Kissing blue memories
「池谷先輩、お疲れ様でしたぁ」
「お疲れー。あ……夢子さ、買物行きたいって言ってたよな」
「あ、はい。アウトレット行きたいんですけど……」
「連れてってやろうか」
「えッ!ホントですか?」
「日曜に休みもらったんだ。夢子も休みだったよな?」
「は、はい!休みじゃなくても行きます!13乗せてくれますか?」
「もちろん。じゃあ決まりな」
「ありがとございます!」
彼に大きく手を振ってスタンドに背を向けた。バイトは大変だけど、好きな人と一緒に働けるのが嬉しくて続けている。
好きな人が失恋した時、素直に喜べるくらいしたたかになりたい。自分が付け入るチャンスだと思えるのなら。もっと上手くやれるなら。夢子には彼の傍で笑っていることくらいしかできなかった。あれから二ヶ月近く経つけれど。彼の気持ちが誰に向いているのか、なんて――分かり切ったことだった。
軽井沢の観光名所となっているアウトレット――プリンスショッピングプラザ――は、日曜のせいかひどく混雑していた。夢子はそれでも果敢に目当てのショップを攻める――池谷は夢子についていくのが精一杯だった。閉店ギリギリまで粘った夢子が「そろそろ帰りましょうか」と振り返ると、荷物持ちの池谷がぐったりとうなだれていた。
「夢子……お前、意外とタフだな」
「そうかなぁ……。あ、帰りに横川寄ってもらえますか?親にお土産頼まれてて」
「ああ、わかった」
戦利品を後部座席に積んで助手席のドアを開ける。
ゆっくりと時間が流れていく車内、デートと言っても良いかな、と勝手に思っていた。夢子の緩んだ口元は、次の瞬間凍りつく。視界に入ったのは青色の『シルエイティ』。ほんの一瞬だったけれど、見間違うはずが無い。
「――先輩!ちょ、停めてっ!」
「な、何だよ夢子。ベルトしとけよ、危ないだろ」
「いいから早く!駐車場!」
腑に落ちないといった表情の池谷がS13を駐車場へと進める。停止するや否や助手席から夢子が飛び出した。
「夢子!どうしたんだよ」
「あれって……シルエイティ、ですよね」
夢子が指差したのは、大きな看板の近くに停めてある青色のシルエイティ。写真でしか見たことはないけれど、拓海と樹から話は聞いていた。忘れようにも忘れられない、インパクトのある青色。
「きっと、真子さんが居るんですよ」
「…………」
「先輩!」
「いいんだ、夢子。もう終わったんだから」
「池谷先輩……」
歯痒くて、唇を噛んだ。
「ちょっと真子〜、待ってってばぁ」
場違いに明るい声が飛ぶ。
「沙雪ってば、釜めしのストラップなんてどうするのよ」
「だって限定って言われるとどーしてもさァ」
「あ――」
「ん?なにー?」
「……池谷さん……」
「えぇっ!?」
ビニール袋を提げた沙雪と、鍵を手にした真子。泣き出しそうな夢子と、俯く池谷。
「池谷先輩、」
「……行くぞ、夢子」
「イヤです!」
「……夢子……」
「真子さんに、言うこと……言わなきゃいけないこと、いっぱいあるじゃないですか!」
「…………」
「今言わなきゃ、ずっと、ずっと後悔しますよ!?」
「……もう、いいんだ」
「――そんなわけないですッ!」
横川ドライブインの駐車場。絶叫に近い夢子の声は震えていた。
「……あの〜、お取り込み中悪いんだけど」
沙雪が言葉を挟む。
「ウチの真子も、言いたいコトあると思うから置いてくわ」
「え、ちょっと沙雪……」
「アンタは13で送ってもらって。このコはあたしが送ってく」
真子から鍵を奪って沙雪が微笑う。
「ね、おいで。秋名でいいんでしょう?」
殊更明るく、沙雪が夢子に呼び掛けた。後部座席に詰め込んだ戦利品を取り出して、夢子がシルエイティに向かう。少し俯いて、唇を結んだまま。
「夢子、」
「……真子さんに、先輩が今思ってること全部伝えてください。そうじゃなきゃ許しませんから」
