命短シ恋セヨ乙女
「慎一、友達なんだって?ったく、お前も隅に置けねぇな……。よろしく、夢子ちゃん」


一目見て好きになった人は、赤いロードスターに乗っていて、背が高くて短めの黒髪で――

それまで漠然と思ってた"好きなタイプ"にど真ん中でした。

(あたしにとっては)非常に残念なことに、ずっと付き合ってる彼女がいるんだそうです。

だけど、それでも。目が合ったとき、話し掛けてくれたとき。あたしはトオルさんに"恋"をしているんだと実感します。



「――慎一、見た!? 今、あたしに手振ってくれた!超カッコい〜!トオルさんはいつもカッコいぃけど!!」

「はいはい」

汗をかき始めたポカリ缶をガスガスと上下に振りながら、慎一は適当に相槌を打った。

夢子は顔を赤くして、嬉しくてたまらないとでも言うように口元を緩めている。

彼女が見つめているのは少し離れた場所に居る長身の男性――末次トオル。慎一が憧れている人。こちらへ背を向け、数人で話をしているようだ。



『それ、ワンエイティだよね?』

大学の駐車場で"彼女"に声を掛けられ、うっかり意気投合したのが間違いだったのだろうか。

『いつもどの辺走ってるの?』

ここ・富士見台駐車場へ連れて来たその日――夢子と名乗った彼女は、よりによってトオルさんに惚れやがった。

トオルさんには彼女がいるんだから諦めろ、という忠告は聞き入れられなかった。

一途に恋する乙女には何を言っても無駄だと、慎一は身をもって知ったのである。

それ以来、夢子にせがまれて何度か連れてきたけれど、彼女のトオルさんへの恋心は収まるどころか逆に加速していくようだった。

目が合っただの、ほんの少しだけ手が触れただの――本当に些細なことを、まるで一大事のように報告してくる。いちいち聞かされる身になってみろってんだ。


初めて会った時、夢子の同乗を断っていれば、こんな思いをしなくて済んだのに……。

いや、最初に誘ったのは自分だったか。どっちにしろ、この状況は好ましくない。プルタブを起こそうとしていた左手を止め、慎一がぼそりと呟く。


「オレさ、前から夢子に言おうと思ってたんだけど」

「え、なに?」

弾んだ声がこちらへ飛んで、同時に何かを期待するような視線が刺さった。オレが夢子を傷付けようとしていることなど、夢にも思っていないだろう。

夢子の心情を察すると、ひどく残酷なことを言おうとしているのだと気付く。しかし思い改めるつもりはなかった。言葉は既に、唇から零れていた。



「お前、トオルさんのこと好きっていう自分に酔ってるだけなんじゃねーの」



その瞬間。全身の血の気が引いた――いや、地面へと急落した。夢子は確かにそう思った。ざあ、という音が皮膚の上から足元へ滑り落ちていくようだった。

強烈な眩暈のように視界が揺れている。夢子は自分の存在を確かめるように、ゆっくりと瞬きを繰り返す。


「――おい、どこ行くんだよ夢子

突然駆け出した夢子の背中に問うが、彼女の耳には届いていないだろう。

右手に握り締めている缶から滑り落ちた水滴が一粒、慎一のスニーカーに小さなシミを作った。



「……トオルさん」

頼り無げに震えた声で名前を呼ばれ、トオルは振り返った。


夢子ちゃん。どした?」

「あの、あたし、トオルさんが……っ、好き、なんです」

夢子からのあまりに真っ直ぐな視線と想いを受け、トオルは驚いた後で困ったように眉根を寄せる。



「ありがと。でもオレ彼女いるし、夢子ちゃんのことは何つーか……妹、みたいに思ってるから……その……、ごめんな」



ひどく哀しげな表情のトオルが「ごめん」と繰り返す。

「――ありがとうございましたッ!!」

夢子は勢い良く頭を下げたかと思うとそのまま3秒程静止し、今しがたの勢いのまま顔を上げた。


