真夜中は純潔 (2/5)
「それじゃそろそろ始めようか」

約束の土曜日。時刻は午後11時を少し回っている。妙義山駐車場は静かな緊張感に包まれていた。

「ダウンヒルからでいいか?」

ロードスターのドライバーが低く言う。目にかかる重たい黒髪のせいで表情は読めない。

「さっさとヤろーぜ。待ちくたびれた」

慎吾が靴底で煙草を踏み消す。EG6に乗り込む直前、夢子へ視線を向けて唇だけで笑った。

「見てろよ夢子。ナイトキッズのナンバーワンはこのオレだ!」

「うん、頑張ってね慎吾〜」

夢子はひらひらと手を振った。ダウンジャケットが擦れてさらさらと小さな音がする。


宮原のカウントで2台のバトルはスタートした。

「毅、あのロードスター速いぞ。200馬力くらい出てる」

「ああ……」

「あいつらどこのチームなんすかね。この辺じゃ見掛けないけど」

「ロードスターはともかく、あのFDすげー派手っスね」

「あれって雨サンとこのエアロじゃないかな」


夢子が空き缶を持った手でFDを指した。


「RE雨宮?」

「そうそう。オールペンしてるみたいだし、お金かかってるね」

「じゃあ見た目だけってことすか?」

「いや――あのFD、多分巧い」

険しい表情で毅が呟く。

「毅……大丈夫なのか夢子は……」

「本人がやるって言ってるんだ。止める権利は俺には無い」

自分を納得させるように言うと長い溜息を吐く。突然吹いた冷たい風に首をすくめる夢子に目を向けて、また溜息が零れた。



ポケットに入れていた夢子の携帯が鳴った。

『勝ったぜ夢子。上りこっちからだろ?』

「うん。そっか、勝ったんだ。おめでと」

『バーカ、当たり前だろ。早く来いよ夢子。オレがカウントしてやっからよ』

ぷつりと切れる通話。慎吾からの電話はいつもこうだ。突然かかってきて突然切れる。こっちの都合なんて関係ない。彼らしいといえば――確かに、彼らしい。

「終わったって。慎吾勝ったみたい」

夢子が振り向くとメンバーが固唾を呑んだ。毅が唇を噛み、FDの元へ向かう。

「ダウンヒルは終わった。ヒルクライムのスタート地点まで移動する」

「わかった」

「一つ、聞きたいんだが……」

「ああ」

「どうして夢子をバトルの相手に選んだんだ」

FDのドライバーはちらりと夢子に視線を向けた。

「……白いから、かな」

「何だと?」

「積もったばかりの雪に足跡つけたくなるだろ?それと一緒さ。彼女を初めて見たときから無性に――汚したくなってバトルを申し込んだんだ。……受けてくれるとは思わなかったが」

薄っすらと笑んだ。上辺だけの冷たい笑顔。

「仮にオレが勝ったとしても、別に彼女をどうこうするつもりはない。心配しなくていいよ、中里サン」

毅は言葉に詰まった。夢子への思いを見透かされたような気がして。


(ロータリー乗りってのはどうしてこう癇に障る奴ばかりなんだ……)


「カウント行くぜ!」

慎吾が声を上げた。ロータリーと4WDのエンジン音が妙義山に響く。

スタートの合図と共に飛び出す2台。先行は夢子のR32。FDは夢子の少し後ろを追うように駆けていく。

「よっしゃアタマとった!逃げ切れ夢子!」

「FDはわざと後ろについたんじゃないのか?」


メンバーがざわつく。皆が一様に、大きな不安と微かな期待を抱いている。もしかしたら、勝てるかも知れない。でもそれは微かな――本当に僅かなもので、口にするには憚られた。


「どう思う、毅?」

「――嫌な予感がするな」

夢子のダウンジャケットを手にした毅が呟いた。脱け殻のようなそれは柔らかく、それでいて堪らなく不安を掻き立てる。

「オイ……縁起でもねぇこと言うなよ」

「後を追う」

闇色のR32に乗り、毅は2台の後を追って駆け上っていった。



(FD、何か企んでる)

R32の中、夢子はバックミラーに映るFDにチラリと視線を向ける。無理に寄せてこないのは、いつでも抜けるという余裕からか。

嫌なプレッシャーが夢子の全身を覆う。

コーナーに差し掛かるとFDがスピードを上げた。ついに抜きにきたかと思ったその時。ガツッ、と左リアから鈍い衝撃が走った。

バンパープッシュ。

相手にしてみれば大したことのない――バトルにおいては"普通"の行為。しかしバトル経験のない夢子は頭の中が真っ白になった。

150km/hを超えるスピードで走っていたR32は、コンクリートウォールへズルズルと引き寄せられていく。そこは、以前毅がランエボとのバトルでクラッシュした場所――


「だめ、そっち、違う……」


GT-Rが誇る直列6気筒DOHCツインターボもアテーサE-TSも、ドライバーからの指示を完全に失い意味を成さなくなった。

ステアリングを固く握り締めて微動だにしない夢子の視界の端を、緑のFDが悠々と走り抜けていった。

右フロントが壁に接触し、夢子は震える足で目一杯ブレーキを踏み込む。R32が停止したのは50m程先だった。

バケットシートから抜け出した夢子はフロントで立ち尽くす。削れたバンパー、ボンネット側に食い込むフェンダー、割れて飛び散ったライトカバー。


「……ごめ……」


ぽつりと呟いてへたり込んだ。触れたタイヤはひどく熱い。涙が溢れて止まらなかった。恐怖よりも、毅との約束を守れなかったことが悔しくて――

激しく揺さぶられた脳が思考を鈍化させる。


夢子!」


へたり込んだまま傷ついたフロントをさすっていると、名前を呼ばれた。毅の声だ。

夢子、大丈夫か!」

「――僕のせいで、32に、痛い思い、させた……っ」

自分の声が震えていることに夢子は気付いていなかった。声だけではなく、その細い身体も。

毅は唇を噛み夢子を抱き寄せる。俺が来たからもう大丈夫だと――言いたかった。それを言ったらなにかが終わってしまう気がして、毅は言葉を呑み込んだ。

「病院に行こう。夢子も痛かっただろ?」

夢子は泣きじゃくり毅にしがみ付く。ゆるゆると髪を撫でてくれる毅の掌に、どれだけ救われただろう。

散乱するR32の破片は月光に照らされ、皮肉に思える程綺麗に輝いていた。



真夜中は純潔 (3/5) #
真夜中は純潔 (1/5) *

中里毅||0:top