震える声で、でもしっかりと背中で言った。きっと、少し眉をしかめた困ったような顔をしているんだろう。
好きだった。――違う。今も、好き。すごくすごく、好きなのに。好きな人の背中を押すことが、こんなにも哀しいなんて。
インパクトブルーのシルエイティ、その助手席で夢子は溜息を吐いた。
「池谷のこと好きなの?」
特に興味はないけど間が持たないからとりあえず、といった雰囲気で運転席の沙雪が訊いてきた。
「……はい」
「ふぅん。どこがイイんだか……あたしにはサッパリわかんないけど」
「や、あの、池谷先輩すごく優しいんですよ。頼りがいあるし、メカにも詳しいしそれに、」
「ハイハイわかりましたっ。まったく……こんな可愛い後輩がいるのに見る目ないのねぇ」
「池谷先輩が好きなのは、真子さんですから」
「だから引く、ってワケ?聞き分けのいいイイコちゃんなのね」
薄い紙で指を切ったときのような、チリリとした痛みが背中を滑る。
「でも、そーいうの嫌いじゃないわ。あたし、沙雪。あなたは?」
「夢子です。田中、夢子」
「夢子ちゃん、か。行き先は秋名で大丈夫?」
「あ、はい。樹か拓海がいると思うんで」
「へぇ、知り合いなんだ?」
「同じクラスで、バイトも一緒なんです」
拓海と樹の二人が始めたガソリンスタンドのアルバイト。学校帰りに冷やかしに行ったつもりが、池谷に一目惚れした。すぐに店長に直談判して面接して貰って、ちょうど欠員が出るから――とその場で採用。唖然とする二人を尻目に夢子は「明日からお世話になります」と丁寧に頭を下げた。もちろん、今まで無遅刻無欠勤。だけどその記録はそろそろストップするかも知れない。
「へー、結構車いるのね。……あの180SXは健二くんだっけ」
「あ、はい。健二先輩です」
「この辺でいっか」
給水塔の近くにシルエイティが停まる。沙雪が運転席から降りると、スピードスターズのメンバーから喝采が挙がった。
「こんばんは、健二くん」
「あれ?沙雪さん一人ですか?珍しいっすね」
「まぁね。拓海くんいる?」
「いますよ。拓海ー」
健二に呼ばれた拓海がメンバーの間からひょこりと顔を覗かせる。不思議顔の樹もついて来た。
「何すか?」
「沙雪さんがお前に用があるんだってよ」
「拓海くん久しぶりぃ」
「ども」
「お届けものよ」
「……はあ?」
「夢子ちゃん、おいで」
助手席からおずおずと夢子が降り立つ。
「何で沙雪さんとお前が一緒なんだよ!」
素っ頓狂な声を上げた樹を健二が取り押さえた。
「ちょっと事情があってね。夢子ちゃん家まで送ってってあげて」
「……わかりました」
拓海が夢子の荷物を受け取り視線で促した。少し安堵したような表情の夢子が拓海を見上げる。
「拓海、今日ハチロクで来てるんだ」
「ああ。イツキも一緒だけどいいか?」
「別にいいけど……もう帰っても大丈夫なの?」
「オレはここ毎日走ってるし」
「……そっか。そうだね」
夢子の背中を押すように拓海が歩き出す。
「夢子ちゃん!」
沙雪が、夢子に紙切れを放った。
「忘れてた。それ、あたしのケー番。気が向いたらかけてよ」
「あの……沙雪さん、色々ありがとうございました」
「いーのいーの。あたしも秋名に来たかったしさ。拓海くん、安全運転でヨロシクね」
「はい。……イツキ、行くぞ」
健二に取り押さえられていた樹が飛び出して叫んだ。
「沙雪さん!今度オレとも遊んでください!」
「いーよー」
ひらひら手を振る沙雪に「くぅ〜っ」と悶え、拓海と夢子の後を追った。
「夢子、今日は池谷先輩と買物行ったんじゃなかったのか?」
リアシートから顔を覗かせた樹が問う。
「うん……ちょっと、ね」
「ちょっとって何だよ。大体何で沙雪さんがシルエイティ運転してんだ?真子さんは?」
「イツキ、黙ってろ」
運転席から拓海の低い声が飛ぶ。
「夢子が話したくないなら無理に聞くことないだろ」
「だってよー」
「……別に話したくないわけじゃないんだけど……」
