キミはともだち
離れていても、キミはずっと――胸の中に居るよ。
燃えるように赤く大きな夕陽は傾き、景色が赤く染まっている。賢太は運転席から降りると大きく伸びをし、愛車を振り返った。
暫しボディラインを眺めて満足気に頷き、コンビニへ足を踏み入れる。雑誌をめくっていると、駐車場の隅に停めたS14の傍に誰かが立っているように見えた。
ボディにレッドサンズのステッカーを貼っている以上、県内で走り屋に絡まれることは日常茶飯事。
それは有名税のようなもので、いちいち神経を尖らせていたらそれこそキリがない。鍵は閉めているから気にすることもないだろう、と賢太は再び視線を雑誌に落とした。
「ありがとうございましたー」
マニュアル通りの店員の声を背中に受けて自動ドアを開ける。賢太はポケットから鍵を取り出した。
目に入ったのはS14のテールをしげしげと眺めている誰かの後ろ姿。紺色のブレザーにハイソックス。ウルフカットの髪色は、ここ最近の女性には珍しい艶やかな漆黒。
(……高校生?)
走り屋が寄って来ることはあっても、女子高生が寄って来ることはなかった。彼女達がチューンド車に興味などある筈ない――。訝しんで声を掛けた。
「オレの車に何か用?」
彼女は悪戯が見つかった子供のように肩をすくめて振り返る。
「……すみません。あの、けして怪しい者ではありません……」
「いや、別に怪しんでないけど」
賢太は苦笑して頬を掻く。左手で鍵が鳴った。
それと同時にひどく高鳴った鼓動。不規則に脈打つ心臓の音が彼女まで聞こえてしまいそうな程。
「これって、14のQ'sですよね?」
「あ、ああ……。珍しい、ね」
「?何がですか?」
「その……キミみたいな女の子が車好きなのって」
「私、日産がすごく好きで。免許取ったら、絶対ワンビアに乗るんです」
「ワンビア?」
「はい。180SXと13のK'sで、白がいいなぁって思ってるんですよ」
「へぇ、そうなんだ。詳しいんだね」
「そんな、まだまだ勉強中です。これでも一応、走り屋志望なんで」
はにかむように笑った彼女はひどく魅力的だった。その笑顔に見惚れていた賢太を現実に引き戻したのは、けたたましく流れる着メロ。慌ててポケットから携帯を引っ張り出した。
「もしもし、」
『ケンタ!おっせーんだよ今どこだ!』
「け、啓介さん……」
『早く来いよ!じゃあな!』
唐突に通話の切れた携帯を呆然と眺める賢太を、彼女は微笑って見つめていた。
「私も、そろそろ行かないと」
「あ、あの、名前……」
「え?」
「名前、聞いてもいい?」
「はい。田中夢子っていいます」
「……オレ、中村賢太」
「中村さん。どこかで会ったら声かけてくださいね」
いつか、どこかで。いつ、どこで会えるというのだろう。偶然に頼るとするなら群馬はきっと広過ぎる。
「それじゃあ、失礼します」
夢子はひらりと手を振って賢太に背を向けた。
「……はァ?」
「だから、夢子ちゃんて名前で紺色ブレザーに黒髪の可愛い女の子ですってば!」
「だからそれが何だよ」
「大体啓介さんがあの時電話してこなかったら、もっとこう……」
「もっと何だっつーんだよ」
「夢子ちゃんと仲良くなれたかもしれないじゃないですか!」
「なるほど。惚れたってわけか」
「べ……別にそういうわけじゃないっすけど!」
「バーカ。顔に書いてあんだろ」
慌てて頬を拭う賢太を、啓介が煙草を弄びながらニヤニヤと眺めている。
「で、携番かアドレスは?」
「……聞けなかったです……」
「どーすんだよソレ」
「だから啓介さんに相談してるんじゃないですか!」
「ふーん」
「ふーん、て……」
「この辺りで紺色のブレザーなら前橋女子高だろう」
がっくりとうなだれた賢太の背後で声がした。
「……涼介さん」
「県庁と市役所が近い――最寄は両毛線、前橋駅だ」
「……そうなんですか……」
「アニキすげーな」
「いろんな意味で尊敬します」
「行ってみりゃいーじゃん、ケンタ」
「……学校に、ですか?」
「会えるとしたら、それがイチバン確実じゃねぇ?」
「それは……そうかもしれないですけど……」
「フツーはもう会えねーだろな」
「……啓介さん……」
「群馬県内に女子高生なんて何人いると思ってんだよ」
「……はぁ」
「もしダメでも骨は拾ってやっから心配すんな!」
「啓介、縁起でもないぞ」
「ちぇー。オレ走ってくるわ」
啓介はむくれてFDに乗り込む。程無くしてエンジン音が賢太の心臓に響いた。
「ケンタ」
涼介の優しい声に顔を上げる。
「彼女に会いたいのなら会いに行けばいい。運は自分で引き寄せるものだ」
ポンと肩を叩かれて賢太は頷いた。
(オレ、かなり不審者じゃないか?)
