儚く優しく冷えた月 (4/4)
R32の車内は静かだった。
「うちに来るか?」という毅の問いに、夢子は小さく頷いただけでずっと俯いている。儚げな横顔は美しく、毅は何度も言葉を飲み込んだ。
マンションの駐車場にR32を停める。エンジンを切った途端、耳が痛くなる程の静寂。
「……コーヒー、淹れるよ」
そう言うと毅は運転席から降りナビ側のドアを開けた。シートベルトを外してやると、みるみるうちに夢子の頬が赤く染まっていく。
「夢子、どうした?」
「……何でもない」
ふるふると頭を振った。鞄を抱えてR32を降りた夢子が毅に遠慮がちに寄り添う。エレベーターホールには2人の靴音だけが響いている。
毅は玄関を開けると、夢子専用となった麻のスリッパを差し出した。ここに来るのは20日ぶりだった。
「お邪魔します……」
3週間足らず会わなかったというだけで、何故こんなにも懐かしさを感じるのだろう――
涙が出そうになって夢子は慌てて目元を拭った。
毅の部屋は相変わらずホテルのように機能的で――でもどこか寂しい匂いを感じる。
「手、洗っておいで」
夢子は素直に頷き、パタパタと洗面所へ走っていった。
リビングに置かれたマグカップは、ゆるりと湯気を上げて夢子を待っている。
夢子はソファに腰掛けて「いただきます」と頭を下げた。少し距離を置いた毅と並んでコーヒーを啜る。
沈黙に押し潰されそうになる。
「夢子」
毅に名前を呼ばれ、夢子はびくりと体を震わせた。
「俺は自惚れていたみたいだ」
独り言のように毅が呟く。
「夢子は俺だけを見ててくれる、だから大丈夫――そう思ってた」
俯いたままの夢子を見遣り毅は大きく息を吐いた。
「夢子の気持ちも考えないで……随分自分勝手だよな。――ごめん」
「だから……」
夢子が少し掠れた声を上げる。
「距離を置こうって、言ったの?」
「夢子の態度が変わったから不安になったんだ」
「あれは……」
「慎吾に何か言われたか?」
言葉に詰まった夢子が鞄から取り出したのは、くたびれた紙袋。受け取った毅は中を覗き、全てを察したようだった。
「どうしたらいいのか、わかんなくなったの。毅のこと、すごく意識しちゃって。恥ずかしくて――」
「夢子、これが事実だと思ってないか?」
「え……?」
「ここに描かれているのはフィクションだ。ギャラを貰って客に"見せる"為の芝居をしている。――本当のセックスは、これとは違う」
直接的な単語に、夢子は赤面して俯いた。毅も自分の台詞を反芻して咳払いをする。
「……俺が夢子を愛しているのは……わかってくれるか?」
「うん……」
「夢子は――俺を、どう思ってる?」
「……好き……」
毅のシャツの裾を遠慮がちに引いて夢子が呟いた。
「すごく、好き、だから――メール見たとき、すごく悲しかった。も、嫌われたって思っ――」
ぽろぽろと涙を零して唇を噛んだ。
「私、毅が好きなの」
夢子の精一杯の想い。その言葉の最後は毅の唇に遮られた。
「……慎吾か?」
『なンだよ毅』
「夢子の家に連絡してくれないか」
『てめ今何時だと思ってンだ!とっくに電話してあるっつーんだよボケが!』
妙義山に居るのだろう、スキール音とエンジン音が微かに聞こえる。
『夢子のケータイつながンねェし、お前は何回かけても直留守だしよォ。ったく、どーなってンだよ』
「……邪魔しないで貰いたい」
『あームカつくッ!……夢子は今どこにいんだよ』
「すぐそこに居るさ。眠ってる」
毅は窓辺から白い三日月を見上げた。
『……夢子のこと泣かしたらぶっ殺すからな』
「覚悟はできてるさ」
『フン。……じゃあな』
「ああ」
寝室は月明かりに濡れ、青白く光っている。まるで海底のようだと毅は思った。
ベッドの隅で丸くなっている夢子を見遣り、後ろからそっと抱き締めた。滑らかな背中に耳を押し当てると、生命のリズムが響く。
ひく、と夢子の肩が揺れ、寝返りを打った拍子に薄っすらと目蓋を開ける。
「……た、けし……?」
「ああ――起こしたか。ごめんな」
夢子は小さく首を振り、また規則正しい寝息を立て始めた。乾いた涙の痕にそっと触れ、唇を寄せる。
2人を見下ろす細い月はただ、儚く優しく冷えていた。
[儚く優しく冷えた月] END.
←儚く優しく冷えた月 (3/4) *
2005/03/02 up.
中里毅|夢|0:top