直後、トオルに背を向けた夢子は、半ばスキップするように慎一の元へ駆け寄った。

そしてポカリ缶を片手に硬直している慎一に向け、ヘラリと笑ってみせる。胸の奥につかえていたものが取れたような、妙にスッキリした気分で。

「慎一、ありがとね」

「……お前、それでいいのかよ」

「なによそれ」

「失恋したってことだろ。泣かねーの?」

「泣かないよ」

「バカ夢子。オレの前でカッコつけんなって言ってんだよ」

慎一が呆れるように呟いた途端、まるでそれを合図にしたかのように夢子の両目からぼろぼろと涙が零れる。

溢れる涙を隠そうとも拭おうともせず、夢子は唇を真横に結び、ただ静かに泣いていた。

不純物がひとつも含まれない涙がこんなにも美しいということ――慎一は初めて知る。

泣いている"女友達"を目の前にして突っ立っている自分に、何が出来るだろう。何一つ思い付かなくて焦る。


すんすんと鼻を鳴らした夢子は、頬を伝って顎へ流れた水滴を手の甲で拭う。独り言のように零れた言葉の端が、慎一の心臓をちくりと刺した。

「慎一が、いてくれてよかったな」

「……オレ、何もしてねーだろ」

夢子は首を左右に振った。

「さっき、あたしの背中押してくれたじゃない」


あれは、オレが横に居るのにトオルさんばかり目で追う夢子にイラついたから、意地悪してやろうと思っただけで。

夢子のためを思って、だなんて大きな誤解――買い被りもいいとこだ。


「……悪かったよ」

「なにが?なんで慎一が謝るの?」

夢子が、トオルさんに……フラれたの、オレのせいだろ」

「違う。……ほんとに、奈保さんのこと好きなんだよ、トオルさんて」


真剣な声色に面食らい、慎一は言葉に詰まって俯いた。夢子は目尻を拭いながら、細い溜息を吐いた。


「あんな風にさ、いつまでも想ってもらえるの……いいなあって思うんだよね」

「……ああ」

「いつかあたしも、そんな人と会えるかな」

「会える」

「うわ、言い切るね」

「つーか、もう会ってるかもしんねーじゃん」


どこか投げ遣りな慎一の言葉を受け、意表をつかれたように目を見張り、夢子が呟いた。


「そっか……そうだよね、うん」

「は?何だよ夢子。一人で納得すんなよ」

「いーのいーの」

赤みを帯びた夢子の目元を見遣ると、夢子も慎一を真っ直ぐ見つめていた。



「……これ、やるよ」

言葉探しを諦めた慎一が缶を差し出すと、夢子はそれを受け取って「いただきます」と笑った。

束の間触れた、夢子の指先の柔らかさ。それに深い意味があることに気付いた慎一は頬を掻く。

「参ったな。一大事だ」

「なにが?」

「いや、コッチの話」

「余計気になるって」


缶を上下に振りながら、夢子が呆れたように笑う。炭酸飲料以外は振ってから開ける、という夢子の癖が、いつの間にか自分にも染み付いていることに気付く。


「――夢子

「なに?」

「乗れよ」

親指で愛車を示すと、夢子は顔をほころばせて「乗るよ」と頷いた。直後、缶を片手に夢子が駆け出し、慎一が慌てて後を追う。

助手席のドアの手前で急停止した夢子は、不意に振り返るとトオルへ大きく手を振る。

トオルが右手を挙げるのを見受け、夢子は満足そうに微笑い――静かに手を下ろした。

「……いいのか、夢子?」

「うん。大丈夫」

慎一の問いに夢子はしっかりと首を縦に振り、缶を両手で握り締める。横顔に決意の色が滲んでいた。


「行こうぜ、夢子

「行こうか、慎一」

夢子がニコリと笑い、慎一もつられて笑みを浮かべる。


心臓の高鳴りを静めようと深呼吸をした慎一は、夢子のために助手席のドアを開けた。





[命短シ恋セヨ乙女] END.

お題:恋する乙女

2008/08/11 up.

続編.恋スル乙女(と石と鋏と紙と。) #


S.S.R||0:top