違えたら、死ぬかも知れないんだぞ」
「重々承知の上よ。智史と一緒なら、それもイイかもね」
まだ死にたくないけど――と、アクセサリーを選ぶような口調で夢子が呟いた。
「あたし今死んだら絶対成仏できないよ。やりたいコトなんか、いっぱいありすぎてわかんないし」
「例えば?」
「ん〜……仕事以外だったら、アレかな。プロジェクトD」
「ああ――」
「神奈川は厳しいってコト、教えてあげなきゃいけないじゃない」
「おい、夢子が走るつもりか?」
「冗談。あたしは傍観者よ。下りは智史でしょ?上りはコバのエボか34あたりかな。あ、FD対決でも面白いかも」
「ったく、面白がってんなよ。コッチは真剣なんだから」
「失礼な。あたしだって真剣よ?」
「どうだか」
ふ、と互いに笑みが零れ、それはひどく穏やかに車内を漂う。
心地良い沈黙を、智史が突然終わらせた。
「夢子。俺と、してみるか」
「するって何を」
「ガツンと手応えのある、恋愛ってやつ」
「は――」
夢子は進行方向を向いたままで笑いかけたが、うまく笑みが出てこないのに気付いた。
自分が動揺していることに気付き、それがまた大きな動揺を誘う。
「……やだな、からかわないでよ。そんな冗談、智史らしくない」
「俺は本気だ」
声色から察するに、それは本当だ。彼が恐ろしく真剣だということを知る。夢子はステアを強く握り締めた。ネイルチップの先端が掌へ食い込む。
左手の甲の辺りに視線を感じ、ひどく落ち着かない気持ちが背中を這った。
「智史のこと、友達だと思ってんのに……変に、意識させないで」
「上等。夢子は俺のことだけ考えてろ」
「……、あのさ、」
「何だ」
「……あたし、智史のこと好きだよ」
「ああ」
「でも、その……け、結婚を前提にっていうのは、えっと……」
「んなの気にしなくていい。急がねぇよ、俺は」
智史はフイと視線を逸らし、おもむろにパワーウィンドウのスイッチへ触れる。
潮の匂いを遠くに含んだ風が流れ込み、車内の空気と夢子の心を揺らした。
「智史」
「ん」
「……ありがと」
「こちらこそ」
相好を崩した智史が、ふと思い出したように呟く。
「夢子さ、その格好俺に見せたかったんだろ」
「は?」
「だから髪も服も爪も化粧もそのまま、会場から直行した」
「ふむ」
「着替え持って来るだけで済むのにな」
「いやーそれは気づかなかったな〜。……あ、コンビニ寄るよ」
智史の返答を待つことなく、ウィンカースイッチに手を掛けた。
駐車場へ停車させたGRBのエンジンを止め、夢子はシートベルトを外す。店内の照明がGRBを煌々と照らし、智史が助手席で苦笑を漏らした。
「夢子」
「え?」
「すっげー顔赤い」
「……っ!」
「首まで赤いってどういうことだよ」
「あーあー!聞こえない!」
運転席から飛び降りた夢子が、助手席の智史をキッと睨む。
「智史のオゴりだからね!」
車体の振動が智史まで伝わる程乱暴にドアを閉め、自動ドアへ駆けていく。華やかなワンピースとは不釣合いな、履き古したレーシングシューズの後姿。
店内に駆け込んだ夢子の姿は既に見えなくなっているけれど、多分唇をきつく結んで居るだろう。焦った時や恥ずかしい時に出てしまうらしい、夢子の癖だ。
本人が気付いているかどうかは分からないが――智史は片頬に笑みを浮かべ、助手席のドアを開ける。
温い空気で深呼吸を一度。
ドアを閉めようとした左手が止まった。後席に置かれた白いブーケが視界を掠める。
智史はしばらく考えを巡らせるように動きを止めていたが、静かにドアを閉めると青いGRBに背を向けた。
彼女は願う。全ての花嫁と花婿に、神の祝福があるように。
(Happy Wedding to the best couple!!)
[青い車と6月の花嫁] END.
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お題:ブーケ
2008/06/30 up.
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