コンビニの駐車場で彼女に出会ってから一週間。賢太はようやく決意を固め前橋女子高へ向かった。
学校の前に路上駐車する勇気はなく、図書館の駐車場へS14を停めて歩いてきた。
夢子がここの生徒だという保証はない。何年生かもわからない。だけど、夢子に会いたいと――強く思うこの気持ちは確か。
賢太は長期戦の覚悟を決め、缶コーヒーのプルタブを起こした。
下校時間になったようだ。生徒達が続々と正門から吐き出されていく。皆が同じように見えるのは気のせいだろうか。
それでも賢太には、夢子を見つけられるという根拠の無い自信があった。
「――あ!」
思わず声が漏れる。間違いない――彼女だ。友達と一緒に数人で、笑いながら正門を抜けてくる。咄嗟に身を隠した賢太はこそこそと夢子の後を追う。
(もしかして……これ、ストーカーってやつか?)
一抹の不安を感じながらも、鼓動はあの時と同じように高鳴っていた。
「また明日」
「バイバイ、夢子」
「じゃあね」
夢子は友達と別れ横断歩道を渡るところだった。しゃんと伸びた背中に躊躇いながら声を掛ける。
「夢子ちゃん!」
横断歩道の真ん中で夢子は振り返り、目を丸くして賢太を見つめている。
「……中村さん」
「えっと……」
呼び止めたはいいが言葉が続かず、賢太は空き缶を手にしたまま途方に暮れた。
「信号、変わっちゃいますよ」
点滅し始めた信号を見遣り、夢子は賢太の手を取って駆け出した。掌から伝わる熱がひどく心地良かった。
「こんなとこで……どうしたんですか?」
横断歩道を渡り切り、繋いだ手をそのままに夢子が問う。
「その……あ、会いたかったから」
やっとのことで伝えられた――賢太の膝は微かに震えている。
夢子は少し驚き、それでもふわりと笑っている。賢太もつられて笑った。それは写し鏡のようで。
「今日は14お留守番ですか?」
「そこの……図書館の駐車場に停めてきた」
「あ、私これから図書館行くつもりだったんです」
もうすぐ返却期限で――夢子の言葉の最後は繋いだ手に消えた。
「す、すみません!」
夢子は顔を赤くして、慌てて手を離した。掌を通り抜ける風を賢太は残念だと感じている。束の間の温もりが消えていく。
ああ、オレは彼女が好きなのだと。どこか物足りない掌で実感してしまった。
「私も中村さんに会いたかったんですよ」
まだ少し赤みがかった頬で夢子が微笑った。
「……ホント?」
「はい。車のこと、色々教えてもらえたらいいなって思って」
「もちろん!オレでよかったら喜んで」
並んで図書館までの道を歩く。高さの違う肩が触れそうになる度、賢太の左半身だけが熱くなる。
「……あのさ」
「はい」
「敬語とか、やめない?」
「でも……」
「年もそんな変わんないしさ、苗字で呼ばれるのって変な感じ」
「そうですか?じゃあ私のことも呼び捨てしてくださいね」
「……マジ?」
「だって……"ちゃん付け"ってくすぐったくて」
「そっか。じゃあ……夢子、で」
「うん。――賢太?」
「……ああ」
名前を呼ばれただけなのに、こんなにも鼓動が高鳴るのは夢子の声だから。
「本、返してくるね」
「帰り……送ってこうか」
「いいの?」
「ああ。この辺で待ってる」
「うん、ありがと。行ってくるね」
ひらりとスカートを翻して夢子は館内へ消えた。
「レッドサンズ?」
S14の助手席で夢子が聞き返す。
「うん。オレが入ってる赤城のチームなんだけど」
「あ、ステッカー貼ってるよね」
「そうそう。ウチ、ワンビアはいないけど黒のシルエイティならいるぜ」
「うわ、いいなぁ」
「……良かったら、行ってみる?赤城」
それは賢太にとって一種の賭けだった。
「ホントにいいの?行ってみたい!」
拍子抜けする程あっさりと夢子が笑う。視界の端に捉えたその笑顔に、自然と口の端が上がってしまう。しかし賢太の笑みは、赤城山に到着した途端に消えた。
