儚く優しく冷えた月 (2/4)
土曜の夜は長い。だらだらと深夜放送のバラエティを見ていた夢子は、大きな欠伸をして鞄に目を遣った。

「あ……慎兄から借りたビデオがあったんだっけ」

ごそごそと鞄からスタバの紙袋を出した。幾分くたびれたそれには、一本のビデオテープが入っている。


時刻は既に午前2時。階下の両親はもう寝ているだろう。音量を最大にでもしない限り、部屋の外には聞こえない筈だ。

でも一応慎吾の言葉に従い、暫く使っていなかったイヤホンをセットする。

白いケースからテープを取り出してデッキに入れる。テープは半分程入れたところで飲み込まれていった。

「映画だと2時間くらいかなー」

音量を最小に絞り再生ボタンを押す。パジャマのままベッドにもたれ、クッションを抱えて座った。

傍らには温くなったミネラルウォーターのペットボトル。

画面は一瞬青くなり、急に映像が流れ始めた。微かな声がイヤホンから聞こえる。画面に映し出されたのは裸で絡み合う男女。

「……へ?」

夢子がぽかんと口を開けて画面を見つめる。

("ダイハード"って、映画じゃなかったっけ……?)

ラベルはカモフラージュ。それに気付くまで暫く時間がかかった。慎吾の言葉を反芻してみる。


『もうセックスしたのか?』


「まさか……コレで予習しろってこと?」

AVを見たことが一度もないわけじゃない。友達の家に泊まったとき、鑑賞会と称して何本か見たことがある。

でもモザイクが入っていない――いわゆる無修正モノは初めてだった。夢子は顔を赤くしてリモコンに手を伸ばす。


画面は女優のインタビューに変わっていた。名前。年齢。初体験。性感帯……。

どこまで本当だろう。いや――本当のことなんて、何もないのかも知れない。

停止ボタンを押そうとしてふと、手を止める。唇のアップ――そして、キス。



毅と初めてキスしたのは、一ヶ月以上前になる。夢子はそっと唇に手を触れた。

生まれて初めてのキス。"その先"に何があるのか知っている。でも毅は何も言わない。"キス以上のこと"をしてこない。

「やだ。なんか私、期待してるみたい……」

ぽつりと呟いた。

音量を少しだけ上げて画面に見入る。時々停めながらも全て見終わると、外はすっかり明るくなっていた。




「慎吾」

「――あ?」

夢子に何かしたか」

「なンか、って何だよ」

「あいつ……ここんとこ変なんだ」

「変?」

「避けてるっつーか、俺が隣に居ても落ち着かないみたいで――」

「とうとう嫌われたンじゃねーの。ご愁傷様〜」

チン、とジッポで煙草に火を点けながら慎吾は笑った。

「いつからだ?」

「先週……俺仕事だっただろ」

「あー、土日な」

「構ってやれなかったから怒ってんのかと思ったんだけど……そういうわけでもなさそうだし」

「おい毅。お前さァ」

「――?」

「オレが夢子のこと狙ってんの知っててンなこと言うのかよ。ノロケにしか聞こえねェっつーの」

「本気なのか、慎吾」

「おうよ」

平日の真夜中。妙義山の駐車場はシンと静まり返っている。時折、エンジンの咆哮が遠くから聞こえる。恐らくナイトキッズのメンバーだろう。


夢子が愛してるのは俺だ」

「……ズイブン自信あるンだな」

紫煙を燻らせた慎吾が唇だけで笑う。


「あんま油断してっと――夢子さらっちまうぞ」

ベロ、と舌を出して、割と本気の宣戦布告。

「フン。言ってろ」

毅は缶コーヒーを放った。

「なンだよ。オレブラック飲めねェよ」

「そんなこと言っていいのは夢子だけだ。文句あるなら返せ」

「ったく、甘やかしてンなァ」

チ、と舌打ちしながらプルタブを起こす。毅はR32に乗り込むと駐車場を後にした。



「まァ……まず間違いなくオレのせいだろーな」

あれ以来、夢子への電話もメールもレスがない。毅も似たような状況なのだろう。

「こんくらい何でもねェよ」

悪いことをした、なんて思わない。欲しいものはどうしたって欲しいのだ。

「今頃焦ってんだろーな毅のヤツ……」

女慣れしていない彼のこと、表面上はともかくきっと悶々としているのだろう。ムカつくくらい落ち着いている普段と違って、余裕が感じられない。

「そろそろイクか――」

無理矢理飲み干したコーヒーは、やたらと苦かった。




毅から[しばらく距離を置こう]という短いメールが来たのは、夢子が慎吾と会った2週間後だった。

放課後の教室で物憂げに携帯を見つめる。[わかりました]とだけ返信して夢子は弓道場へ向かった。

「あ、夢子先輩」

「隅っこ貸してね」

「ハイ。後で指導お願いしまーす」

「了解」

頭の中を空っぽにして弓を引いた。何も考えないようにすればする程、心はざわざわと粟立っていく。

それでも放った矢は、的の中心へ吸い寄せられるように的中した。



儚く優しく冷えた月 (3/4) #
儚く優しく冷えた月 (1/4) *

中里毅||0:top