コトヅテ
「レビンのお兄さん」
それはとても暖かい夜だった。
定峰峠頂上の駐車場には"走り屋"の車が並んでいる。声を掛けられて振り返った渉を待っていたのは、熊谷ナンバーのFD3Sを従えた長身の女性。
渉の知る限り初対面である彼女は、躊躇うことなく真っ直ぐに渉を見つめ言葉を続ける。
峠に響くエンジン音やその他の雑音に負けない、凛とした声が渉に届いた。
「ココ、黒のFD居るでしょ?可愛い女の子が乗ってるの」
「ああ――恭子のことか」
「その子とバトルしたいんだけど。居る?」
「いや、今日は来てない」
「そう。残念だな……。じゃあ伝えといてくれる?土曜日の夜――11時にココでって」
無言の渉を訝しげに見遣り、彼女は右の眉を少しだけ上げた。なんだか性格キツそうだな――という印象を持ったのはきっと、つり目のせいだろう。
別に怒っているわけではなさそうだ。黒目がちでつり目の彼女はこちらをじっと見据えている。
「……伝言、承諾してくれたってコトにするよ?」
それでも無言の渉に釘を刺すように、彼女は「よろしく」と背を向けた。
「渉、どうしたんだ?難しい顔して」
従兄弟の延彦が話し掛けてくるまで、渉は動けずに居た。
「延彦くん。ちょーっと相談があるのですが」
「何だよ急に。気持ち悪い」
渉は自販機を指し「奢るから」と微笑った。
どうか、このおもいが。
ひとかけらで構わないから。
あのひとに伝わりますように。
約束の日。約束の時間から約15分が経過した頃。シンと静まり返っている定峰峠。自分の呼吸と鼓動と足音しか聞こえない。
彼女は何度も腕時計に目を遣る。ようやく姿を現したのは、恭子が乗る黒のFD――ではなく、ツートンカラーのレビンだった。
「誰も居ないってどういうこと?」
苛立った彼女は、運転席から降りた渉に詰め寄った。視点の高さが渉と殆ど変わらない。女性を見下ろさずに済んだのは彼女が初めてだ。
「悪いけど、そんなに素直じゃないんでね」
それを聞くと彼女は行儀悪く舌を打ち、すぐに踵を返した。渉が背中に投げ掛ける。
「ココは今夜貸し切りだ。バトルならオレが受ける」
「えー……」
「オレじゃ不満なのかよ!」
「不満て言うか、セッティングが――」
ちらりと愛車を見遣る、つり目の彼女。その表情は少しだけ沈んだように見えた。
「ハンデならいくらでもやるよ。ココはオレの地元だからな」
「なんでそんな好戦的なのよ……」
これだから走り屋は――と彼女が溜息を吐いた。
「お前だって走り屋だろ」
「一緒にしないで。あたしは車オタクよ」
妙に自信有り気に彼女が言い切り、渉は脱力せざるを得なかった。
「……オタク……?」
「そう。悪い?」
「いや……」
「ならいい。帰る」
「待てよ。名前くらい教えろ」
「なんで?」
「名前知ってたら、また会える気がするから」
「……それ、本気で言ってる?」
「もちろん」
呆れたような表情の彼女に言い訳をしようとしたとき、携帯が震えた。待ってて、と目で彼女に伝え、取り出した携帯電話。
ディスプレイに表示された妹の名前に、ほんの少しだけ苛立ちを覚える。
『もしもし〜今どこ?』
「邪魔すんな!青FD乗りの目付き悪いヤツと話してんだよ!オレと同じ身長の女なんて初めてだぞ!」
『あれー?アニキ、夢子のこと知ってるの?会ったことあったっけ』
「はぁ?和美、夢子って――」
『高校の友達。背高くてカッコ良いコでしょ?女子からの人気すごかったんだから〜』
「…………」
『それでね、車好きなの。青のFD乗ってるんだけど結構マニアックっていうか……アニキとなら絶対話弾むよ!』
話が弾むどころか、今絶対睨まれてる。視線が刺さって背中が痛い。
「……もういい。寝ろ、和美」
『ちょっと、そこに夢子いるなら――』
「知らん。寝ろ」
一方的に通話を終わらせると、FD乗りの彼女――和美の高校時代の友人・夢子――に視線を戻した。
「ウチの妹を知ってるんだな、夢子サン」
「和美は高校時代の唯一の友人よ」
「へぇ。じゃあオレのこともついでに知ってるってわけだ」
「…………」
「何だ。和美のヤツ、オレのことはあんたに話さなかったのか」
渉をキッと睨んで、夢子が声を荒げる。
「誰のせいだと思ってんのよっ!」
「……は?」
「レビンに会ってなかったら車になんかハマってなかった!」
「ちょ、ちょっと待――」
「大体ね、オートマで十分なのよ!何なのよ半クラって!」
「……車オタクってのは……」
「知識先行の頭でっかちで悪かったわね!だからこーやって必死で練習してんのッ」
「…………」
「…………」
夢子がひとしきり喚いた後、どちらからともなく黙り込んだ。風の音さえ耳に障る。
「……オレが、悪いのか?」
「悪いとか悪くないとか、そういうんじゃないけど」
「さっき、誰のせいって」
「……あれは、勢いって言うか、その、」
先程までの態度が急変、しどろもどろになった夢子が叫ぶ。
「好きになったんだからしょうがないでしょッ!」
