碓氷の夜に (1/2)
避暑地・軽井沢。辺りが夕闇に包まれ始める頃には、真夏の賑わいも熱も、明日に備えて少しばかりおとなしくなる。
テーブルに並んでいるグラスの氷は、我が物顔で紅茶を薄めていく。
「やっぱレモンでしょ。レモン味、ってよくいうじゃない」
ストローでざくざくとアイスティーをかき回しながら沙雪が笑い、夢子も納得顔で幾度か頷いた。
「夢子はファーストキス覚えてる?」
「ん、覚えてる。歯磨き粉のミント味だった」
「はァ?何それ。ファーストキスってフツー、もっとキレーな思い出でしょォ?」
「そんなこと言ったってしょーがないじゃん、事実だし」
大袈裟に唇を尖らせ眉根を寄せた夢子が、沙雪へ精一杯抗議の意思を示す。そして思い立ったように真子へ問い掛けた。
「ねえ、真子は?」
「えっ?」
「まさか、キスしたコトないわけないよね?」
問いを受けた真子は俯くように視線を外した。ぱちぱちと瞬きをした夢子は、真子の顔を――穴が開くほどに――まじまじと見つめる。
「……マジで?」
「夢子〜、真子に聞くだけムダだって」
「だって沙雪、いくら何でも!」
「……いいじゃない、べつに」
俯きがちのまま乱暴にオレンジティーをかき混ぜる真子を見遣り、夢子は心底呆れたように深く溜息を吐いた。沙雪へ視線を移すと、肩をすくめて苦笑を浮かべている。
「真子さァ、中学生よりオクテなんじゃない?」
「ホントホント。言ってやってよ、夢子」
「か、関係ないでしょっ」
「……あ、でも秋名のさ、池谷にはバージンあげてもいーとか言ってたじゃん」
「――ちょっと沙雪、」
「真子ってば極端すぎ〜!」
「夢子、声大きいよっ!」
3人で過ごす夏の夜。もっと暗くなったら碓氷峠へ行って、そして朝まで走る。そんな、いつもと変わらない一日になるはずだった。
「おねーさん達、オレらと遊ばない?」
背後から声を掛けられ、夢子は半笑いのままで振り返る。ピンクブラウンに染めたばかりの髪が静かに揺れた。
チャラい格好の男性が2人、夢子達に満面の笑みを向けている。近辺には民宿や大学の宿泊施設も多い。きっとどこかの大学の、お遊びサークルの合宿だろう。
「みんな地元?オレら東京から――」
「車、何乗ってんの?」
猫撫で声を遮って夢子が問う。彼等は少し驚いたように夢子を見つめ、そして怪訝そうに車種を述べた。
「……RX-8、だけど」
「一台?」
「ああ。それが何か……」
「ね、どーする?」
訝しげな表情を浮かべる彼等の問いには答えず、沙雪と真子を見遣ると、2人は夢子を見つめたまま諦めたように笑っている。
「夢子の好きにしたらいいよ。ねぇ、真子」
「……うん。夢子に任せる」
「よし。おにーさん達、峠行こっか」
「は?」
「私とバトルしてソッチが勝ったら、私達3人が一晩付き合ったげる」
「……?」
「そのかわり、私が勝ったら大人しく帰って」
椅子から立ち上がった夢子は「あ」と声を漏らし、思い出したように付け加える。
「私達の地元だから、ハンデあげてもいーよ」
夢子の言葉を受け、彼等は神妙な面持ちで背を向ける。傍らで仁王立ちとなった沙雪がそれを見遣り、憎憎しげに呟いた。
「……あいつらきっと、女なんかに負けるはずないとか言ってんのよ」
「沙雪、何怒ってんの?」
「だってバカにされてんのよ?夢子、ムカつかないの?」
「んー、もう平気。慣れたのかな」
「は〜ぁ……まったく。慣れちゃダメよ、こんなのに」
沙雪は少し躊躇った後に夢子の右手を取り「ホントは」と呟いた。
「夢子のバトル、あたし達いッつも心配してんだから」
「沙雪……。ごめん、なさい……」
「謝んなくてもいいけどさ。夢子がやりたいなら止めないけど、絶対ムリしないで。ケガしてもダメだからね。約束」
「うん。無理もケガもしない。約束する」
2人の会話を見守っていた真子がそっと立ち上がり、控えめに――確かな決意を込めて呟く。
「あたしも、止めないよ」
「……真子」
「沙雪も、あたしも。夢子のこと、信じてるもの」
「ありがと。真子のバージンは私が守るからね!」
「……あのね、夢子。お願いだからそういうこと言わないで……」
真子が困ったように笑み、夢子の左手を握る。両手を包み込む柔らかくしなやかな感触に安心感が湧き、夢子は微笑った。
「なあ」
声が飛び、反射的に顔を上げた。夢子が見つめるその先、男2人が薄く笑っている。
「本当にオレらが勝ったら、その……」
「約束は守るよ。女に二言はないから」
彼等は値踏みするように夢子を見つめた後、夢子と手を繋ぐ沙雪、真子の身体を視線でなぞっている。
やがて互いに目配せをして、唇の端で笑った。どうやら彼等の御眼鏡に適ったようだ。――ちっとも嬉しくないけれど。
「で、峠ってのはどこだ?案内してくれよ」
はっきりと嘲笑の意味合いを含ませた声。沙雪の掌に、僅かに力が入ったことが分かる。
「ついてきて」
夢子は両手にしっかりと力を込めた。握り返してくる2人の掌から、ひどく穏やかな熱が伝わる。それは驚く程に心地良かった。
→碓氷の夜に (2/2) #
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