落ち着かない様子でウロウロと歩き回っている夢子を啓介が呼び止めた。
手招きをすると仔犬のように一目散に駆け寄ってくる。
啓介の目の前で滑り、転びかけたところを慌てて抱き留める。夢子は啓介を見上げて「すみません」と呟いた。
「ちったぁ静かにしてろ、夢子」
タオルを差し出すと、夢子は素直に受け取り――くんくんと匂いを嗅いだ。
「……何だよ」
「これ、FD拭いたやつじゃないですよね?」
「お前……当たり前だろ」
夢子の手からタオルを引ったくり、わしわしと髪を拭いた。小さな体がそれに合わせて揺れる。
「啓介さん痛ぃー」
「風邪引くよりマシだろ。車の中にいろよ?」
「はぁい」
夢子はZ33に戻ろうとして啓介に手を引かれた。
「どこ行くんだよ」
「だって啓介さん、車の中にいろって……」
「オレの車だよ」
「え!? や、だってFDのシート濡れちゃいますよ!」
ぶんぶんと手を大きく振って断ろうとするが、あっさりと抱え上げられて抵抗する術を失った。
「ケンタが戻ってきたら教えるから、それまで大人しくしてろよ」
「……はい」
FDのナビシートに押し込まれ、夢子は頷くしかなかった。ドアを閉められると、そこは隔離された空間になる。
濡れてしまったパーカーを脱ぎ、フロントを叩く雨粒をぼんやりと眺めている。
「賢太、大丈夫かな……。事故とか……してないかな……」
心配はどんどん悪い方へと転がっていく。
エアコンで暖かな車内、夢子は腕をさすった。鳥肌が立っている。自分の想像に自分で寒くなった。震える脚を掌でさする。
「あたし、考えすぎ、だよね……」
雨足は少し弱まったようだ。
「――あ」
Q'sのエンジン音が遠くに聞こえる。
慌ててFDのドアを開けると走ってきた啓介と鉢合わせ、危うく頭をぶつけるところだった。
「戻ってきたみたいだぜ」
夢子は硬い表情でこくりと小さく頷いた。
「すいませんでした」
賢太は地面に降りて開口一番、謝罪を述べた。慎重に言葉を選ぶように唇をきつく噛んで、絞り出すように。
「……負けました」
「ハチロク、速かったろ」
啓介の言葉に、賢太は素直に頷いた。
「ご苦労さん」
険しい表情の賢太の肩をポンと叩いて涼介が微笑う。
何を言えば良いのかわからず、夢子はただ雨の中立ち尽くしていた。睫毛から滴が落ちる。雨か、涙か。
「……夢子」
賢太は笑ってみせた。ひどく痛々しい、哀しい顔で。
「カッコわりぃよな。オレ、あんな自信満々で――」
夢子は泣きそうになって賢太をしっかりと抱き締める。
お互い小さく小さく震えていた。
「良かっ、無事で……」
「どうしたんだよ夢子。泣いてんのか?」
「……泣いてな、雨だもん……」
「ウソつけ」
苦笑した賢太が夢子の髪を撫でる。優しい感触にひどく安堵した。
「ハチロク、どうだった?」
「すげー速かった。悔しいけど……オレもまだまだだな」
「賢太は今より絶対速くなるよ」
「何だよ、夢子は『絶対なんてありえない』って言うだろ」
「だってあんなすごいライバルがいるんだよ?今よりもっともっと巧くなるって」
「……そう、か?」
「そうだよ。それに、何があってもあたしは絶対、賢太の味方だからねっ」
「……サンキュ」
だからお願い。あたしのこと、ぎゅっとしていてね。
「……ねぇ、なんかあたし達……すっごい注目されてない?」
「……まぁ……人様のホームでいちゃついてたらなぁ。つーか夢子、ブラ透けてんぞ」
「え!? ウソっ!」
「白いTシャツなんか着てっからだろ。パーカーどした?……今日は水色のレースか」
「やだ……早く言ってよ!もぉ帰るっ!」
赤面して賢太を押し退けた夢子は、うつむいたまま足早にZ33へ向かった。
「お、おい夢子!お前何があってもオレの味方なんだろ!?」
「うるさい!賢太のバカー!!」
振り向いた夢子の泣きべそが妙義山に響いた。
賢太のこと、ぎゅっとしているから。だからあたしのことも、ずっと、ぎゅっとしていてね。
[ギブス]END.