真夜中は純潔 (page.3/5)
「なァ、
夢子の32ってもう直ったのか?」
慎吾がくわえ煙草で毅に聞いた。11月も半ばに近付き、妙義山はすっかり色付いている。
バトル以来、
夢子は妙義に顔を出さなくなっていた。
声を掛けても「いいや。今日はやめとく」と素っ気無い答えが返ってくるだけ。
「ああ……そうみたいだな」
「みたいって何だよ。会ってねぇのか?」
「……ショップから連絡があって、
夢子が32引取りに来たっていうのは聞いた」
「だからァ、
夢子に直接会ってねぇのかよ」
「ああ」
「ふーん。……なんかアイツいねぇと調子出ねー」
大きく伸びをして慎吾が呟く。
「ケガ大したことなかったんだろ?初めてのバトルなんだし負けたって気にすることねぇのにな。つーか押されてバランス崩したなら仕方ねぇだろ」
慎吾の言う通り、何も気にすることはない。だが──
「ちょっと行ってくる」
「あ?
夢子のとこか」
「思い詰めたりしてないといいけどな」
「アイツ変なとこ真面目だもんな。まァよろしく言っとけや」
夢子の家に行くのは久し振りだった。毅は大学卒業と同時に家を出たが、
夢子は実家から通勤している。
2軒隣の幼馴染の部屋には灯りが点いている。現在の時刻は午後11時。訪ねるには遅い時間。
少し迷ったが、実家のガレージにR32を停め
夢子の家へと向かった。
インターホンを押す手は僅かに震えている。
『はい』
「夜分すみません、中里ですが……」
『あら毅くん?
夢子なら部屋にいるから上がって』
夢子の母親は拍子抜けする程あっさりとドアを開ける。
「お邪魔します」
「久し振りねー。元気だった?」
「はい。あの、
夢子は……」
「かすり傷みたいな怪我だし車もすぐ直ったのに、なんか落ち込んでるのよー。適当に相手してあげて。お茶持ってくわね」
「すみません」
促されて2階へ上がる。
夢子の部屋の前で足を止め、小さくノックする。微かなCDの音に混じり「あーい」と気の抜けた声が聞こえた。
「……
夢子、入るぞ」
細くドアを開けた。
夢子はベッドに寝転がりノートパソコンをいじっている。ひょこ、と頭を上げて目を丸くした。
「あれー毅だ。久しぶりー」
体を起こすと「座って」と自分の隣をポンと叩いた。毅が腰を下ろすとベッドが緩く沈む。
「……しばらく妙義に来ていないよな」
何と言おうかずっと考えていた。遠回しな言い方は止めて本題を切り出す。
「走ることが嫌いになったのか?」
すぐ隣の
夢子は首を振る。
少しだけ沈黙が落ちた。
「あのFDに、もう一回会いたいの」
夢子がぽつりと呟いたのと同時に、ドアがノックされた。
「お茶入ったわよー」
「すみません。いただきます」
「せっかく毅くんが来てくれたのに、辛気臭いわね」
「もー、今大事な話してるんだからジャマしないでよ」
「はいはい、お邪魔しました」
階段を下りる小さな足音が遠ざかる。
毅は
夢子の言葉を反芻していた。
『FDに会いたい』
夢子は……あいつに、惚れた、のか?
確かに茶髪の爽やかなイケメンかも知れないが、平気で車をぶつけてくるようなマナーの悪い奴だ。
FDのリアスポもエアロもただ派手なだけで下品だし何よりあのボディの色────
「たーけーしっ!」
夢子の言葉ではっと我に返る。
「あ、ああ……」
「だからぁ、涼介くんに電話してみるから」
「……え?」
どこがどうなって高橋涼介が出てくるのか、毅にはさっぱりわからなかった。
逡巡しているうちに、
夢子は携帯のリダイヤルを探している。
止めようとして──自分にそんなことを言う資格があるのか?と自問した瞬間、
夢子の弾んだ声がした。
「あ、涼介くん?
夢子だよ。今平気?」
『ああ。
夢子から電話くれるなんて珍しいな。デートのお誘いなら喜んで受けるが』
「えとね、お願いがあるのですが……」
『何だ?』
「調べてほしい車があって……。引き受けてくれないかな」
『
夢子の頼みなら喜んで。特徴は?』
「RE雨宮のフルエアロ、オールペンで緑、ナンバーは12-370のFD3S。ドライバーは身長180cmくらいの茶髪の男」
『雨宮のFDか……。すぐ判るだろう。判り次第こちらから掛け直す』
「ありがと。お願いします」
毅がぽかんと
夢子を見つめている。
「……
夢子、お前高橋涼介と知り合いだったのか?」
「うーん。知り合いっていうか…どっちかっていうと友達、かな」
群馬大学の公開セミナーで知り合ったのだと言った。
迷子になっていた
夢子を会場まで案内してくれ、帰りはFCに乗せてくれてディナーを奢って貰った、と。
そこまで話したところで
夢子の携帯が鳴った。
「あい、もしもし」
『涼介だ。さっきのFDだが……白根の[堕天]というチームらしい』
「堕天使の、堕天?」
『ああ。最近出来たばかりのようだな。FDはリーダーの東だろう。雨宮に問い合わせたから間違いない筈だ』
「わー、さすが涼介くんだね。ありがとう、助かった」
『行くのか?白根に』
「うん」
『……勝って来いよ。そしたら今日の貸しはチャラにしてやる』
「もし僕が負けたら?」
『そうだな……。オーソドックスに体で払って貰おうか』
「うわー涼介くんエローい」
きゃらきゃらと笑う
夢子は、それから二言三言交わして通話を切った。
「
夢子、まさかそのFD……」
「うん。リベンジしに行くの白根に」
あっさりと言った。
「悔しかったんだもん、毅との約束守れなくて」
『怪我はしないこと、無事に走り切ること』
その約束を守れなかったことが悔しくて、だから初めて行く相手の地元でバトルすると言うのか。
ビジターバトルの経験なんか一度もない癖に。
「……無謀過ぎる」
「毅も同じようなことしたじゃん」
S13からR32に乗り換えるきっかけとなった島村を追った、箱根でのバトル。
「あれは──」
「毅は良くて僕はダメなの?」
「
夢子が心配なんだよ」
「僕だって心配したよ」
「──
夢子が好きだから心配なんだ!」
思わず本音が零れた。しまった、と気付いた時にはその言葉は既に
夢子に届いていた。
小さく流れるCDの音。曲と曲の間の数秒の無音状態がやけに長く感じられる。
「僕も、毅が好きだから心配してたよ」
夢子がぽつりと呟いた。
毅の左頬に柔らかな感触。触れたのが
夢子の唇だとわかるまで、しばらく時間がかかった。
「僕の『好き』はこーいう意味だけど、毅の『好き』とは違う?」
夢子の瞳は真っ直ぐに毅を捉えていた。
「──違わない。俺でいいのか、
夢子」
「僕は毅がいいんだよ」
「俺も、
夢子がいい」
20数年来の幼馴染。それが「恋人」に変わった瞬間だった。
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title.椎名林檎
up date.2004/12/23