チョコミントフレーバータイム
『俺が誰とヤろーがオマエに関係ねえだろ。彼女ヅラ、うぜえんだよ』

飛び起きて、嫌な夢だと判る。心を潰した、忘れた筈の昔の男。最低最悪の目覚めのせいで、胸にずしんと異物感。
恋人や彼氏といった甘い関係で括れなかった、あんなやつが自分の〈初めての男〉だという事実。それは人生最大の汚点だと夢子は思っている。
こんな事、考えたって無駄だ。講義が終わったら、体育館のトレーニングルームでひたすら筋トレしよう。ヘッドボードで鳴り出した目覚まし時計を強めに叩く。
温かいベッドから抜け出し、寝癖のついた髪をかき上げる。今日は、真里くん来るかな。気まぐれな野良猫にも似た、年下の〈友達〉のことをふと考えた。
それから、今日の荷物。着替えのトレーニングウェアにタオル。シャンプーはシャワールームの備品で済まそう。借りてたCD、昨日鞄に入れたっけ。



――夕刻。玄関でインターホンが鳴り、ドアスコープを覗く。ドアを開けると、学ラン姿の真里が「おっじゃましまーす」と飛び込んできた。
夢子ちゃん、コレおみやげっ」
「ありがと……。手、洗っといで」
手渡されたものは、謎のソフビ人形。テレビ台に置いておくとしよう。
「スーパー行くけど、留守番してる?」
洗面所へ声を掛けると、真里はうがいの途中だったらしい。返答は辛うじて「待ってえ」と聞き取れた。
「オレも行く!荷物持ったげる」
「お、頼もしーい」
「アイス買ってね♪」
「まだ買い置きあるから、ちょっとだけだよ」
「はぁーい」
コートを羽織った夢子が真里を促す。スーパーまでは徒歩数分。二人で話しながら歩いていくと、あっと言う間。

買物を終え、用事を思い出した夢子が「切手買ってくるから、ちょっと待ってて」とサービスカウンター傍のベンチを指差した。
「お待たせー」
コートのポケットへ財布を仕舞いながらベンチへ戻ると、真里の姿が無い。
どこへ行ったのかと辺りを見回すと……小さなフードコートに在るアイスクリームショップの前で、メニューをじっと見つめていた。
小走りで駆け寄り、背後から「真里くん」と声を掛ける。
「さっきアイス買ったのに。食べたいの?」
「ダメ?」
真里はしょんぼりと肩を落とし、夢子の目を真っ直ぐ見つめている。
嬉しいこと、悲しいこと。真里くんはいつもメーターを振り切るような感情表現をする。私、これに弱いんだよなあ。可愛いし。
「……まあ、暖房あったかいし、荷物持ってくれてるから……。小さいの、シングルコーンでね」
「エェー……こん中からいっこだけ選ぶなんてムリだよォ〜……」
「無理でも選ぶの。んーと……私、チョコミントにしようかな。真里くんは?」
「……ラムレーズンと、ストロベリー……」
「シングルって言ったでしょ。ラムレーズンでいい?」
「うん……。夢子ちゃんの、ちょっとちょーだいね……?」
「はいはい。あげるから、そんな泣きそうな顔しないで待っててね」
ポンと真里の頭を撫でてレジへ向かった。
アイス片手に店外へ出ると、だいぶ暗くなっている。歩きながら細く息を吐いてみた。白く立ち昇る吐息を眺め、夢子は「もー」と溜息を零す。
「12月だし、寒いに決まってるよねえ……」
「食べたげよっか」
「あれ、もう食べちゃったの?一口あげる」
少し先を歩いていた真里が戻ってきた。コーンを差し向けると、嬉しそうに齧り付く。ほんと、おいしそうに食べるなあ。
「あ、スーパーホーク!」
電柱の傍に停めてある一台のバイクを指差し、真里がそわそわ落ち着き無く「見てきてもいい?」と夢子へ問うた。
「あんまり長居しないでね」
「わかってるー!ちょっとだけ!」
駐車場のフェンスにもたれ掛かった夢子は一口分残されたアイスを食べきり、指先に残るコーンの欠片を軽く払う。
じっとしてると寒いな、そろそろ帰ろう。夢子が一歩、踏み出したその時。

夢子?」
夢で聞いた声に名前を呼ばれ、足を止める。声を掛けてきた人物は――〈付き合っている〉と思っていたのは自分だけだった――高校の、同級生。
こんな時に、こんなところで遭うなんて。まるで今朝の夢が、予兆にでもなったかのような。
「やっぱ夢子じゃん。何してんだよ」
「買物……」
「あん?なんだあのガキ」
「……あのバイク……」
「かっけーだろ、こないだ親に買ってもらって……っつーか会うの2年ぶりくれー?俺今ヒマなんだけど、どーせオマエ、俺のことまだ好きだろ」
ぐいと肩を抱かれ、革のジャケットから煙草とコロンが漂う。知らない香り。だけど自分勝手で強引なところは〈あの頃〉と変わらない。
懐かしむ間も無く、嫌悪感が喉元へせり上がり眩暈さえ覚える。昔好きだった人なのに、どうしてだろう。

