止ん事無き事情と愛情全部盛り(1/2)
小春日和の午前10時、太陽光がさんさんと差し込むカフェテリアの隅。

「おはよー夢子。これあげる」

年末年始のシフトスケジュールに悩んでいるらしい、手帳を広げて唸る夢子の肩を友人が叩く。眼前に差し出された名刺サイズの紙を受け取った夢子は、まじまじと文面を追った。

「ご紹介チケット……。ヘアサロンって、床屋さんのおしゃれバージョン?」

「……うん……まあ、そんな感じ。夢子、よくタダ券くれるでしょ。トッピング全部盛りとか、餃子とかの。そのお礼ってとこかな」

「あれ、山ほど押し付けられてるんだって。貰ってくれるだけで助かるんだから、気にしなくていいのに」

「まぁまぁ、いいからいいから。いつも近所の床屋なんでしょ?そこの美容師さん、みんな巧いから試しに一回行ってみなって」

「ん、ありがと。行ってみる」

購買へ行くと言う友人へ手を振った。だいぶ伸びてきた前髪を指先で弄りながら『ご紹介チケット』を眺める。

お店までそんなに遠くはないみたいだし、高額でもなさそうだ。そろそろ髪を切ろうと思っていた頃だから、タイミング的にはよかったのかも。髪型や床屋さんに特別こだわりはないけど、たまには違うところで散髪するのも気分転換になるかもしれない。

あとで予約の電話を入れておかないと。チケットを手帳に挟んで、スケジュール調整を再開する。





予約時間の数分前。ガラス扉を開けると、きれいな女の人が二人揃って「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えてくれた。

「ご予約の田中様ですね、お待ちしておりました。お荷物お預かりしますね」

「お掛けいただいて、こちら太枠の中へご記入お願いします」

身ぐるみ剥がされて渡されたものは、バインダーに留められた顧客カルテとボールペン。ソファに腰掛けペンを滑らせる。

女性誌、デジモノ雑誌、漫画雑誌、インテリア雑誌、経済雑誌、絵本……ちらちら視線を送るマガジンラックはラインナップ豊富だ。


「お待たせいたしました」


男性の声が降ってきて顔を上げる。指名予約の入っていない時間帯だから、と店長さんが担当してくれることになった。

「秋山です。よろしくお願いします」

田中夢子です。あの、よろしく、おねがいします」

「こちらこそ。今日はカット、トリートメントということで……ああ、田中さんはお友達からの紹介でいらしたんですね」

傍らの丸椅子に腰を落とした彼が、記入済のカルテに目を通す。

「私がよくバイト先の無料券を渡してるので、そのお礼みたいなかんじだそうです」

「バイト、何してるんですか」

「ラーメン屋さんです。昇竜軒っていうお店で」

「へえ、じゃあ看板娘だ」

「いやそんな。えっと、こちら、美容師の皆さんお上手だと聞いて……」

「それは嬉しいな。ご期待に添えるよう、努力します」

秋山さんはニコニコと人当りの良さそうな笑顔をこちらへ向ける。

「こんなふうにしたいってイメージ、ありますか」

「ええと……バッサリ切るかんじじゃなくて……」

自分の中にある、ぼんやりしたイメージをもたもたと言葉にする。こういう時のために女子は普段からファッション誌やヘアカタログ誌なんかで情報収集してるのか。こんなかんじで、って切り抜きとか見せちゃうのか。

きっと〈話す〉よりも間違いなく伝わるんだろうな。今の私みたいに、丸腰でへろへろ特攻するようなこともなくて。

散らかった希望を聞いてくれていた秋山さんはラックから取り出したヘアカタログをぱらぱらめくり、とあるページの写真を指差した。

「こういうイメージが近いかな」

「……あ、はい……」

「わかりました。これをベースに、田中さんに似合うスタイルにしていきますね」

なんか、察してもらってすいません。そんなことを思いながら「おねがいします」と頭を下げた。

「シャンプー台へどうぞ」

立ち上がった秋山さんの後ろについて歩いていく。背、高いひとだなあ。


それにしても。髪を洗ってもらうのって、なんでこんなに気持ちいいんだろう。軽やかに躍る指先に、身体の力がふにゃふにゃ抜けていくみたい。秋山さんをひとりじめしてるみたいだな、なんて思ってしまう。

