coLor of colorS (1/3)
いままで見た中でいちばんきれいな色を挙げるとしたら、オレは迷うことなく秋名湖の朝焼けを選ぶだろう。


スタンドからのいつもの帰り道。樹の足取りは軽い。今日はR35とGTOとボクスターに会えた。オーナーさん、みんなイイ人だったしラッキー。また会えるといいな。ボクスターの人は週末にサーキット行くって言ってたけど、オレもいつかハチゴーで走るんだ。帰ったら、池谷先輩から借りたビデオ見て研究しよう。ニコニコと路地を曲がった途端、それは起こった。ライトに照らされた瞬間、目が眩んで――

「う、わぁッ!?」

鈍い衝撃が全身を襲い、アスファルトにうつ伏せに倒れ込む。咄嗟に伸ばした左手を地面に打ち付け、痛みよりも熱を感じた。住宅街に程近い道路の片隅に、シンと静寂が訪れる。

(ああ、オレ、轢かれたんだ……)

少し揺れた意識のまま薄目を開け、自分を"轢いた"車を見上げる。

日本の道路事情を無視したエアロ、もちろん車高はベタベタ、窓は車体と同じ真っ黒なフルスモーク、キャンバー角度つけすぎ――

高級セダンの代名詞・セルシオをこんな風にイジるのって"VIPスタイル"って言うんだっけ……。もしかしたらカタギの人じゃなかったりする……?背中にお絵描きしてるコワモテのお兄さんが出てきてボコボコにされたりして。それで最終的に、生コンと一緒に詰められて海に沈められちゃったり。あ、でも群馬には海がないからとりあえずトランクとかに積まれて……

(なんだかんだで絶対殺されるッ!)

短い人生を振り返る余裕もないだろう――サヨナラ、オレのバラ色の未来――きつく目をつぶったその時。

「ごめんね〜痛かったぁ?」

明るい声が上から降ってくる。うずくまっていた樹が恐る恐る顔を上げると、およそ車に不釣合いな女性。珍しいものでも見るようにまじまじと樹を見下ろしていた。てっきり怖いお兄さんに怒鳴られるとばかり思っていた樹は拍子抜けし、命の心配はしなくて良さそうだと溜息を吐く。

「ケガとかしてない?立てる?」

「え、だ、だだ大丈夫です」

「家まで送るよ。乗って」

「や、あのっオレんちすぐそこですから、」

「まぁいいから、どーぞ」

彼女が〈右側のドア〉を開けて樹を促した。よろよろと立ち上がり、シートにそっと腰を下ろしたところで左ハンドルに気付く。

(左ハンてことは……レクサスのLS……400、かな?)

カーナビのディスプレイからは音楽番組が大音量で流れている。シートベルトを着けながら家までの道順を簡単に案内すると、彼女は少しだけ首を傾けた。

「多分わかると思うけど、間違ってたら教えてね」

「は、はい」

LS400は少しフラつきながら発進した。ステアを握る彼女の両手には、力が入り過ぎているように見える。信号待ちの無人の交差点。流れてくる音楽に合わせ、ステアリングの上で指が踊っている。その指先に施されたネイルアートは海に似ていた。深い蒼の上に白い貝。繊細な芸術作品に見惚れていると、樹の視線に気付いた彼女が笑う。

「アタシ運転ヘッタクソでしょー?」

「いや、そんな、」

「自覚はあるんだけどね〜」

信号が変わる。彼女はあっけらかんと笑って交差点を左折した。

(あ、ウィンカー忘れてる……)

「名前、何てゆーの?」

「あ――オレ、武内樹っていいます」

「イツキくん、ね。アタシ田中夢子。何かあったら電話ちょーだい」

左側から手渡されたキラキラの携帯電話。ディスプレイに表示されているのはオーナー情報――0から始まる11桁の番号と『田中 夢子』という名前。樹は慌ててポケットから引っ張り出した携帯にそれらを登録して、零れ落ちそうなほどのデコレーションが施された携帯を彼女へ返した。

飾り付けてるビーズの粒(ラインストーン、とかいうヤツだっけ)が取れたらどうするんだろう?付け直すのかな?素朴な疑問が浮かんだところで車が停まり、気付けば自宅のすぐ近くだった。

「ここでいい?」

「あ、はい……あの、どうもすみませんでした」

「えー?なんでイツキくんが謝るの?悪いのアタシなのに」

「でもオレが飛び出したんだし、」

「アタシなんかテレビ見てて一時停止の標識見落としたよ?」

「……マジすか……」

「うん。あ、なんかあったらすぐ電話してよねー」

「は、はい」

地面に降りた樹がそっとドアを閉めると、夢子が運転席から手を振り真っ黒いセダンが遠ざかっていく。ぽかんと口を開けた樹は、右手に携帯電話を握り締めたまま立ち尽くしていた。深い蒼色の爪がやけに鮮やかに目に残る。樹の火照った頬を、温い風がそっと撫でた。


