止ん事無き事情と愛情全部盛り(2/2)
「おつかれさまでーす」

3限終了後、夢子が駆け込んだのはバイト先の『昇竜軒』。平日昼のピークを過ぎたこの時間帯は、夕方まで客足もまばらだ。

出前と食器回収に行く副店長(店長の奥さん)と入れ替わるようにバックヤードでまかないを平らげ、手早く食器類を片付けていく。

歯磨きの後、ミントタブレットを噛み砕きながらエプロンの裾を払い、シャツの袖をぐいとまくる。さて、今日もがんばりますか。

気合を入れたところで、からからと引戸を開ける音が聞こえた。間髪入れずに大声を張り上げて振り返る。

「ィらっしゃ――せぇ!?」

来客が〈誰〉か分かった途端、語尾が半端に上がってしまった。厨房の奥から、店長が訝しげに出入口を見遣る。

(あ、秋山さん……!)

おしゃれ美容室の店長さんが、ラーメン屋に来てくれるなんて思ってもみなかった。この間「店に行きます」って言ってくれたの、ただの社交辞令じゃなかったんだ。

「お……お好きな席へどうぞ」

ぎくしゃくと右手を挙げる。彼は軽く頭を下げ、奥のテーブル席へ着いた。レモンを絞った炭酸水とか似合いそうだな、と思いながら、浄水器を通した水で満たされたグラスとおしぼりをテーブルへ置く。

「ご注文お決まりの頃お伺いします」

卓上メニューを眺めていた秋山さんが「すいません」と手を挙げた。注文票を手に早足で駆け寄った夢子を見つめ、微笑をくれる。

「醤油ラーメンを」

「はい、醤油ラーメンですね」

「これもお願いします」

差し出された一枚の紙片を受け取る際、指先が触れ合ったように感じた。以前夢子が渡した『トッピング全部盛りサービス券』だ。『ご注文の際にお渡しください』と表記されている。

「はい。醤油ラーメン全部盛り、少々お待ちください」

厨房へ注文を通す。壁掛けテレビから流れる再放送ドラマをBGMに、店長が腕を振るい始めた。



「上がったぞ」

「はい!」

丼をトレイへ載せようとした夢子の手が止まる。目の前で湯気を上げる、トッピングが全部入った醤油ラーメン。と、半チャーハンに餃子。ラーメン以外の注文は通していないはずだけど。

半信半疑で「店長」と声を上げると、じろりと目線が返ってきた。

「半チャンと大葉餃子、サービスだ。早く持ってけ、冷める」

あざす、と一礼した夢子が手早く配膳準備に取り掛かる。

「醤油ラーメン全部盛り、お待たせしました」

テーブルに並べられた丼と皿に、彼が目を見張った。

「これは……」

「半チャーハンと大葉餃子は、店長からです。よかったらどうぞ。この餃子、ニラもニンニクも入ってないので、お仕事前でも大丈夫だと思います」

ぺこりと頭を下げた夢子へ、彼も軽く会釈を返す。そして厨房へ「いただきます」とよく通る声を投げ掛けたところ、店長が「おう」と答えた。

ぎこちない足取りで戻ってきた夢子へ――小声のつもりだろうか、無駄にいい声で店長が問い掛けてくる。

「あいつ、食いっぷりいいな。彼氏か」

「ちッ、ちがいますよ全然ちがいますから!お客様の前でそういうのやめてください!」

思い切り手を振ってひそひそ声で否定すると、カウンターの角に肘がぶつかった。声も出せずにうずくまる夢子へ「なにやってんだか」と呆れ声を放り、一仕事終えた店長はカウンター上の新聞をばさばさと広げる。


割箸や調味料など、各テーブルの補充はもう終わっている。その他、話し掛けるタイミングとしてはお冷を注ぎに行く時だけど、テーブルにポット置いてあるから各自でご自由に、だし……。

食べてるところ見つめるのも失礼だろうし……近くでうろうろされても邪魔だろうし……。結局、近付けない。悶悶とカウンターを拭いていると、かたん、と椅子の音。え、結構食べるの早いんですね。ちょっと意外です。

「お会計お願いします」

「――はい。伝票、お預かりします」

レジスター操作中、キャンディの入ったカゴを「よかったらどうぞ」と指した。ミントキャンディをひとつ、口内へ放り込む仕草を視界の端で捉える。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました……」

