MAGENTA STORY (1/2)
「なァ夢子。来週の月曜って何の日か知ってっか?」
「6限に哲学の試験」
「即答かよ。……ちげーだろ。ほら、オンナが好きなイベントだよ」
夢子が分厚いテキストから目を上げると、まとめた髪がハラリと揺れた。
「どっかでバーゲンあったっけ?」
「……なァ、それはボケなんだよな?オレはツッコんでいいんだよな?」
「バーゲンじゃないなら、やっぱ哲学の試験」
「ちげーよ!バレンタインに決まってンだろ!」
慎吾が痺れを切らしたように大声を上げる。再びテキストに視線を落とした夢子は少し笑った。
「へぇ。だから?」
「お前なぁ……。察しろよオレがこんだけアピってんだから」
「つまり慎吾は、あたしからのチョコが欲しいと。そういうこと?」
ページをめくりながら夢子が聞き、慎吾は渋々頷いた。
「……まぁ、そういうことになるな」
「なら最初からそう言えばいいじゃん。遠回りなんて小賢しい」
「うるせー。いいからチョコ寄越せ」
「やだ」
「……何でだよ」
「それどころじゃないもん」
「お前アタマいーんだから哲学なんか余裕だろーが」
「頭良かったらこんな大学入ってないよ……。土日は勉強するからチョコ作ってる暇なんかないのっ」
「お。作ってくれんのか?」
「……慎吾、あたしの話聞いてた?」
「コンビニのでもいいぜ」
「それなら自分で買えば?あ、後輩脅して貢いでもらうとか」
「オレはお前からのが欲しいんだよ」
プイとそっぽを向く慎吾の頬が少し赤く見えたのは、窓から射し込む夕陽のせいだろうか。
「ふぅん。じゃあ時間があったら作ったげる」
「よっしゃ!絶対だぞ?」
「時間あったら、って今言ったよね?」
「楽しみにしてっかんな」
慎吾はわしわしと夢子の頭を掻き回し部室を後にした。
彼――庄司慎吾とは入学以来"男友達"のような付き合いが続いていた。
好きか嫌いかと聞かれたら好きだと答えるだろう。でもそれが恋愛感情かと問われたら――夢子にはわからない。
どうせならうんと甘いやつを作ってやろうと企み、帰宅途中にクーベルチュールチョコレートを買った。
月曜の昼頃、正門前でスクールバスを降りた。見事な快晴。風が冷たい。図書館の裏を通れば部室への近道だ。
「受け取ってください!」
突然、声が上がる。悪いとは思いつつ――好奇心には勝てなかった。
こっそり覗いてみると、どうやらチアリーディング部の一年生。可愛くてスタイルがいいと評判のコだ。フリーだったとは意外。
彼女は顔を真っ赤に染めて、可愛くラッピングした箱を差し出している。
「あらあら。相手は幸せ者だねぇ」
呟いてほんの少し身を乗り出すと、果たしてその"相手"は茶髪に赤いパーカー。後ろ姿しか見えないが、どこかで見たことがあるような――
「慎吾……」
慌てて頭を引っ込めると全身の毛穴が開いて一気に汗をかく。踵を返して部室へ向かう。
口元まで覆ったマフラーをむしり取って乱暴に丸めた。心臓だけがキリキリと痛かった。
(あたしじゃなくて良かったんじゃん)
あれだけ可愛いコから告白されたんだ。女好きの慎吾が断る筈ない。夢子は手にした小さな紙袋に視線を落とし、ゴミ箱を探した。
「田中先輩、はよーっす」
背後から陽気な挨拶が飛んでくる。動揺していることを悟られないよう、冷静な声で「おはよ」と呟いた。
「それ、チョコすか?」
「あんた甘いモン大丈夫だっけ」
「はぁ、好きっすけど」
「じゃあコレあげる。よかったら食べて」
「マジすか!でも……誰かに渡すんじゃないんですか?」
「いーの。フラれたからさ」
「え……」
「味見はしたから大丈夫だよ。じゃね」
「あ、ありがとうございます……」
押し付けるように紙袋を渡す。一つ下の後輩の目は見られないまま。
部室への階段を駆け上がったら、鼓動の速さは何のせいなのか判らなくなった。
慎吾とは"友達以上・恋人未満"そんな言葉がお似合いの関係だった。彼に"恋人"ができたのなら、あたしはただの"友達"だ。
あぁ、そうか――あたしはずっと、慎吾が好きだったんだ。
なんて、ありがちな話。気付くのが遅過ぎた。今更気付いたって何の意味も無い。
部室のドアを開けようとしてふと思い留まった。ここにいたら慎吾に会うかも知れない。会えない。会いたくない。どんな顔をすればいいのか判らない――
唇を噛んで踵を返す。携帯を取り出してゼミ仲間のリダイヤルを押した。
「――そっち机空いてる?」
『あぁ、散らかってるけど大丈夫だぜ。茶淹れとくよ』
「ありがと。すぐ行く」
勢い良く携帯を閉じた。今考えるべきことは6限にある哲学の試験だけ。夢子は深呼吸して階段を一気に駆け下りた。
「あーもう範囲広過ぎー!」
「今年から持ち込み不可になったんだってな」
「そー。去年カンニングしたバカがいたんだって。やるならバレないようにやれっつーの」
テキストとノートを開いたまま夢子は溜息を吐いた。
ゼミ仲間が集まる研究室は、資料の為の書籍がうず高く積まれ雑然としている。
夢子が訪ねたとき、ひょろりと背の高い友人が一人でパソコンに向かっていた。昼でも薄暗くカビ臭いそこは不思議と居心地が良かった。
「田中は誰かにチョコやったか?」
「やーそれが……未遂に終わったよ」
「何だよそれ」
ぽつぽつとかいつまんで話す。彼が淹れてくれた蜂蜜紅茶は優しい味がした。
「庄司慎吾って……あれだろ?妙義の、ナイトキッズとかいうチームの」
「ん。あんま良くわかんないけど、赤いシビック乗ってるよ」
「田中はあいつのこと好きなのか」
「……うん。でももう遅いよ。相手はチア部の可愛いコだよ?誰だって断んないっしょ」
「俺は、他に好きな奴がいたら断るけどな」
「あいつ今フリーだしさ。あ〜もうやる気しないー」
机に突っ伏して嘆いた。慎吾のことは諦めよう。"友達"なら祝福するべきだ。
「言うだけ言ってみればいいじゃないか」
彼の優しい声に頭を上げる。
「慎吾に告れって?」
「ああ。田中はこのままでいいのか?」
「うー……。いくはないけど……」
「俺は言った方がいいと思うぜ」
「……うん、ありがと。今度チョコ作ってくるね」
「胃薬とセットでくれよな」
「そんなに破壊力ないよ!」
精一杯、抗議の気持ちを込めてブンブンと手を振る。
「やっぱ田中は笑ってる方がいいよ」
きょとんとした夢子の頭を軽く撫でて彼は立ち上がった。
「試験6限だろ?そろそろ5限終わるから早めに教室行っといたら?」
「あ、そだね。ありがと。ごちそーさま」
「ああ。試験頑張ってな」
「まかしといて!ヤマはバッチリ!」
笑顔でドアを閉める夢子を見送り、彼は細く溜息を吐く。
「俺もつくづくお人好しだな……」
中庭を歩く夢子の後ろ姿を眺めブラインドを下ろした。
→MAGENTA STORY (2/2) #
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