「啓介さん!そんなにくっつかないでくださいっ!」
「あー?何だよケンタ、夢子はお前の彼女かよ」
「ち……違いますけど!」
あっという間に夢子の肩を抱く啓介に噛み付いてはみるものの、あっさりとかわされて地団太を踏むことになる。
どうやら夢子をいたく気に入ったらしく、捕まえて離そうとしない。FDのナビに夢子を乗せて走りに行ってしまった。
「ケンタ、また連れて来いよ」
「イヤですよ」
「即答かよ。夢子はまた赤城に来たいよな?」
ちらりと隣の賢太を見上げ、夢子は微笑って頭を下げた。
「賢太と相談して決めます。今日はありがとうございました」
「おう。またな、夢子」
「あのね、賢太が嫌じゃなかったら……また赤城につれてって?」
家まで送る途中、夢子が助手席でポツリと呟いた。
「まぁ……イヤってことはないけど……」
「だって、私が啓介さんと一緒に居るのすっごい顔して見てたじゃない」
「あれは、」
夢子のことが好きだから、と。素直に言ってしまえたらどんなにラクだろう。
「啓介さん手早いからさ。……心配、なんだ」
咄嗟に浮かんだ言い訳を口にする。助手席の彼女は笑って頷いていた。
受験生である夢子とは頻繁には会えなかったけれど、それでも次に会える"約束"が出来るのが嬉しかった。
赤城に行くことは勿論、中古車ショップを回ったり買物をしたり映画を観たり、きっと傍から見ればデートのようで。
本当に稀だけどケンカもした。怒る夢子に負けじと賢太も怒って、まるで子供みたいに言い合った。そして気付けばどちらからともなく手を差し伸べて仲直りをしていた。
夢子が泣いているところを見たのはそれが初めてだった。
誰かと電話をしていて、「もういい」と夢子が携帯の電源を切った――その直後。
きつく結んだ唇が微かに震え、堪えきれずに零れた細い嗚咽は何よりも賢太の胸の奥深くを刺した。
コンビニの広い駐車場、隅に停めたS14の助手席に夢子を座らせて、賢太はドアを閉める。
「……飲む?」
運転席からミネラルウォーターを差し出すと、こくりと頷いて受け取った。
「彼氏とケンカしちゃった」
ほんの一口飲んで事も無げに呟いた夢子。賢太は不意に泣きそうになって――感情の全てを喉の奥に押し込んだ。
「……バカ、元気出せよ夢子」
無理に明るく言って夢子の頭を撫でる。ぐるぐると胸に渦巻いた言葉。きっと、さっき押し込んだ醜い嫉妬のせい。
「卒業したら向こうの……埼玉の大学に行こうと思ってるの。工学部で有名な学校があって」
ペットボトルを掌で弄びながらぽつりと夢子が呟く。
「でも延彦は――あ……彼氏はね、反対してて」
「なんで?」
「俺ありきで夢子の将来を決めるのは止めろ、って言われるの」
「……?」
「私は気にしないんだけど。年が、ちょっと離れてるから」
「そ、か。……彼氏、延彦っていうんだ」
「……うん」
聞いたことがあるような気がする。確か、埼玉の――
「アルテッツァ……」
「え?賢太、延彦のこと知ってるの?」
「ハチロクのレビンと黒のFDがいるチームじゃないか?」
「そうだけど……」
「この間、埼玉に遠征したときバトルしたんだ。……って言っても、相手はオレじゃないんだけど」
「そっか……」
「彼は夢子のこと好きだから……夢子のためを思って言うんじゃないかな」
違う。違う――。こんなことを言いたいんじゃないんだ。そんなヤツなんか忘れてオレと――
だけど、夢子がそれを望んでいないことはわかる。好きな女が自分を恋愛対象として見ているか否か、そのくらい。
オレならいくら傷付いてもいい。夢子の泣き顔なんか見たくない。
言葉は上手く見つからないけど。
「ありがと。……賢太の声って、なんか安心するんだよね」
「……そんなこと言われたの、初めてだよ」
「私、賢太の声好きだな。癒されてるのかも」
「オレで良かったらいくらでも話せよ。愚痴でも何でも、付き合うぜ」
だって、オレは夢子の"友達"だろ?