ちゃぷちゃぷ、さらさら、流れる水音を聞いていたら心地良くて。ごく短時間、寝てしまったらしい。店内に声が響いていることに気が付いた。

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませぇ」

――――お客さんだ。声、出さないと。元気だけが私の取り柄って、店長にも言われてるんだから。

「ぃらっしゃいませー!」

声を上げて勢い良く体を起こした途端。自分が美容室のシャンプー台に居ることに気付いた。

幸い、水が垂れてくることはなかったが――顔に掛けられていたガーゼみたいなものがひらひらと足元へ落ちていく。

店内の視線が全部、私に突き刺さっている。美容師さんも、お客さんも、今来たマダムも、まるで異質なものを見るようにじっと。……私、大ピンチです。


神様……仏様……ああもうこの際誰でもいいから、今すぐ私をここから消し去ってください……!


「らっしゃァせー!!」

体を震わせる程の大声が、頭上から降ってきて驚いた。頭上……ということは、あの穏和そうな店長・秋山さん、ですか?

店内に響き渡った声につられるように、あちこちで声が上がる。マダムは微笑いながらコートを脱いだ。

「今日はずいぶん元気がいいのね」

「お待たせいたしました。お荷物お預かりします」

「ご案内いたします。こちらへどうぞ」

店内は何事もなかったかのように、元通り。彼に促された夢子が背もたれへ身体を預ける。

「……すみません。助かりました」

「いえいえ。今度行きますよ、昇竜軒」

「ほんとですか、ありがとうございます」

ほっと安堵の溜息が零れる。



「ではお席へご案内します。足元お気をつけください」

スタイリングチェアに腰を落とすと身体が回転し、ふぁさりと白いカットクロスに包まれた。

「お首、苦しくないですか」

「だいじょぶです」

「ではブローしますね。熱かったらおっしゃってください」

てるてる坊主みたいな自分と向き合うのは苦手だな。鏡の前に積まれた女性向け雑誌へちらりと視線を送る。

業務用らしきドライヤーを操る手元をぼんやり見ていると「熱くないですか」と耳元で問われ、慌てて頷いた。

指先の動きに合わせて毛束が舞うのを観察すると、濡れていた髪があっという間に乾いていくのがわかる。さすがプロ御用達、いつも使っているドライヤーよりずっと強力だ。

風音が止み、傍らのスツールに腰を落とした秋山さんが腰のあたりから銀色の鋏を取り出した。店内の照明を受けて光る、きれいな鋏。

「カットしていきます」

ふっと、声色が変わったように感じた。髪に触れる指と刃先を信じようと――信じられると確かに夢子は思う。




お疲れ様でした、とクロスが外された。カウンターへ促されて歩く自分は、一時間前とはちょっと別人。ちゃんとしたとこで髪切るのって大変なんだな。気持ちよかったけど。

預けていたダウンジャケットを背後から着せてもらう……これ、普段されないからなんだか気恥ずかしい。

お会計を済ませ、お釣りと一緒に受け取ったのはメンバーズカード、紹介チケット、それから秋山さんの名刺。小ぶりの紙袋が一つ、カウンターに置かれた。

「こちら、ホームケア用トリートメントと、ご紹介特典のヘアケアセットです。使ってみてください」

「はい。あの、これ。良かったらどうぞ」

財布に入れていた、ありったけの無料券を差し出した。秋山さんは驚いたように「こんなに沢山、いいんですか」と尋ねた。

「ええと……貰ってやってください……」

「それじゃ、遠慮なくいただきます」

扉を開けてくれた秋山さんは最後まで笑顔だった。接客業の鑑、見習わなければ。

「ありがとうございました。またのご来店、お待ちしています」

「どうも、ありがとうございました」

「お気をつけて」

すっきりした頭、サラッサラの髪。店外へ出ると風が冷たく吹き付けた。駐輪場に停めていた〈愛車〉も、すっかり冷えているようだ。バッグや紙袋は前カゴへ。颯爽とサドルをまたいだ夢子は、足取り軽くペダルを漕ぎだした。



止ん事無き事情と愛情全部盛り(2/2) #

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