真夜中は純潔 (1/5)
「その32、あんたの?」

そろそろ日付が変わる頃、ここは妙義山駐車場。

缶コーヒーで暖を取っていた夢子は、それが自分に向けられている言葉だとわかるまで少し時間がかかった。

「へぁ?」

「……その白いGT-Rのドライバーはあんたか、って聞いてんだよ」

「うん。そうだよ」

缶を片手に振り向くと、男が2人立っていた。一人は金に近い茶色の短髪、もう一人は黒髪の長髪。2人とも長身だ。この辺じゃ見掛けない顔。

「ふぅん。随分キレイに乗ってんだな」

黒髪の彼はジロジロと不躾な視線をR32と夢子に向けている。

「あんた、オレとバトルしないか?」

茶髪の彼が不意に、真っ直ぐ言った。



夢子はきょとんと相手を見つめ、その言葉を反芻する。"バトル"って……よーいドン、でスタートする追っかけっこ、みたいなアレ?



「32とバトルしたいなら僕より毅の方がいいんじゃないかな」

駐車場を見渡したが毅の姿はない。夢子が寒さに縮こまっている間に走りに行ってしまったのだろう。

「オレはあんたとココで、ヒルクライムバトルがしたいんだ」

名指しで来られたら断る理由はない。夢子はこれでもナイトキッズのメンバーだ。

「別にいいけど……。ヒルクライム1本だけ?」

「ダウンヒルもいいかな。妙義には下り自慢のEG6がいるって聞いてるんだけど」

「あ、それなら慎吾だ。多分大丈夫だよ。あいつ血の気多いから」

「じゃあ上りと下り1本ずつ、来週の土曜11時にココで。どうだ?」

「ん。わかった」

「それじゃ土曜に。楽しみにしてる」

空色のロードスターと緑色のFDは、大きなエキゾースト音を残して妙義から消えた。



「うーっす夢子〜」

2台を見送っていた夢子は背中に拳を喰らう。ダウンジャケットのせいで柔らかく鈍い音がした。

「いったー、何だよ慎吾っ」

キッと睨むと、くわえ煙草の慎吾がニヤニヤと立っている。

夢子、さっきの何だ?ナンパでもされたか」

「バトル、申し込まれた」

「へー……ってマジかよ!断ったんだろ?」

「どして?受けたよ」

「はァ!? 何考えてんだお前。バトルなんかしたことねぇだろ!」

「うん。だからやってみようかなぁって思って」

「ったく、呑気だなァ……」

慎吾は舌打ちをして携帯を取り出すとリダイヤルを探している。

「――毅か?夢子が大変なことになったから戻って来い」

それだけ言うと通話を切った。

「ちょっと大ゲサじゃない?」

「ウソじゃねぇだろ」

フン、と笑って慎吾が煙草を踏み消す。アスファルトに小さく火花が散った。


夢子の幼馴染は、慎吾の電話からすぐに姿を現した。闇色のR32から降りた毅は些か不安気な顔。

夢子、無事か?」

「へ?無事だけど?」

ほっとした表情で慎吾に目をやる。

「どういうことだ」

「バトル申し込まれたんだとよ」

「……本当か、夢子

「FDとロードスターの2台いたよ。僕とヒルクライムって言ってたから、多分FDだと思う。あ、それと……慎吾とダウンヒルやりたいって」

「受けたのか」

「うん。来週の土曜日の、11時にここで」

「いいのかよ毅。夢子、バトルなんかしたことねぇのに」

毅は唇を噛んでいたが、何かを決意したかのように顔を上げた。

「土曜までに……何とかすればいいんだろう」

空き缶を捨てに行った夢子の後ろ姿を見遣り少し溜息を吐く。

夢子にはバトルなんかさせたくなかったんだが――」

「まァいい機会なんじゃね?下りはオレが行くぜ。ご指名だしな」

新しく煙草に火を点けた慎吾が口の端だけで笑う。

「ロードスターだろうがFDだろうがココなら関係ねぇ。相手の地元でやろうって心意気買うぜ」


カッコ良く決めた慎吾が急に、毅の視界から消えた。


「いってー……」

「やったぁ大成功ー!」

夢子がきゃらきゃらと笑っている。どうやらこっそり背後に忍び寄って必殺☆膝カックンをお見舞いしたらしい。不意を突かれた慎吾は見事にアスファルトへ撃沈した。

「てンめ……夢子!覚えてろよ!」

「慎吾が先に殴ってきたんでしょっ」

夢子はペロ、と舌を出して毅に腕を絡ませる。