「……うん。賢太が居てくれて良かった」
S14の車内で夢子がぽつりぽつりと話し始める。彼と初めて会ったときのこと。付き合うきっかけになった告白のこと。彼の癖。嫌いなところ――
「つーか夢子さぁ。それノロケって言うんじゃねーの?」
「え?そうかな……。愚痴だと思うけど」
「オレにはノロケにしか聞こえない」
苦笑して夢子の右頬を抓ると、柔らかな感触にほんの少し心臓が痛んだ。
「いったぁ!何するのよ賢太っ」
夢子も負けじと賢太の頬に手を伸ばし、笑いながらそっと抓る。賢太が優しい痛みを感じたのは頬ではなく、左胸のあたりだった。
夢子が受験勉強に専念すると言ったのは、赤城から帰る車内で信号待ちをしているとき。いつかはそうなるだろうと薄々感じてはいた。
「たまには息抜き付き合ってね」
「オレで良かったらいつでも呼べよ」
「違うよ。私は賢太がいいの」
「…………」
「どしたの?信号変わったよ」
「……あ、ごめん」
深い意味なんか無いのはわかってる。だけど、それでもオレは嬉しかったんだ。
時々淋しくなって電話を掛けた。電波に乗った夢子の相槌ひとつで心が軽くなる。
「付き合わせてごめんな」
『ううん。私も、賢太の声聞きたかった』
耳元に夢子の吐息を感じて冷たい携帯を握り締めた。
積もった雪はまだ溶けそうにない。
『サクラ咲いたよ!』
夕方届いた夢子からのメールはたった一文、普段より素っ気無いものだった。
でも夢子の喜びは溢れるように伝わってくる。光るディスプレイを眺めて賢太は安堵の溜息を零し――唇を噛んだ。
夢子は第一志望の大学に合格した。それなのに、どうしてオレは素直に喜べないんだろう。倍率だってとんでもない、聞いてもいまいちピンとこないくらいの難関なのに。
おめでとう――その一言が、どうしてすぐに出てこないんだろう。夢子が埼玉に……彼の元に行ってしまうから?夢子はオレの"彼女"なんかじゃないのに。
勿論夢子に会いたいと思ってはいたけれど、大学の試験日程とバッティングして諦めるしかなかった。実際に会えたのは、夢子が埼玉へ引っ越す当日。
『バタバタするかも知れないけど、ちょっとだけ……会えないかな』
電話で指定された場所は赤城山・エネルギー資料館。どうして――と聞こうとして口を噤む。
彼が迎えに来るのだ。
まだ少し雪が舞う赤城山。走り慣れた道なのにいつもと違う道。賢太は駐車場の奥にS14を停めてエンジンを切った。約束の時間より大分早い。
銀色のアルテッツァが視界の端を横切る。駐車場に入ってきた熊谷ナンバーのそれは入口近くに静かに停まる。
助手席から降りた夢子はすぐに賢太を見つけ、大きく手を振る。"彼"が賢太に頭を下げ、賢太も慌てて会釈を返す。彼と二言三言言葉を交わして賢太の元へ駆け寄ってきた。
「会うの、久し振りだね」
「ああ。……合格、おめでとう」
「もう……遅いよ、賢太。ありがと」
夢子は微笑って俯いた。流れる黒髪と零れる吐息が次の言葉を探している。
「……大学のね、寮に入ることにしたの。部屋空いてるみたいだから」
「そっか。早く免許取れよ?白のワンビア、見つかるといいな」
「うん、中古屋さん探してみる。なかったら自分で作っちゃうかも」
「夢子ならやりかねないな……」
「ワンビアで赤城に来るから楽しみにしてて。……それじゃ……またね、賢太。色々ありがと」
「わかった、待ってる。……またな、夢子。頑張れよ」
「賢太も。14、大事にしてね」
サヨナラは言わなかった――言えなかった。言ってしまえば、二度と夢子に会えなくなるような気がしたから。
夢子も同じ気持ちだといい――そう思いながら小さく手を振った。夢子が助手席に座っている、アルテッツァのテールランプを眺めている。
それは積もった雪に溶けるように賢太から遠ざかっていき、瞬きをしたら既に消えていた。
夢子が居ない日常。これからはそれが普通になっていくんだろう。だけど夢子が居ないと、オレは本当に困る。
なぜってキミは――夢子はオレの"友達"だから。つまり、そういうことだ。
[キミはともだち] END.
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└アルテッツァ(秋山延彦):熊谷33だ17-919
2005/06/15 up.
中村賢太|夢|0:top