Midship Runabout 2personS (1/2)
午前4時半は深夜か、それとも早朝か。季節や生活スタイルによって、時刻への印象は異なるかも知れない。


国道120号、いろは坂。カーブの合計は48箇所、いろは順に48文字を当てられている。

馬返へ向かう上り線"降り坂"の第一いろは坂に28箇所、中禅寺湖へ向かう下り線"登り坂"の第二いろは坂に20箇所。

登り坂と降り坂、上り線と下り線。ただの有名観光地、という認識を持つ人との会話中、互いの思い違いに気付くこともある。


高校生の頃はバイクで、18歳になってからはMR2で。免許を取ってから今まで、公道ではここを一番多く走ってきた。云わば地元だ。

紅葉の時季ともなれば、週末は地獄絵図と表現するに相応しい混雑を見せる。だが、夜と朝の境界とも言えるこの時間になれば交通量はゼロに近く快適だ。

眠気で集中力が途切れそうになったカイは、あくびを噛み殺しながらブレーキペダルを蹴った。



珍しいことに、日付が変わってからは"皇帝"達とも会っていない。

もう一度あくびを漏らしかけた刹那――チラリと視界を掠めたのは、前方のテールランプの灯。

後方のカイを誘うように揺れ、ゆらりと闇へ溶けていく官能的な緋色。



カイは迷うことなく標的を決めた。普段より好戦的になっている自分に気付く。



それから間もなくカイが捕えたのは、しなやかに走るMR-Sだった。

標的と決めたその車、カイはすぐ後ろに張り付いてライトパッシングを始める――どうか停まって欲しいという願いを込めて。

ここは明智平より手前。もうすぐ黒髪平が見える筈だ。

今引き止めなければ、次はいつ会えるか分からない。願いが通じたのか、黒髪平駐車場へ停まった赤いMR-S。静かに運転席のドアを開けたのは女性だった。


カイは乱暴にサイドブレーキを引いてMR2から飛び降りると、真っ直ぐに彼女を見据えた。

「オレ、小柏カイです。良かったら、名前教えてくれませんか」

「……田中……夢子

躊躇うように彼女はカイを見遣り、小声で名乗った。


深夜、車通りもないこんな場所、女性が一人。後方から散々煽られた挙句、声を掛けられたなら――恐らくこれが普通の反応だろう。

自分の行為を正当化するつもりはないが、"走り屋"である以上、性別も年齢もキャリアも関係ないとカイは思っている。

彼女のMR-Sは前期型。見た目はノーマルに近いが、挙動やエンジン音から本気で走っていると見て間違いない。

あえて、外観はそれと分からないようにしているのだろう。分かる奴にしか分からない種類のチューニング。



カイは彼女を真っ直ぐに見た。

田中さん――オレと、バトルしませんか?」

「イヤ」

カイの申し出は即座に拒否される。

「私、公道では安全運転だから」

「サーキットだったら、受けてくれますか?」

「…………」

「何処なら――」

「とにかく、イヤなの。ごめん」

夢子は早々と愛車へ乗り込み、カイを振り返ることなく走り去った。



「……完璧にフラれた……」

カイは溜息を零してMR-Sのテールを見送る。MR2のエンジン音だけが体に響いていた。



あれから一ヶ月経ったが、彼女――夢子――には会えないままだ。赤いMR-Sを探していることは、誰にも言っていない。"皇帝"なら、何か知っているかも知れない。

すっかり落葉した木々を眺めながらそう思ったものの、夢子のことは自分だけの秘密にしておきたかった。

時間が空くと国道120号へMR2を走らせ、当ても無いのに夢子を探している。お陰ですっかり睡眠不足だ。

目元をこすりながら大教室のドアを開けた。見渡すと、友人2人は既に最後列へ着席している。

「お、小柏。久しぶりだな」

「お前がサボってるからだろ」

「よう。旧車元気か?」

「うるせえな。元気だよ」

苦笑しながら最後列の端に座ると、程無くして2限開始のチャイムが鳴った。



「遅っせーな。講義時間て10分過ぎたら休講になるんだよな?」

教室の時計は10時54分。担当教授はまだ来ない。

「腹減ったー。小柏、昼何食う?」

「うーん……今朝パンだったから米かなー」



休講への期待が高まる中、突然ドアが開いた。一瞬にして、教室中がシンと静まる。



「何だよー。休講かと思わせといてギリで来るとかタチ悪いな。あと1分だってのに」

しかし入って来たのは白髪の老教授ではなく、スーツ姿の女性。学生達がざわめく中、彼女は壇上でマイクを手に軽く頭を下げた。

「教務課の田中です。教授の体調不良により、本日は休講となります。補講については各自掲示板で確認してください」

簡潔に用件だけを述べた彼女。マイクのスイッチを切ってスタンドへ戻すとまた頭を下げ、教室を後にする。

「ラッキー。つか補講かよ。めんどくせー」

「――おい、小柏!」

「悪い、また今度な」

鞄を引っ掴み、カイは教室を飛び出した。



夢子!」



大きなガラス窓から太陽が射し込む廊下。濃い灰色のスーツに身を包んだ彼女は、カイの大声に驚いたように振り向いた。

「――MR2の、」