「手ェ離せよ、このヤロウ……!」

憎悪が視認出来そうな程、敵対意識を剥き出しにした真里の声。はっと我に返るように夢子が目を見張った。
「さっきのガキじゃん。ナニ、弟?」
「……つ、きあってるの」
不意に口から出た、その場しのぎの嘘。肩の手に力が入り、明らかな嘲笑が頭上から墜ちてきた。
「こんなガキとヤってんのかよオマエ。そーいう趣味だったんかぁ?」
真里が奥歯を噛み締める音が耳へ届き、夢子は自分の過去と決別する意思を固めた。
「年下だけど頼りになるし、一途だし……あんたなんかより、ずっとかっこいいんだから!サヨナラッ!」
肩の手を払い、男へ背を向けた。振り向きもせず「行こ、真里くん」と彼の左手を取る。
「アイツほっとくの?オレが“くしゃくしゃ”に――」
「いいから。アイス溶けちゃうよ」
右手に在る真里の温もりだけが今、辛うじて夢子を支えているような気がした。急かされ歩き出した真里の右手で、ビニール袋がガサガサ音を立てている。
とっくに飲み込んだ筈のミントアイスが、ヒリヒリと喉奥に焼き付いているみたいだ。夢子は固く握り締めた拳でぐいと唇を拭う。



しんと冷えた暗い部屋へ二人が帰ってきた。備え付けの靴箱天板、キートレイへ玄関の鍵を落とすと耳障りな金属音が上がる。
真里が靴を脱ぎながら「冷蔵庫、入れとくね」とビニール袋を掲げた。
「……うん。ありがと」
食品は次々に仕舞われていく。
庫内照明と真里の背中をただ眺めていた夢子の頬へ、不意に涙が伝って一筋の跡を残す。今の私には、あんな男のために流す涙なんか無い筈だ。
泣いていることを悟られないよう、そっと真里へ背を向けた。
「ね、夢子ちゃん。オレじゃダメ?」
立ち尽くした夢子の背後からそっと手を伸ばし、真里が頭を撫でる。振り向いた瞬間、軽く唇が重ねられた。
意表を突かれた夢子は呼吸の仕方さえ忘れてしまったように身体を固くする。こちらを見つめる彼の瞳に、濃密な熱情が視えた。
初めて会ったときはもっと見下ろしていたのに。背、伸びたんだね。そんな他愛無いことが束の間、頭を過ぎる。
「本気、なの……?」
「ジョーダンでこんなコトすると思う?」
真里は返答を待つことなく夢子の背中と膝裏へ腕を回し、易々と抱き上げて居室へ向かう。
レースカーテンだけが閉められた部屋は、射し込む月明かりで薄ぼんやりと明るい。
夢子をベッドに横たえた真里は、覆い被さるように近距離で彼女を見下ろした。
「つきあってるってゆったの、ホントにしちゃおーか」
「あれは――」
「ウソでも、オレすっげェ嬉しかったよ」
「真里くん……」
夢子ちゃんがイヤがるコトはしない。約束すんね」
額、それから頬に軽く唇が触れ、ぺろりと舌が這う。掌に零れたチョコレートをそうするように、涙の滴を舐め取った。
身動きひとつせず息を詰めている夢子の瞳を覗き込み、真里が苦笑を零す。
「ガッチガチにキンチョーしてんのに、こんなトキまで優しーんだ。夢子ちゃん、オレんこと拒否しないの?」
「……そんなの、ずるいよ」
夢子ちゃんを全部、手に入れられんならオレ何でもするよ。だから今だけ、流されちゃって」
流される?……違う。私は、私自身の意思で。躊躇いながら真里の背中へ腕を回すと、「夢子ちゃん」と耳元で穏やかな声。
「ホントにヤなら、ゆって」
「……やじゃ、ない……から……」
「アリガト。オレ、夢子ちゃん大好き」
いい子いい子をするように髪を撫でてくれる掌の温かさ。好きと囁いた後、唇に触れる唇の心地良さ。
夢子ちゃん、顔とろーんてしてる。“好き”ってゆわれんの、スキなんだ?えへへ……いっぱいゆったげるね」
コートのボタンが外された。首筋から鎖骨が唇でなぞられ、それに合わせて柔らかな髪の毛が肌をくすぐる。
「あの、シャワー……」
「ダメ。待てない」
身体を離した真里が床へばさりと学ランを脱ぎ捨て、金ボタンの当たる硬い音が幾つか聞こえた。
「脱がすね」
眼前に差し伸べられた手を取ると、そのまま引っ張られ上体が起こされる。ムードも何も無く、夢子が身に着けている服や下着をぽいぽいと引っぺがしていく。
互いに真裸となった二人が薄い月明かりの下で向かい合った。ひたり、優しく触れる真里の掌は頬から首筋、肩をするすると撫でていく。
夢子ちゃん、寒い?冷えちゃったかな」
「真里くんの手があったかいんだよ。……エアコン、つけよっか」
ヘッドボードに置いていたリモコンを手に取り『暖房』ボタンを押す。ベランダの室外機から低く唸るような音が上がった。
「ぎゅーってしたら、あったかいよネ」
おいで、と言うように両手を広げた真里へ、夢子は途惑いを隠せないままおずおずと右手を伸ばしていく。
やがて互いの指が深く絡む。背中へ腕が回って強く抱き締められたと同時、二人はそのままベッドへ身体を投げ出した。
頬に触れる彼の髪は太陽のような――どこか懐かしい匂いがした。
真里は夢子の耳朶から喉元、なだらかな胸の膨らみを小鳥のように啄み、先端の突起を口に含んで吸い上げる。
思わず腰をくねらせ甘い吐息を零す夢子の反応を受け、真里が嬉しそうに微笑った。
「くすぐったい?きもちー?ビンカンだね、夢子ちゃん」
鳩尾から臍、下腹部へ温かく柔らかな舌がちろちろ這っていき、時折、ちゅっと唇が音を立てる。
「ま、って、――」
「待たないよ」
真里の手はいつの間にか太腿へ伸び、夢子は両膝を合わせ固く閉じる。
夢子ちゃん。脚、開いてよぉ」
懇願するような声に慌てて首を振り、申し出を突っぱねた。下腹部の産毛の上でさわさわと指先が遊ぶ。
「ココ、ちゅーされんのイヤ?」
問い掛けから間を置き、消え入りそうな声で「いや」と答えた夢子の臍へキスを落としながら「んー」と真里が呟いた。
「じゃあまた今度。“約束”だかんね?」
夢子が小さく頷くと同時、ふいと身体が離れる。

