愛縁機縁
厚い唇と濡れた舌が肌を這った。胸元に咬みつかれた途端、歯列をくっきりと感じる。尖った犬歯が皮膚を突き破るのではないかとさえ夢子には思えた。
両手で押し退けようと抗議の意思を示すも、〈彼〉は噛むことをやめようとはしない。痺れを切らした夢子が肩のあたりを拳で殴りつけながら「歯あ立てないで!」と怒鳴った。顔を上げた聖虎は悪びれずに「そりゃ男が言うやつだろ」と笑っている。
「痛いって。甘噛みじゃないでしょ今の」
「オレのモンにアトつけて何が悪い」
「バカなこと言わないでよ」
呆れるように息を吐いた夢子は身体を転がしてうつ伏せになり、枕に顔を埋める。直後、乱暴に腰を掴まれ、膝立ちで臀部を突き出す状態となった。
「ンなこと言って、さっきから濡らしてんじゃねえのか」
肉襞を掻き分け沈めた指先に、蜜がとろとろ絡み付く。腰を幾度か震わせた夢子はそれでも聖虎を拒むことなく、じっと息を潜めている。
「いれんぞ」
聖虎の言葉を聞いた夢子は背後を振り向いた。哀願するような夢子の眼つきに「ンだよ」と舌を打つ。
「つけた?」
「たりめーだろ、そこまでバカじゃねえ」
些かの安堵を浮かべ身体から力が抜けた途端。衝撃が夢子の下腹部を強襲し、呼吸が止まりかけた。シーツを掴む指先が強張る。
「油断してんのが悪い。こんだけ濡れてりゃ痛くねーよな」
遠慮の無い抽送に合わせ、頬と枕が擦れた。程無くして聖虎の動きが止まる。夢子を抱きかかえて仰向かせ、視線を合わせた。不思議そうに見上げてくる夢子へ「顔、見えねーのヤなんだろ」と独り言のように放り投げる。素直に頷く夢子を見遣り、聖虎は片頬で微笑ってみせた。
「あの時さあ、」
夢子がやや掠れた声を上げると、隣に横たわる聖虎が「あ?いつだよ」とぞんざいな口ぶりで視線を向ける。
「いちばん最初に、伊勢佐木町で会った時。なんで、私に声かけたの」
「うまそうだったから」
即座に返ってきた答えには主語が不在である。予想はできたが「なにが」と短く問うてみた。
「オメーに決まってんだろ」
予想通りの答えに細い溜息が零れる。
「もう。聞いて損した」
「聞かれたから答えてやったんだろ、オレはよ」
「んー……もっとさあ、好きとか、言ってくれてもいいんじゃない」
「うるせえな」
「なによもー。私のこと好きなくせに」
「わかってんじゃねえか」
聖虎は顔を背け、これ以上の追及から逃れるつもりらしい。そうはさせるか。がばと身体を起こし、彼の上体へ馬乗りになる。
「それを!私の目え見てちゃんと言えっつってんの!」
両手で頬を挟み顔を近付けるが、聖虎は別段驚いた様子もなく「勝ったつもりか」とせせら笑った。後頭部に掌が触れたかと思えば抑え付けられ、唇同士がぶつかる。夢子の眉間に深く刻まれた皺は解け、かわりに甘ったるい吐息が零れ落ちた。
「コレ好きだよな」
濡れた唇に親指を乗せると、第一関節を噛まれた。そのまま付け根まで口に含まれ、咥内でねっとりと舌が絡み付く。ぞくり、聖虎の背筋が冷えた。そんなことはお構いなしに、夢子は噛んで舐めて好きに弄ぶ。流れた髪が肌をくすぐる。
名残惜し気に唇を離した夢子は、名案を思い付いたように「迎えに来てよ、聖虎」と笑んだ。
「……ナンの話してやがる」