「おっはよーございます池谷先輩!」

「イツキ、おはよ。左手どした?」

清掃をしていた池谷が、手首に包帯を巻いた樹を訝しげに見遣る。

「あ……昨日転んじゃって、カーチャンに無理矢理。でも全然ヘーキっす!」

「そっか。あんま無理すんなよ」

「はーい」

午後。立花店長は池谷と樹の二人に「サボるなよ」と釘を刺し、配達兼得意先回りへ出掛けた。少し遅い昼休憩を済ませた樹があくびを零し、涙目で呟く。

「いや〜今日も天気いいっすねー」

「もう春だろこれは」

日陰から太陽を見上げ、池谷も樹につられてあくびを漏らした。

「お、派手なレクサス――LSだな」

池谷の何気ない一言に、樹の心臓が跳ねる。

「こちらへどうぞー!」

飛び出した池谷の誘導に従い、漆黒のLS400はゆっくりと給油エリアへ進んでいく。

「いらっしゃいませ。ハイオクですか?」

「えーと……ハイオク満タン、カードで〜」

「ハイオク満タン入りまーす!窓お拭きしますか?」

「あ、洗車ってお願いできますかぁ?」

「ハイ、勿論。コースが色々あるんですが……どれにしましょうか?」

ラミネート加工されたメニューを差し出し、池谷が説明する。大きなサングラスを掛けた彼女は、少し思案するような表情でそれを見つめた。

「じゃあ……この『手洗い&室内清掃コース』で〜」

「わかりました。お時間いただきますので、あちらの待合室でお待ちください」

「はーい。お願いしまぁす」

彼女は屈託なく笑い、鍵を抜いて池谷へ差し出した。小さなバッグを手に車から降りた彼女は、紛れもなく昨夜の――

田中さん!?」

「イツキくん。ココで働いてんだぁ」

目を真ん丸くして棒立ちになっている樹を見て、夢子が小さく笑った。

「い、池谷先輩、」

「……イツキの知り合いか?話すんなら中入れよ」

池谷は意表をつかれたように立ち尽くし、それでも平静を装って待合室を指す。

「ありがとうございます!」

樹は夢子を促し、待合室のドアを開けた。

「そこ座ってください。あ、コーヒーでいいですか?」

「お構いなく〜」

樹はカップホルダーとインサートカップを手に、コーヒーメーカーを操作する。コーヒーフレッシュとスティックシュガーを添え、テーブルにそっと置いた。

「どうぞ」

「ありがと。イツキくん、やっぱケガしちゃってたんだね」

ソファに腰を下ろした樹の左手を見た夢子が、サングラスを外して沈んだように呟く。

「いえ、全然ヘーキです!その、母がちょっと大袈裟で……」

夢子は小さなバッグから無地の茶封筒を取り出し、湯気を立てるカップの横へ置いた。樹の方へ指先で滑らせたそれは、1cm程の厚みがある。緋色の爪がひどく眩しい。

「受け取って」

「……何すか?」

樹は訝しげにそれを手に取り、何気なく中身を取り出した。

「治療費」

素っ気無い封筒に入っていたものは、帯封がきっちりと巻かれた札束。それも手が切れそうな新札。帯封には銀行のロゴマークと、今日の日付。樹の手の中、福沢諭吉が静かにこちらを向いている。樹は夢子と諭吉を交互に見遣り、驚くことすら忘れたようにあんぐりと口を開けた。

「……あの……田中さん、これは……?」

「とりあえず100万。足りなかったら――」

「う、受け取れません!!」

慌てて札束を押し込み、封筒を夢子に突き返す。夢子は絶句し樹を見つめた。

「だって、イツキくん左手ケガしてるでしょ?」

「ちょっとひねっただけです!それなのに、こここんな大金、受け取れるわけ、ないですよッ!!」

「えぇ……困ったなぁ」

ソファの背もたれに体を預け、夢子が細い息を零す。何かを考えるように目をゆっくりと瞬かせて、そして樹を見据えた。

「どうしても受け取ってくれない?」

「だ、ダメです!」

「それじゃあ、かわりにアタシと付き合ってくれないかな」

「……は?」

「さすがにケガさせてそのままじゃ、コッチとしても納得いかないわけよ」

少し低いトーンで夢子が言った。

「や、あの、付き合うって――」

「えーとね。カンタンに言えば、アタシと友達になってほしいってコトなんだけど」

いまいち展開が飲み込めず、訝しげな樹を見遣り――夢子が微かな苦笑を漏らす。

「アタシみたいなのはタイプじゃないかな」

「そんなこと!ていうか田中さんこそ、オレみたいな……」

「イツキくんみたいな、何?」

「……その、オ……オレで、良かったら……」

俯いて小声で答えると、夢子が笑って右手を差し出した。

「握手しよ」

差し出された夢子の右手、緋色で彩られた爪。否が応でも目を惹くカラフルなネイルにしばし見惚れ、樹もそっと右手を伸ばす。夢子は微かに震えている樹の手を握って、嬉しそうに微笑んだ。