シンと沈黙が落ちる。
「夢子、これから少し時間あるか」
「……うん」
「寄り道してこうぜ」
「どこ行くの?」
「秋名湖」
日の沈んだ湖畔で、二人に全てを打ち明けた。
「つまり、夢子は池谷先輩にフラれたってことか?」
「おい、イツキ」
「まぁ……そういうことになる、かな」
ハッキリと指摘する樹へ頷いて苦笑する。
「そんくらいでヘコんでんなよ!大体お前、顔が人間じゃないんだから!」
「……あのねぇ樹、ソレを言うなら『人間は顔じゃない』でしょ!」
「え、オレ今そう言ったじゃん」
「言ってない!すっごい失礼な言い間違いしたッ!」
「いてっ。何だよ夢子、そんだけ元気あるなら大丈夫だろ」
樹の腕をつねって反撃に出る夢子。笑ってはいるが、その横顔はどこか愁いを含んでいて――。拓海にはそれがたまらなく辛かった。
「夢子」
「――え、」
夢子の目の前を拓海のシャツが覆う。それはそっと、幼子をあやすような抱き締め方。
「うわ、拓海何してんだよ!」
両手で顔を覆った樹が、指の間から叫ぶ。
「そんな顔するな、夢子。オレまで泣きたくなる」
「……拓海……」
夢子の背中に回された拓海の腕はひどく熱を帯びているように感じた。
「なんで、そんな優しくすんの……っ」
ずっと堪えていた涙が呆気なく溢れた。しがみついてくる夢子の掌の頼り無さに、拓海の心臓が痛くなる。夢子が思っていたよりもずっと広い、拓海の背中。
「夢子の辛いこと全部、オレが受け止めるから」
拓海のTシャツに吸い込まれていく夢子の涙。それが乾きかけた頃、夢子が顔を上げる。
「拓海のバカ」
「お前……バカって何だよ」
「カッコつけすぎ、って言ってんの」
ぺろ、と舌を出して笑う夢子の笑顔はいつもと同じ。
「あ〜なんかおなか空いちゃった。ゴハン食べてこーよ」
「オレもハラ減った!」
樹が駆け寄ってきて夢子の髪をかき回す。きっと樹なりに気を遣ってくれているのだろう。
「傷心の私をなぐさめてくれるんでしょ?奢ってよね」
「仕方ないなー、消費税分くらいならオゴってやってもいいぜ?」
「せこッ。……拓海、早く行こ!」
「ああ」
その夜秋名山に響いたハチロクの咆哮は、ひどく穏やかなものだった。
「いらっしゃいませー!」
翌日のガソリンスタンド。いつもと変わらない夢子の笑顔があった。
「いつもありがとうございます。ハイオク満タンでよろしいですか?」
「うん、あと灰皿お願いね夢子ちゃん」
「はい!お預かりしますね」
窓拭き用タオルを取りにバックヤードへ走ってきた夢子を、躊躇いながら池谷が呼び止める。
「夢子」
「あ……池谷先輩。お疲れ様です」
「あのさ。……昨日のことなんだけど」
「……はい」
「真子ちゃんと、話して……仲直りしたんだ」
心臓を、鷲掴みにされた気がした。
「そう、なんですか。良かったですね」
「夢子のおかげだよ。ありがとな」
ポンと頭を撫でられて、不意に鼻の奥に痛みが滲む。
「真子さんのこと、大切にしてくださいね」
「ああ」
「……私、お客さん待たせてるんで行かないと」
震えそうになる脚で無理矢理走った。
「お待たせしました」
「いや〜今日も可愛いねえ夢子ちゃん。そろそろ俺とドライブ行かない?」
「またまたぁ。そんなこと言ってたら奥様に怒られますよ?」
苦笑して精算をし、お釣りを手渡す。
「残念。また来るよ」
「ありがとうございましたー」
客を見送って、日の暮れた空を見上げた。
きっとこの気持ちは忘れられない。だけど今はそれでいい。肩肘張らずに、いつもと変わらない微笑を。
「おーい、夢子。手伝ってくれー」
「はい!」
池谷の呼び掛けに振り向く。夕暮れの空はやさしい色をしていた。
[Kissing blue memories] END.
お題:なぐさめ
2005/10/22 up.
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