最大の転機は和美と出会ってすぐ。夢子が初めて秋山家を訪れたとき。
「和美。この車――ご家族の?」
「ん、アニキの。レビンていうんだ」
「へー……初めて見た。かっこいいね、お兄さんのレビン」
「そうかなぁ。別にフツーの車だよ?」
「かっこいいって!あたし、3年になったら免許取ろうかな」
「夢子は運動神経いいから絶対すぐ取れるよ。そしたら2人でドライブしよ!」
「もちろん。和美の行きたいとこ連れてくね」
しかし、このときの和美の予想は大きく外れることになる。
学科は問題なし。とにかく技能教習が苦手だった。サイドブレーキの下ろし忘れ、エンスト、教官の補助ブレーキ発動は日常茶飯事。
「田中さん。クランクは乗り上げるためのものじゃないんですよ」
「キープレフトって最初に教えましたよね?」
「フラフラしない!見てる方に進むんだから進行方向見る!」
初めのうちは笑顔で優しく注意していた教官も、次第に「またか」といった苦い表情に変わる。
教習を進めていくうち"要注意人物"として有名になっていたようだ。合宿教習のメンバーが次々卒業していくのを、ラインが沢山引かれた教本片手に恨めしく眺めていた。
結局、何時限オーバーしたかなんてもう覚えていない。ただ、通っていた教習所の開校以来、断トツだったことだけは確かだと思う。
定額を支払えば追加料金不要の『自信のない方におすすめ・安心コース』で良かったと、心の底から思ったのだった。
夢子がようやく免許証を手にした頃、夢子と和美は既に高校を卒業していた。会うことがなくなってから自然と疎遠になり、気付けば携帯でのやり取りだけ。
和美との約束を忘れていたわけではない。愛車となったFDに乗る度思い出す。それはいつも何処かに引っ掛かっていて――後悔と言う程でもない、本当に小さな棘だった。
「帰ったら和美に伝えて。近いうち迎えに行くからドライブしよって」
「あいつの携帯知ってんなら自分で――」
「お願いします、レビンのお兄さん」
穏やかな表情の夢子を見遣り、やれやれと肩をすくめて渉が笑った。
「オレ、秋山渉」
「――田中夢子」
「夢子、な。んじゃ、夢子に質問」
「何?」
「夢子が好きなのはレビン?それともオレ?」
白と黒、ツートンカラーの愛車に次いで自分を指しながら渉が問うた。朱に染まる夢子の頬が、何よりも真実を語っている――ように見える。
「――あ、あたし車オタクだって言ったでしょ!」
「あのなぁ夢子……だからって車とはレンアイ出来ないぞ」
「渉には関係ない!」
思わず"友人の兄"を呼び捨てにし、それに気付いた夢子が顔を強張らせた。
「……散々タメ口でしたけど……あの、すみません」
「いや、も一回」
「え?」
「もう一回、オレの名前呼んで。夢子」
「……怒らない、の?」
「すげー嬉しいんだ」
まるで、犬が全力で尻尾を振るように笑った。そして夢子が少し躊躇って口を開く。
「――わた、」
一度言葉を切った夢子が渉に視線を移すと――渉は喜色満面で夢子を見つめていた。
「やっぱ無理!」
「夢子、そこまで言っといてもったいぶんなよ!」
逃げようとした夢子の腕を掴んで引き寄せると、掌底で顎を突き上げられた。渉の首から鈍い音が鳴り、一瞬意識が遠くなる。
「痛ってぇ……」
「だ、だって、無駄に近付くから!」
「何だよその理由」
掴んでいた腕を解くと、渉は崩れるようにアスファルトへ倒れ込む。
「ごめ、力入れてなかったのに――」
おろおろと狼狽する夢子を薄目で見遣り、渉は唇で笑んだ。
手を伸ばし、再び腕を掴む。夢子の時計が束の間触れる。渉は倒れてくる夢子を抱き留める準備をしていた。
しかし仰向けの渉の上、覆い被さるように夢子が地べたへ掌をつく。夢子の掌に伝わるのは、アスファルトの温度と小石の鋭さ。真下から見上げてくる渉の視線を逸らせないまま。
どういった表情をすれば正しいのか――夢子には判らなかった。困惑したような夢子へ、渉が言った。
「夢子、伝えてくれよ」
「……誰に、何を」
「決まってんだろ?夢子のココロにさ。オレが、夢子に惚れたって」
「は……」
「できたら大急ぎで」
「そんなの、」
「ん?」
「――とっくに、伝わってます」
夢子は少し力を抜くと、渉の肩へ頭を預けた。張り詰めていた気持ちが、ほんの少し楽になる。
「……夢子」
「え?」
「オレとしては……この体勢、非常に嬉しいんだけど、」
「……?」
渉は言葉を選ぶように目を泳がせている。そしてぽつりと呟いた。
「我慢出来ないかも」
密着しているふたりの体。硬度を変えていく渉の中心に気付いた夢子が起き上がり、迷うことなく拳を振り下ろす。
重たい打撃音が断続的に響き、しばらくしてからFDの猛々しいエンジン音に変わった。
それはとても暖かく穏やかな、夜の出来事。
[コトヅテ] END.
お題:伝言
2007/07/30 up.
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