「――あの、オレも洗車、行ってきます!」

慌てて手を離して立ち上がり、ドアにぶつかりそうになって足が絡まる。樹は夢子の掌の感触を忘れられないまま、右手でスポンジを鷲掴んだ。


「ありがとうございましたー!またどうぞ!」

「あ……ありがとうございました!」

樹の誘導でのろのろと進み、夢子は手を振ってスタンドを後にした。

「で?今の誰だ、イツキ」

「……えっと……友達、です」

「いつの間に……!」

日陰で憎憎しげに舌を打つと、池谷がじとりと樹を睨む。

「お前、和美ちゃんとはどうなってるんだ」

「どうって言われても……別に、どうもなってないですよ」

秋山和美――樹よりひとつ年上の〈友達〉。彼女を見送った渋川駅を思い出す。つい先日の出来事なのに、随分昔のように。

「は〜ァ、新しい出会いってわけか。ったく、なんでイツキばっかり……」

池谷は帽子を脱いで髪を掻き回し、思い出したように呟く。

「ボディも室内も全然汚れてなかったっつーか、かなりキレイだったんだよなぁ。燃料も……満タンってわけじゃないけど結構入ってたし」

「はあ……」

「あと車内がすげえいい匂いだった」

「……そーすか」

「あの子、お前に会いに来たんじゃねぇの?」

「え……」

「真に受けんなよ!」

帽子を被り直した池谷はスリーパーホールドを決め、涼しい顔で樹の頚動脈を絞め上げた。

「今度オレにも紹介しろよな、絶対だぞ」

「い、池谷先輩、ギブです!カンベンしてくださいよ〜」

首に巻き付いた池谷の腕をぺちぺちと叩きながら、樹が悲鳴を上げる。


「――あ、健二先輩!」

「ん?またか」

健二の180SXがスタンドへ入ってくるのを見付けた。運転席から降りる健二へ、樹が精一杯叫ぶ。

「健二先輩、助けてくださいっ」

「何やってんだよお前ら。客いないからって遊んでんなよ」

「何しに来たんだよ健二。相変わらず暇なヤツだな。他に行くとこないのか」

池谷の言葉にムッとしたように健二が片眉を吊り上げたが、何も聞こえなかったかのように問いを返した。

「さっき、LS出てったろ?黒のゴツいやつ」

「ああ。それがどうかしたのか」

「どっかで見たことあるような気がするんだけど。ひょっとしたらヤバい筋じゃないのか」

「ヤバい……って何がだよ」

「コレだよ、コレ」

健二は人差し指で頬を指し、斜めにスイと滑らせた。

「まさか。女の子だし、イツキの友達だぞ」

「え?ホントか、イツキ」

池谷の腕の中、樹はぐったりとうなだれていた。

「おい、イツキ!大丈夫かっ!」

「いや……どう見てもお前のせいだろ、池谷」

「イツキ!戻って来い!!」

池谷は思い切り力を込め、樹の両肩をガクガクと揺さぶる。ハッと視点を戻した樹が口元の涎を拭って呟いた。何故か恍惚の表情を浮かべている。

「……キラキラした川の向こうにすごくキレイな花畑があって、そこで死んだおばあちゃんが手を振ってました」

「おいおい……ヤバかったな池谷」

「ああ。危うく新聞沙汰だった」

「えーと、健二先輩どうかしたんですか?」

「いや……さっきのレクサス、乗ってる人さ」

「?はい」

「お前の友達なのか?」

「……そうです」

健二の問いに、少し俯いて樹が答える。

「いくつなんだ?学生か?」

樹は視線を宙に浮かべた。

「知らないっす」

「どこ住んでるとか」

「さあ……」

「何も知らないのか?」

「だって昨日初めて会ったんですよ」

「それ友達って言うのかよ」

「いいんです!!」

自信満々の樹を見遣り、呆れたように池谷が呟いた。

「しかし不思議な子だよなー。若いのにプラチナカードだったし」

「それってゴールドカードよりスゴイやつですか!?」

「まあな。しかし何つーか……雰囲気あるよな。車みたいにハデじゃないけど、自然と惹きつけられる、って言うか」

「へー。オレも会いたかったなーその子。イツキ、何て名前なんだ?」

田中夢子さんですよっ」

樹が誇らしげに胸を張った。春風がそよそよと三人の間を吹き抜ける。

「ずいぶん浮かれてんなー……イツキ、今度あの子来たら絶対紹介しろよ」

「あ、オレも呼べよな」

「絶対にダメです」

有無を言わせない樹の口調に、池谷と健二が顔を見合わせる。

「聞いたか、池谷」

「ああ。許さん」

二人がキラリと目を輝かせ、樹を取り押さえた。秋名山に程近いスタンドは、今日も平和そのもの。



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