青空、稜線、筑波山。(2/2)
テーブルへグラスを置いた夢子は、きれいに平らげたランチプレートの上へ紙ナプキンを置いた。その直後、自分の名を呼ぶ声に振り向く。

夢子

「父さん――」

「よ、城ちゃん」

「……よ、じゃないだろう。何やってるんだ」

「見て分からんか?」

肩をすくめる星野をあっさりと無視した城島は、娘を見下ろして低く言った。

「まったく。連絡一つ寄越さないで」

「なんで、ここ……」

自分を見上げる夢子の視線は、純粋な驚きに満ちている。城島はひどく居心地悪そうに眉根を寄せた。

「ケータイのGPS機能だろう。違うか?」

黙り込んだ城島を見遣り、星野が夢子へ投げ掛ける。

かなりの精度で居場所を知ることができるのだと説明すると、夢子は感心したように首を幾度か揺らした。

「帰ってこないから心配で駆け付けた、ってとこか。過保護だなー」

「…………」

「なぁ、夢子ちゃん」

「ねぇ、好ちゃん」

「――どういうことだ!」


取り乱す父を見たのは初めてで、ひどく可笑しかった。


「まぁまぁ。あんまり怒鳴ると血圧上がりますよ、城島センセイ」

「……夢子に変な事吹き込んだり、してないだろうな」

「変なコトってどんなコトですかねぇ」

「帰るぞ、夢子

「あ――待って」

傍らの椅子に置いていた鞄から財布を出そうとする夢子を、城島は右手で静かに制した。

「父さん?」

「好ちゃんは、女性には1円たりとも払わせない。そうだろ?」

「モチロンそうだとも」

ひどく真面目な表情を浮かべ、星野が大袈裟に頷く。

不安げに父を見上げると、父も軽く頷いたので――夢子は財布をしまって星野へ頭を下げた。

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」

「いやいや。それより夢子ちゃん、また遊ぼうな」

そして放たれたウィンクは盛大で、夢子は吹き出して頷く。

「約束ね、好ちゃん」

「ああ。約束だ」

ひらひらと手を振る友人の子供は、ひどく大人びて見えた。



「まったく、大きくなったもんだよなぁ。……オレも年取るわけだ」

並んで歩く2人の背中を見遣り、星野は苦笑を含めて溜息を吐いた。



「好ちゃんは、世間を2種類に分類してる。"女性"と"それ以外"だ」

「……え?」

父の言葉が理解出来ず、夢子は助手席で聞き返した。

「何それ、どういうこと?」

「分からないならいい」

「全然わかんないよ」

赤信号で停車した父の愛車――S2000の助手席で、夢子は眼前の横断歩道を眺めている。


夏休みに入ったばかり、浮かれた足取りの――制服姿の学生達。他人から見たら、自分もそう見えるのだろうか。

間も無く信号が青に変わり、夢子は思い出したことを父へ聞いた。

「今度、プロジェクトDっていうチームとバトルするんでしょ?」

「そんな事まで言ってたのか」

「ほかにも聞いたよ。散々夜遊びしたとか、昔も今も筑波最速は俺達だとか」

「……好ちゃんは大袈裟なんだ。話半分と思え」

「私もつれてってよ、筑波山」

「駄目に決まってるだろう」

「じゃあいいよ。好ちゃんにつれてってもらおー」

「却下」

「……18になったら免許取って、自分の車で行く」

「高校生が何を言う。免許取るのも車買うのも、幾ら掛かると思ってるんだ。俺は援助しないぞ」

「うー……」

言葉に詰まった夢子が、悔しさを代弁するかのように膝の上の鞄をポスポスと叩いた。

駄々をこねるようなその仕草を、運転席の父が柔らかく見遣る。

「――夢子と話すの、久し振りだな」

「え?毎日話してるじゃん」

「いや……何て言うのかな。俺のこと、避けてただろう」

「べつに避けてたわけじゃ、」

否定してみたものの、思い当たる節が有り過ぎたため、夢子はそっと口をつぐむ。

「……ごめんなさい」

夢子はそんなに素直だったか」

「素直だよ」

互いに苦笑し、車内に穏やかな空気が漂った。



「ただいま」

「ただいまー」

「おかえり。すぐ見付かったのね」

玄関のドアを開けた夢子は靴を脱ぐことさえもどかしく、早口で母へ問うた。

