髪をほどいて
浴室から聞こえる水音で目が覚めた。夢子は眠っていたことに気付き、もそもそと上半身を起こす。時計は午後7時を少し回ったところ。

「起きたか、夢子

「……ん」

清次が乱暴に頭を拭いて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。ぼんやりとそれを見ていた夢子が、癖のついた前髪を弄りながらぽつりと呟く。


「ズルいよ清次」

「――何が」

「なんでそんな髪キレイなの」

「……知らねぇよ」

清次は髪を洗った後、いつも適当にタオルで乾かしてそのまま放置(本人曰く"自然乾燥")。それなのに、つやつやでサラサラ。



お風呂上りのあたしときたら、毛先から軽くタオルで叩いて、頭皮を揉むように(でも髪を擦らないように)水分取って、また毛先の水分取って、流さないトリートメントでアミノ酸とか補給して、ドライヤーで表面と根元乾かしたら指通りを確認するように乾かして、ブラシ使ってブローして――



清次の何倍も手間をかけてるあたしの髪の方がキレイでなきゃおかしい、筈だ。

「そーいや清次のお母さんも髪キレイだよね。遺伝?」

「だから知らねぇっての」

上半身裸のまま、清次が冷えた水を呷って息を吐く。

「風呂入んだろ?早くメシ食いに行こーぜ」

「うん。ちょっと待ってて」

夢子がベッドから降りて、パタパタと浴室へ向かった。



いろは坂の連続ヘアピンを駆け抜けるエボ4の助手席で、夢子が鏡と睨めっこしながら髪型を整えている。

普段の6割程度で流しているとは言え、随分余裕が出てきた――清次は助手席の夢子を見遣る。

初めて隣に乗せた時なんて、泣いて喚いて散々暴れて、何を血迷ったのかドアを開けようとしていた(死ぬぞ)。

駐車場で、ぐずぐずに崩れたメイクを笑ったらシャツの裾で鼻かまれて――

思わず笑いが込み上げて、ごまかすように咳き込んだ。

「どしたの?むせた?」

「……何でもねぇ」


明智平駐車場、午後10時。


夢子ちゃんひさブリ!」

「ご無沙汰してますー」

夢子は声を掛けてくるメンバーに、ぺこりと頭を下げる。きょろきょろと辺りを見回して――どうやら"皇帝"を探しているようだ。

人見知りの筈が、何故か京一にだけ、やけに懐いている。目当ての人を見つけると小走りで駆け寄って行く。

「京一さん」

「ああ、夢子か」

「えへへ。こんばんは」

「ん?シャンプー変えたのか」

「わかるんですか!? 鼻ききますね!」

驚きと尊敬の眼差しでキラキラと京一を見上げる。

夢子の髪はいつも綺麗だな」

サラサラと夢子の髪を撫でて京一が微笑った。

「ありがとうございます。一応、気はつかってるんです、けど……」

「俺は評価するぞ」

「あああもう京一さんが彼氏ならいいのにー!!」

大袈裟に悶える夢子を京一が抱き寄せた。



「京一!夢子にくっつくな!」

「知らん。夢子に言え」

きゃらきゃらと笑う夢子の髪を突風が巻き上げ、そして何事も無かったかのようにさらりと元に戻った。

「――すげえ!CMみたい!」

夢子ちゃんナイス美髪!」

わあっと夢子に駆け寄るメンバーを清次が威嚇すると、蜘蛛の子を散らすようにして追いかけっこが始まる。

賑やかな駐車場の隅、夢子が遠慮がちに京一のジャケットの裾を引いた。



「京一さん」

「……どうした、夢子

「髪、さわってもいいですか?」



絶句する皇帝を見たのは初めてだった。



「あ、……やっぱダメですよ、ね。スミマセン、変なこと言って」

「いや。構わないが――男の髪なんか触って何が楽しいんだ」


京一は溜息を零し、バンダナを解くとアスファルトへ膝をついた。

見事な金色の短髪を目の前にし、うなだれていた夢子が一瞬躊躇ってそっと手を伸ばす。愛しいものに触れるように指先で弄んだ。

無邪気な無法者に跪く"皇帝"の姿を、メンバーが遠巻きに見守っている。


夢子!お前何してんだ!」

がば、と夢子を担ぎ上げて清次が怒鳴り散らす。

「京一も!夢子甘やかしてんじゃねぇよ!」

「やだ清次下ろしてよ!もっと触るのっ」

「うるせぇ!帰るぞッ」

「いーやー!助けて京一さぁーん!」

「っだー!暴れんな!!」

清次は愛車の助手席に夢子を放り込んで、派手なスキール音と共に駐車場を後にする。呆気に取られるメンバーと、少し赤い顔でバンダナを巻き直す京一の姿が在った。



車内の沈黙を破ったのは夢子だった。



「清次ー。何怒ってんのよー」

「うるせぇ」

「妬いてんの?」

「…………」

「当たりだ〜」

「――うるせぇって言ってんだろ!」

急ブレーキに体がすくんだ。乱暴にサイドブレーキを上げた清次に夢子が噛み付く。

「あ……っぶなッ!何なの!?」

「悪いかよ!!」

「はァ?」

「妬いたよ!京一に嫉妬した!それが悪いのかって聞いてんだ!!」

「…………」

「……おい……何で夢子が黙るんだよ」

「……あ、えと……う、嬉しいです」

「あ?」

「えと……そんな風に思ってくれてるなんて……」


夢子はもごもごと口ごもり、うつむいて大人しくなった。咳払いをして愛車をゆっくり発進させた清次が、助手席の夢子を諭すように話し掛ける。


「もうあんなことすんなよ、夢子

「何?」

「他の男に触んなってこと」

「え〜」

「オレで充分だろ」

「じゃあ、あたしがさわられるのはいい?」

「もっとダメに決まってんだろ!」

「つまんなーいー!」

「うるせぇ!アホか!」

「ちぇー。その分清次がさわらせてくれる?」

「……ああ」

「あたしのこと、いっぱいさわってくれる?」

「…………ああ」

「うーん、それならいいよ」

どうやら機嫌は直ったようだ。


女ってのはどうしてこうも手間が掛かるんだ――


行儀悪く舌打ちしながらいろは坂を下っていると、不意に夢子が呟いた。

「女はめんどくさいとか思ってんでしょ」

「……別に」

「正直に言ってもいいのに」

「……あのな」

「ん?」

「そりゃめんどくせぇよ。すぐ泣くし言ってることがコロコロ変わるし。買いもしねぇモン長時間見やがって。メールが遅いだの電話に出ないだの――」

「ちょっと、まだあるの?」

「それでもオレは夢子が好きなんだから、どうしようもねぇだろ」

「……ホント、どうしようもないね」

苦笑するように夢子が溜息を吐いて、そして何かを決意するような声が上がる。

「あたしね、清次のことずっと好きだった。好き、って、最近言ってなかったね」

ふ、と清次の頬が緩む。

「よし!これからは毎日言うね!」

「そんな決意いらねぇよ」

「照れなくていいよ〜」


嫉妬する自分の気持ちに気付いてほしいだけだった。夢子の髪がキレイなことなんて、素直に言えないだけで――初めて会ったときから知っている。

助手席の夢子の髪に、ほんの一瞬左手で触れた。少し驚いたような夢子を見遣り満足気に微笑うと、清次はアクセルを踏み込んだ。





[髪をほどいて] END.

お題:髪

2007/05/03 up.


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