「私が会社辞めるときさ、エントランスまで“あの”バイクで乗り込んできて。ストレスぜーんぶチャラになりそ」
「ヤメんのか、仕事」
「いつかの逃げ道、確保しとくだけ。いい?」
承諾の意で頷いてみせると、夢子は「ありがと。約束だよ」と穏やかな微笑を寄越す。途端、ヘッドボードに置いていた聖虎の携帯電話が鳴り出した。
通話し始めた彼を見下ろし、そっと身体をどかす。ぐいと腕が引かれ、胸に抱かれた。僅かに上下する胸部、速い鼓動がすぐ傍で感じられる。短時間の通話を終えた聖虎が携帯を握り「ワリイ。行くわ」と息を吐いた。
「どこ行くの」
「永遠んトコ」
「そ。永遠くん私のこと『夢子ちゃん』て呼んでくれてさ、可愛いのよね。また会いたいなあ」
「永遠に手え出したら承知しねえぞ」
「なんの心配してんのよ」
苦笑するも、間近から真剣な眼差しが突き刺さり慌てて笑みを引っ込める。
「自分が誰のモンだかわかってんのか」
「――聖虎こそ。ちゃんと、ここに戻ってきて」
「当然だ」
くしゃりと夢子の髪を撫でた聖虎は床に脱ぎ捨てた特攻服を拾い、身に付けていく。仕上げに髪を少々手直しして、完璧な〈素行不良少年〉のできあがり。玄関まで見送ろうとベッドから降りかけた夢子を聖虎は手で制し、胸元まで毛布を引き上げた。
「ンなカッコでウロウロすんな、カゼでもひかれたらメーワクだ」
「どしたの、優しい」
傍らにしゃがみ込んだ聖虎は夢子の手を取るとそのまま押し黙り、暫くして「オレぁよ」と呟く。
「オメーのこと“好き”だぜ、夢子」
手の甲に唇が触れる。彼に名を呼ばれたのは久方ぶりだ――それより今、彼は、聖虎は何と口にした。聞き間違いでなければ。幾つも不意を突かれたせいで反応を忘れているうち、彼は立ち上がりこちらへ背を向けた。“極熾天”の刺繍が視界を掠める。
「……じゃあな」
隣人から苦情が来る程度に大きな音を立て、寝室のドアが閉められた。絶対、照れ隠しだ。毛布で顔を覆い、くつくつと笑う。
一呼吸おいて、彼の愛機・CBX400Fの〈音〉が耳に届く。国道へ出たのだろう、今はすっかり耳に馴染んだ彼の音を追うように瞼を閉じた。
『そこのアンタ』
ある夜、伊勢佐木町で声を掛けてきた一人の少年。夢子がこれまで見たことも無いような、派手なバイクを歩行者通路へ横付けしている。立ち止まった夢子をガードレール越しに見つめ『ヒマなら乗れ』と顎で背後を示した。
普段の夢子なら無視していた筈、そうしなかったのは何故だろう。言葉に従い、白いシートへ腰を落とす。会社と自宅の往復を繰り返すばかりだった夢子のくすんだ毎日は、彼――相本聖虎の存在ひとつで劇的に変わった。
この世に、ひとの目には視えない〈縁〉というものがあるのだとしたら。我に返ったように咳払いで思考を散らす。うら若き乙女じゃあるまいし、キラキラした夢見がちなことなんか似合わないと解っている。
まったく、恋ってやつはタチが悪い。世間的にいい歳である自分が、こんなふうになってしまうなんて。ベッドへ身体を倒すと、微かに彼が香る。
ねえ聖虎。私、けっこうしあわせよ。囁きは自分の耳にだけ届く。このまま眠ったなら、きっと彼の夢をみる。それもやっぱり、しあわせのひとつ。
[愛縁機縁] END.
2015/01/27 up.(メルマガ読者様限定 先行公開.01/25)
倉庫|夢|0:top
愛縁機縁)