「小柏です。覚えててくれたんですね」

「そりゃまぁ。ここの学生だったんだ。偶然だね」

田中さんこそ……職員なんですね。びっくりしましたよ。えっと、いつからですか?」

「今年の4月。私は課の中でも裏方だし、学生と直接は話さないから」

「そうなんですか」

「と言うか、私の方がびっくりしたんだけど」

「……え?」

「私の名前呼んだでしょ。苗字じゃなくて、下の名前」


1分も経たない、つい先程の出来事。それを反芻したカイは急に恥ずかしさを感じ、頬が熱くなったままで頭を下げた。


「――し、失礼しました!」

「別に気にしないから。てか顔赤いよ」

「……すみません」

「いいって。あ、お昼まだでしょ?私これから学食行くんだけど」

「オレも一緒にいいですか?」

「うん。そのつもりだった」

夢子がにこりと微笑った。



「……良かった」

「え?何が?」

「いや――オレ、田中さんにすげえ嫌われてると思ってて」

「嫌いな人ごはんに誘ったりしないよ」

「それなら、ちょっと安心しました。――あの、」

「バトルの話なら却下します」

「……すみません」

がっくりと肩を落としたカイを見遣り、夢子が柔らかく笑んだ。



「MR-S、もう長いんですか?」

「まぁねー。でもいろは坂の経験は長くないよ。時々行くくらいだし」


ガラガラの食堂、窓際の丸テーブルは特等席だ。トレイに載っている皿を指して夢子が促した。


「まだ箸つけてないから取っていいよ、小柏くん」

「オレが食いしん坊みたいじゃないですか」

「沢山食べて大きくなるんだよ〜」

「身長はもう伸びませんよ」

「内面だよ、器の大きさのこと。ほら、健さんみたいな」

「――おやじのこと知ってんすか!?」

思わず立ち上がった拍子に、ガタンと椅子が倒れた。派手な音が食堂内に響き、給茶機に緑茶粉末を補充していたおばちゃんが何事かとこちらを窺っている。

カイは慌てて椅子を起こすと座り直し、素知らぬ顔で味噌汁を啜っている夢子に詰め寄る。



田中さん、」

「見学……ギャラリー、って言うのかな。その時私は何も知らなくて、友達に連れて行かれたんだけど」

「それって、最近ですか?」

「もう何年も前だから、健さんは私のこと覚えてないと思う」

すっごくカッコ良かったんだよ――夢子はうっとりと溜息を零す。

「それで健さんと話してたらね、きみにはMR-Sなんか似合うだろうな、って言われたの」

「……だから、MR-Sに?」

「そう、すぐ見付かったから即決。あんな先生なら学校楽しかっただろうなぁ」

父の職業は中学校の教師。帰ったら問い詰めよう――カイはそう心に決め、軽く咳払いをした。



「じゃあまたね、カイくん。講義サボっちゃダメだよ」

食堂を出ると夢子が手を振った。それに応えようとカイが右手を上げた途端、その手が固まる。

田中さん今、オレの名前――」

「苗字だと、カイくんも健さんも同じだもんね」

当たり前か――夢子は笑って背を向けた。その背中へ、カイが一瞬迷って投げ掛ける。

「オレも、名前で呼んでいいですかっ」

「いいよー」

背中を向けたままひらひらと右手を振って、夢子が笑った。表情は分からなかったけれど――声は確かに、笑っていた。



「ただいま」

「おかえり、カイ。晩飯まだだろ」

「あ――あのさ、おやじにちょっと聞きたいことがあるんだけど」

いつになく真剣なカイの声色に、健は採点していた赤ペンを止めた。

「何だ」

「赤いMR-Sに乗った女の人――知ってるか?」

「…………赤い、MR-S?」

リビングの椅子に背中を預け、健はカイの問いを繰り返した。記憶の糸を手繰り寄せるように、視線が答案用紙の上を滑る。


田中――夢子さんていうんだ」

「ああ、思い出した。何年前だったかな。いろは坂で会ったことがある」

「……それだけじゃないだろ」

「どうした?怖い顔して」

「別に、何でもない」

「何でもないって顔じゃないがなァ」


健はからかうような口調で答案用紙に目を落とし、再びペンを走らせ始める。


「他に聞きたいことはないのか」

「……もういい」

自室へ向かうカイの背中を見遣り、健が思い出したように呟いた。



「あの子、朝型か夜型か分からないんだよな」

「は?何だよ、それ」

「朝の4時とか5時にピンピンしてるんだ。普通は夜通し走り回ってクタクタ、そろそろ帰るかって時間だろ?」

「でも豆腐屋みたいなのも居るんだし……」

「あれは特殊な例だ」

どこか棘を感じる健の口調に、ふと苦笑が漏れた。



きっと、教務課へ行けばまた夢子に会える。そう思って本館の事務窓口を何度か覗いたものの、彼女を見付けることは出来なかった。

もし会えたとしても、大学構内でバトルを申し込むのも――何となく、違うような気がする。

そしてカイはまた、いろは坂で夢子を探すことになった。



Midship Runabout 2personS (2/2) #

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