「母さん。私、大学受かったら免許取ってもいい?」

「いいわよ」

「え、いいの!?」

「教習所も車も、夢子名義の貯金が――」

「母さん!!」

うろたえるような声が後方から上がり、母はようやく自分の失態に気付いたようだ。

「いけない。夢子が3年になったら教えるんだった」

「それ、ほんと?」

「今の聞かなかったことにして。あなた、ご指名ですよ」

「……分かった」

ぽかんと口を開けた夢子は、慌てて靴を脱ぎ父の背中を追う。

「父さん、今の本当?貯金て何?昔、私から巻き上げたお年玉貯金?」

期待を込めた夢子の眼差しが非常に痛い。

「……何も言うな、夢子

「そんなぁ〜」

「城島先生」

「今行く」

「あ、私手伝う」

夢子が顔の近くで右手を広げた。

「それじゃ早く着替えてらっしゃい」

「はーい」

城島は階段を駆け上がる夢子の後姿を見遣った。そして気付く。愛娘――夢子が、あの頃の妻に似てきたことに。

夢子、好造さんと居たの?」

「ああ。しれっと食事してたよ。まったく、何のつもりだか……」

「妬いてる?」

「馬鹿な、」

夢子があんな風に笑うの、いつ以来かしら」

「……少し、話をしたんだ。夢子と、車の中で」

「へぇ、良かったじゃない。好造さんに感謝しなきゃ」

「きみまでそんな事を言うのか」

城島はうんざりしたといった表情で溜息を吐き、手渡された白衣を羽織った。

苦い表情の城島を見遣り、妻は穏やかに微笑を揺らめかせた。

「いくつになっても変わらないものがあるのね」

「何が?」

「男の子同士の友情」

「……男の子、って……」

「昔と変わらないもの。好造さんのこと話すときの、あなたの顔」

「きみはそうやって、俺の事は何でもお見通しって顔をする」

「そんな私に惚れたのは誰だったかしら?」

「俺と――好ちゃんだ」

「ええ、そうね」

妻は勝ち誇ったように笑み、城島へ背を向ける。城島は妻の背中に視線を投げると、胃のあたりを押さえながら弱々しい溜息を零した。




温い風がするすると腕を撫でていく。夢子は帽子のつばを両手で押さえながら、空と山の境をゆっくりと視線でなぞっている。

晴れ渡った青空と、濃く茂る緑の山。ここはきっと――いや、必ず――特別な場所になるだろう。

嫌いだった自分の苗字、今では結構気に入っている。

晴れた空も、気の進まない講習も、全部を受け入れることにした。諦めとは違う、理解をもって。


夢子が振り返ると、父も同じように稜線を眺めていた。夢子の視線に気付いた父は、唇で笑んでみせた。

「母さんも来れば良かったのにね。せっかく休みなのに」

「ああ、そうだな」

「……あ、でも私がいたらジャマかな」

「邪魔?」

「だってココ、ふたりの思い出の場所なんでしょ?」

「――好ちゃんだな。どこまで聞いた」

「秘密〜」

散歩に行こう、と夢子を誘ったのは父だった。母に声を掛けたところ、あっさりと断られたのだと言う。

夢子は日除けの帽子を手に取り「筑波山だよね?」と笑った。

「私が免許取ったら運転させてね」

夢子がS2000を指すと、父は煮え切らないような表情を浮かべたが――しばらくしてから小さく頷いた。

「教習延長なし、学科も一発で取れたら考えてもいい」

「やった!がんばるよー。好ちゃんの34も予約したし!」

夢子、好ちゃんに懐きすぎじゃないか」

「なにそれ。やきもち?」

「……親をからかうんじゃない」

「はーい。ごめんなさい」


小さく肩をすくめて夢子が微笑う。許しを乞うつもりなど毛頭無い顔だ。


「一つも反省していないだろう、夢子

「何言ってんの。娘を信用してください」

父は呆れたように首を振ると、再び筑波山が夏空へ描く稜線に視線を移す。


短い影を連れて歩き出した夢子の帽子が、突風に舞い上げられる。

慌てて帽子を追い掛ける夢子を見遣った城島は相好を崩し、娘の後姿を追った。





[青空、稜線、筑波山。] END.

青空、稜線、筑波山。(1/2) *

お題:晴天

2008/08/24 up.


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