「ねぇ毅、ヒルクライムってどっからどこまで走るんだっけ?」

「……知らないのか?」

「うん」

「ナビに乗れ」

もこもこと柔らかいダウンジャケットを左腕に感じながら毅は促した。


翌日から、毅と夢子の特訓が続いた。一週間足らずで何ができる、というメンバーの諦め気味な雰囲気を気にすることなく2人は妙義を走り込んだ。

もともと夢子は"走り屋"になりたくてナイトキッズに居るわけではない。車は好きだ。もっと速く走りたいとも思う。

しかし今までバトルをしたことがないのは――メンバーが毅の意向を尊重したから。


『あいつは……夢子はバトルなんか知らなくていい。夢子を危険な目に遭わせたくない』


夢子を心配する毅の、精一杯の思慮だった。

夢子は最初、自分は毅の真似をしているだけだと思っていた。しかしどんどん車にのめり込んでいく自分にも気付いていた。

毅がS13からR32に乗り換えると聞き、一緒に買いに行った。毅には黒のR32を、夢子には白のR32を。

お互い、ボディカラーを選び合った。それは現在、思った以上にしっくりと馴染んでいる。



夢子は少しでも、毅と一緒に居たかった――ただ、それだけ。



だからコンマ1秒のタイムの縮め方やバトルでのシビアな駆け引きは、経験がない為全くと言っていい程知らない。

そんな夢子にバトルを申し込むなんて、一体何が目的なのだろう。


バトル前夜。緊張の素振りも見せない夢子に缶コーヒーを渡しながら毅は相手の真意を思った。

金曜の深夜、駐車場はいつもよりも賑やかだ。エンジンとタイヤの熱い匂いが漂っている。

「ごめんね毅。仕事忙しいのに」

「忙しいのはお互い様だろう」

苦笑してプルタブを起こすと微かに湯気が上った。

確かに忙しいとはいえ、毎日夢子に会えることが嬉しかった。定時を回ったらすぐに家に帰り、急いで着替えて妙義へ。

20数年一緒に居た"幼馴染"に会うことが、いちばんの楽しみだった。


「僕が負けたら、ナイトキッズの株……下がっちゃうね」

最近お気に入りの甘いコーヒーを少しずつ飲みながら夢子が呟いた。

「ウチはレッドサンズみたく人気ないからな。もう下がり様がない」

「ナイトキッズにも高橋兄弟みたいなアイドルが居ればいいのかな?毅カッコイイのにね。……あ、でも毅が皆のアイドルになったら僕は淋しいな」

「……夢子、それはどちらかといえば俺が心配することじゃないか?」

「?なんで?」

「俺も、夢子が皆のアイドルになったら淋しいぞ」

「そっか……。じゃあ2人でアイドルになればいいんだ!」

「……この話はどこに向かうんだ?」

「わかんない」

夢子がけらけらと笑ってベンチから立ち上がる。R32のボディと同じ、真っ白いダウンジャケット。汚れを知らない純白の笑顔。この笑顔が曇るのが、昔から怖かった。

幼い頃から傍に居るのが当たり前の存在で。喧嘩をして泣かせてしまったときは、毅の方が――後悔と自責の念で一杯になり――激しく泣いてしまった。

2人で泣き疲れて公園で眠ってしまい、ふと目を覚ますと日はとっぷりと暮れていて。帰ったら両方の親にこっぴどく叱られたっけ。夢子は――覚えているのだろうか。


「毅どしたの?なんか遠い目してたよ」

瞳の奥を覗き込まれ、ドキリとして視線を逸らす。

「いや……」

立ち上がって夢子の髪を撫でた。


「約束してくれ、夢子。怪我だけはするな」

もこもこのダウンジャケットから、鎖骨がちらりと覗いた。

「勝ち負けはどうでもいい。夢子が無事に走り切ることが出来たら、俺はそれで満足だ」

「……同じ……」

「ん?」

「毅のバトルの前、僕も同じこと考えてた。言えなかったけど、ずっと思ってたよ」

大きな瞳で毅を見上げる。どこまでも深く澄んだ瞳。



今すぐ夢子を抱き締めたい、という衝動を辛うじて堪える。峠から聞こえるのは何台ものスキール音。あれは多分宮原のMR2――

月が2台のR32を照らしている。夢子のファーストバトルまで、あと22時間。



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