ふれて未来を (2/2)
「酒井、計測済んだ?どーよ、インテ乗りとして」
明るい声が背後から飛んでくる。今あなたのことを考えていました、そう白状してしまえたらどんなにラクになるだろう。
「――はい、確認済みです。いいですよ、これ。すごく楽しめそうです」
「ん、よしよし。連絡入れとくわ。あ、給湯室!ったく誰よ砂糖撒いたの。散らかしたら片付けろっつの」
「……はあ」
「それと」
「よく喋るなぁ……」
知らず知らずのうちに呟きが漏れていた。
「クチうるさいって言いたいわけ?」
「いや、そうじゃなくて、」
行儀悪く舌打ちする彼女に反論しようとした酒井の視線が、唇へと吸い寄せられていく。それに気付いた夢子が唇を尖らせた。
「何?なんかついてる?ちゃんと歯磨きしたのにな」
短く整えられた、飾り気のない小さな爪。指先が、ふっくらと熟れた桃色の唇へ。触れるか触れないかの柔らかさでなぞる。
その唇に、自分は、間接的にとは言え間違いなく触れたのだ。ズキズキと心臓が痛い。ドクドクと血管が躍る。
「――ヤバいですって、夢子さん」
「え、ちょ、何がどうしたの」
突然その場へしゃがみ込んでしまった酒井に驚き、夢子も慌てて膝を落とす。
「やァだ、あたしがイジメたみたいじゃんコレ。顔上げてよ酒井ってば」
「断る」
「んもー……ちゅーしたげるから機嫌直してクダサイねー」
頑なに顔を上げない酒井へ投げ掛けた言葉は、ツッコミ待ちの軽い冗談のつもりだった。
直後、自分へ向けられた視線は驚く程鋭く、夢子は背筋が粟立っていくのをありありと感じている。
ぞわぞわと、ぞくぞくと。酒井の目が、どこか甘く心地良く、夢子を責め立てる。
「酒井……顔、赤……」
「いつも、そうやって――俺のことからかって!」
自分がいつも、彼女の傍でどんな気持ちで居るか。触れたいと、思っていること。綺麗な思いも汚れた思いも全部、彼女の前へ曝け出してしまえたなら。
何を言えばいいのか、混乱してわななく唇に、夢子の唇が数瞬、押し付けられた。
互いに薄汚れたコンクリにしゃがんだままで見つめ合い、先程まで震えていたことが嘘のように酒井の身体は硬直している。
かつて無い程近くに居る彼女はただ真っ直ぐ、酒井だけを見つめている。瞬きさえ惜しく、酒井は夢子を凝視した。
「からかって、ちょっかい出して、なんでそんなことするか、って?いーかげん気付いてよね」
「夢子さん、俺……夢子さんが――」
「あとで聞かせて」
唇へ一瞬、指先を触れて酒井の言葉を遮り、夢子は笑った。その続きなら既に知っていると言わんばかりに。
彼女の指の感触を唇に乗せたまま、酒井は苦笑いを噛み締めている。
「俺には言わせてくれないんですか?」
「あたしがずっと間接キスでガマンしてたのに?」
「……すみませんでした」
「スミマセンで済むと思ってる?」
「……いえ……」
「わかってんじゃないの」
前髪を持ち上げ、くしゃくしゃと撫で回す。大人しくされるがままの酒井は、自分が犬にでもなったかのような気分で居る。
満足気に幾度か頷いて立ち上がった夢子につられ、酒井も腰を上げた。
「仕事、戻ろっか」
「俺、今日ものすごいミスをしそうな気がします」
「酒井は大丈夫だよ、だいじょーぶ」
「何でそんな風に言えるんですか」
「だってあたしが好きなんだし」
「夢子さん、それは答えになっていないと思います」
「いーから気にすんな」
笑ってガレージを出て行こうとする彼女の袖を引いた。何故手を伸ばしたのか、自分でさえ分からない。
自分がこれほど欲深い人間だと知らなかった。夢子と、夢で逢うだけでは物足りない。
触れて、掴んで、かき回して、ぐしゃぐしゃに乱してしまいたい。
立ち止まりゆっくりと振り返る夢子は、顎、唇、鼻と徐々に視点を移した後、じっと酒井の目を見つめている。
「えッろい顔しちゃって。仕事中に何考えてんのよ酒井ぃ?」
「……俺のこと言えないんじゃないですか、夢子さんも」
思わず掴んでしまった手を離すと、少し間を置いて艶めいた笑みが漏れた。
「何、考えてるんですか」
「いーや。とてもじゃないけど言えないね」
首を振る。お団子頭からほつれた髪が一筋揺れている。思わず指が伸びて髪に触れた途端、ぴたりと夢子の動きが止まった。
頬を朱に染める様に驚いた酒井は、髪に触れたまま彼女の名前をゆっくり呼んでみる。
「夢子さん?」
「……酒井ってさ、人の弱点見つけるの得意じゃない?」
「ええ……まあ」
「んでソコばっか攻めるんだよね。ほんッと、やらしいんだから」
「御不満ですか」
「ンなわけないでしょ」
「安心しました。これからは遠慮しませんから」
「はいはい。もうわかったから離してよ」
「何も分かっていない。たった今、俺が言ったばかりじゃないですか」
目を泳がせる夢子が可愛過ぎるのがいけない。だから俺は何一つ悪くない。触れている髪を緩く指先に巻き付けながら酒井は呟いた。
「俺も我慢してました。もっと、夢子さんに触れてもいいですか」
桃色の唇を尖らせた夢子が、じっと酒井を睨んでいる。上気した頬。快晴。薫風。腕の中には夢子の体温。撥水剤と石鹸の匂い。
今、この手に確かに触れるもの。ここから始まる二人の未来。
[ふれて未来を] END.
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お題:間接キス
2010/04/27 up.
続編.DramatiC? DrastiC! #
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