Rhapsody in Blue 26:06 (1/2)
動き出す前の街はまだ、朝の静寂さを保っているように思えた。

信号待ちの車内から見上げる空は――青碧に青藤色、それから薄群青の穏やかな青色たち。運転席の窓を開けた途端。春を匂わせる風が吹き込み、火照った頬を柔らかく冷ましてくれるようだ。

顎関節の限界を試すような欠伸をひとつ。やがて知らぬ間に溜息が深く溢れ、夢子は濡れた目元を一度拭う。


寝てる時間がもったいなくて、毎日楽しいことだけ考えてる。たぶん、慢性的に寝不足なんだと思う。

食べること、遊ぶこと、眠ること。何を〈削る〉かといえば、やっぱり睡眠時間の一択。こんな無茶ができるのもきっと、今のうち、だけだから。

傍から見れば怠惰ともいえるこの日々は、学生の特権・春休みだけの特別。

バイトして、車乗って、少し寝たらまたバイト。最近はずっと、この繰り返し。友人からは「よく飽きないね」と笑われる。慣れたから気にしないけど。


地階駐車場からエレベーターに乗り込むと、掌に馴染んだ相棒のようなスマホを取り出し親指を滑らせる。

内廊下を歩きながらメール整理を終えて玄関を開けた途端、思いがけず父と顔を合わせ――互いに少し驚き、苦笑しながら挨拶を交わす。

「おかえり」

「ただいま。もう起きてたんだ、早いね」

「まあな。それで、収穫はあったのか」

「んー、トヨタのふっるいの居たよ。初めてナマで見たけど、ちょーカッコよかった」

靴を脱ぎながら「こんな鼻長いやつ」と指先で表す夢子を、父はじっと見つめている。

「昨日、母さんとも話したんだが……軽井沢に行こうと思ってな」

「え、それいつから何泊?私も久しぶりに行こうかなぁ」

「いや。お前が卒業したら引っ越そうと思ってる」

スリッパを引きずるように足を止める。そんなこと、全然予想していなかった。僅かに困惑を覚えた夢子が眉根を寄せる。

「ここに一人で住むか、一緒に引っ越すか、別の場所で一人暮らしをするか。選ぶことになるだろうな」

2年次からは〈就活〉も考えなければいけないと思っていたところだ。まだ漠然としている、自分の進むべき道を探すために。

考慮すべき案件が増えただけ――ただ単純に、そう思いたかった。夢子は一度、頷いて振り返る。

「考えとくね。風呂入って寝ます」

「ああ。おやすみ」

「ん、いってらっしゃい」

避暑のための別荘には、毎年のように家族で行っていた。両親が引っ越すということは、あの別荘に住むのだろうか。もしかしたら、そこは貸しに出して新しく買うのかもしれない。

卒業後は都内で勤務するとして、軽井沢からの通勤となると……交通手段はやはり新幹線か。交通費がハンパじゃないな。

でもここは、一人で住むには広すぎる。今みたいに、キーパーさんに来てもらえるならいいんだけど。

職場の近くにアパートでも借りて、一人暮らしってやつを経験してみようか。……できんのか、私に。向いていない気もする。



髪を拭きながら自室のドアを開けた夢子は、壁一面を埋める本棚の前で立ち止まり、ミネラルウォーターを一口飲み込む。

北関東のドライブガイドブックを一冊手に取って広げた。ドライブコースや観光名所が紹介されている。浅間山。碓氷峠。秋名湖。

雄々しい妙義山の写真が、ふと目に留まる。ここへ行ったのは、小さい頃……遠足かなにかだったと思う。確か、桜がきれいに咲いていた。

自分の車で、自分の運転で行ったことはなかった。明日の夜――いや、今夜にでも行ってみようか。桜を見るには、たぶんまだ早いけれど。

たまには自分の知らないところを、自分で走ってみるのもおもしろいんじゃないだろうか。新しい発見や出会いがあったりする、かもしれない。

やりたいことを今、やらないでどうする。今なら時間はあるんだ。夢子は息を吐いてガイドブックを閉じた。



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