引戸が閉められた瞬間、厨房へ「すみません、休憩いただきます!」と怒鳴っていた。しっし、と店長が手を振る。


「秋山さん!」


吐息が白く立ち昇る。呼び掛けに振り向いた彼のもとへ駆け寄った。

「……あの、ほんとに来てくれると思ってなかったので、びっくりしました」

「約束しましたから。でも本当に、おいしかったです。常連になりたいくらいですよ」

「店長に伝えます。喜びますよ、きっと。顔怖いけど」

ふふ、と苦笑めいた吐息がふたつ零れる。

「おでこ、出すのも可愛いですね」

三角巾で引き上げた前髪の生え際、額へ温かな指先が触れる。愛しいものに触れるような彼の手つきはとても優しい。自分を見上げたまま硬直している夢子に気付いた彼が「すみません」と小声で呟き、軽く頭を下げた。

「ま、またお越しください!」

にこりと笑みを浮かべ「ありがとう」と返してくれる。今、この笑顔は私だけのもの。彼のなにもかも全部をひとりじめしたいなんて、無謀すぎる願い……だけど。


「今度は俺から、誘ってもいいかな。お酒は大丈夫?」

「――あ、いえ、まだ未成年なので……。早生まれなんです」

そっか、と呟いた秋山さんが、なにやらこちらへ差し出した。両手で受け取ったのは名刺。この前、お店でも貰ったのに?

「前の名刺はお店用だから、着付けやメイクの依頼はそちらへ。これはプライベートなんで、気が向いたら連絡ください」

「あの……なにかこう……用事とかがないと、連絡してはいけないですか」

恐る恐る訊いてみると、秋山さんは「全然」と笑った。

「世間話でも愚痴でも、暇つぶしにでも使ってくれていいよ」

「そ、そんな気軽な感じで……?」

「うん、気軽な感じで。俺、もっと夢子さんと話してみたいんだ」

落ち着きなく小刻みに揺れていた夢子の動きが止まる。ぐるぐるぐるぐる考えて、このまま会話が途切れてしまうのが怖くて。

「……私も、です」

精一杯の言葉は短く途切れた。なにか言わないと――俯き、唇を結ぶ。ああもういやだな、今ぜったい顔赤い。

「それじゃ、また。連絡待ってます」

「あ……ありがとうございました……」

間も無く、店舗裏手の駐車場から銀色の車が遠ざかっていく。信号待ちの間、運転席から手を振ってくれる彼へ慌てて会釈を返した。信号を左折していく車体がすっかり見えなくなったところで、平静を装っていた心臓が騒ぎ始める。



俯きがちに店内へ戻ってきた夢子の顔が明らかに赤いのは、どうやら降雪間近な外気温のせいではなさそうだ。

「どうした。熱でも出たか」

「あ、いえ……あの、店長。私、ここでバイトしててよかった、って思いました」

「そいつはよかったな。これからも頼む」

「……はい」

名刺を入れたエプロンのポケットにそっと手をあてる。それだけで、こんなに前向きな気持ちになれるなんてふしぎ。

器を下げテーブルを拭いていると、店長が生活情報番組にチャンネルを変えた。お気に入りの女性パーソナリティが登場する曜日だ。手が空いた夢子も『お出掛け情報』を見るともなしに眺めていると、引戸の開く音。

「いらっしゃいませ」

出入口へ、普段より二割増しの笑顔を向ける。ご近所の常連さんが、定位置のカウンター席へ腰を下ろした。

夢子ちゃん機嫌いいね。なんかいいことあった?」

「どうでしょー。ご注文は、いつものセットですか?」

「うん。よろしく」

「はい、少々お待ちください。先にビールお持ちしますね」

壁の時計をちらりと見遣る。そろそろ混み始める時間かな。

笑顔を教えてくれた秋山さんのことを見習いたいと思う。ひとついいことがあって、すこし、いいほうに進めた気がした。

「お先、ビールです」

瓶ビール、栓抜き、グラス。カウンターへ置いたところで厨房から「上がるぞ」と声が飛ぶ。

「はい!」

妙に張り切ってるけど、私こんなに単純だったかな。改めて向き合うとなんだかおかしい。抱えたトレイで緩む口元を隠した。浮かれているせいか足取りは軽く、どこまでも行けるような気さえする。


「お待たせしました」

夢子がとびきりの笑顔を咲かせた。お客様のため、それから、自分自身のために。





[止ん事無き事情と愛情全部盛り] END.

止ん事無き事情と愛情全部盛り(1/2) *

お題:独り占め

2014/01/01 up.


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