「オレ、持ってるから。ちょっと待っててね」
床に脱ぎ捨てた服の山に手を入れているようだ。それから間も無く、包装を破く音。
その後何故か静まり、エアコン室内機の動作音だけが夢子に聞こえている。…………どっちが表かわかんない、とか?
「つけてあげよっか。空気入ると破けちゃうよ」
身体を起こした夢子が、俯いたままの真里へ投げ掛ける。無言で手渡された、薄桃色の避妊具。指先が触れ合い、互いの羞恥心が同調する。
まじまじと見つめることさえ躊躇われる真里自身は、臍の辺りまで硬く反り返り凶器そのものに感じられた。
粘液で濡れた先端に避妊具を置き、両手で慎重に巻き下ろして装着を終える。初めてにしては、上手くいったと思う。
薄いゴムに包まれた強張りの上から下へ、形をなぞるように指先を這わせると、真里が腰を小刻みに揺らしながら夢子の名を呼ぶ。その声は僅かに震えていた。
「……はなして……」
「ごめん、痛かった?」
夢子ちゃんの手、きもち……っ」
「このまま出してもいいよ」
「イヤだ。オレ、夢子ちゃんとしたいの」
両肩を掴まれたと思った瞬間に押し倒され、弾みでスプリングが大きく軋む。夢子の腿の間へ腰を進めながら「ゆっくり、いれるからね」と真里が囁いた。
言葉通りゆるゆると屹立を沈めるにつれ、身体をこじ開けられていくような感覚がじんわりと夢子の下腹部に広がっていく。
夢子にとっては〈初めて〉ではない。男性を受け入れる準備が出来ているとは言え、行為自体は随分久しぶりで――明らかな異物感は拭えない。
しかしそれは決して嫌なものではなく、むしろ手放し難い愛おしさすら覚えた。
「……痛、く、ない……?」
全く痛みを感じない、と言えば嘘になる。
切羽詰まったように眉根を寄せ、それでもこちらを気遣う真里の優しさに――些か感じていた痛みなど何処かへ消え、微笑が浮かぶ。
「うん。真里くんの好きに……、動いていいよ」
効き始めた暖房で乾燥する部屋に、水気を多分に含んだ体液の音が響く。夢子を抱き締め杭を穿つように絶え間無く腰を打ち付けながら、真里が耳元で「ゴメン」と呟く。
「優しく、したい、のに、止まんねー……アタマ、おかしくなりそ……」
喉から零れ落ちそうな喘ぎを抑えようと、真里は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。少しでも気を抜けば崩れ落ちてしまいそうな腰を、ぴったりと夢子へ押し付ける。
遠慮の無い抽送を続けながら、半ば無意識のうちに尚、奥へ奥へと侵入しようとしているかのようだ。
このままでは心臓が壊れるのではないかと心配する程、真里は自らの拍動を一度ごとにはっきりと認識している。
「……は、ッあ…………夢子ちゃん、夢子ちゃ、――――ッ」
やがて心を激しく揺さぶる衝撃にも似た強烈な快感が、真里の脳天から爪先までを一気に貫いた。


茫漠とさえ感じる薄白い天井を見上げ、真里がぽつりと呟く。
「もっと早く、夢子ちゃんと会ってたかったな」
オレが5コ下だからガキ扱いするんだよね。もし、オレのが年上だったら、夢子ちゃんどーしてた?…………なんてネ。
それは幸か不幸か、夢子へは届かなかった。彼女は丸めたティッシュペーパーをゴミ箱目がけて放り投げ、見事シュートを決めている。
満足気に身体を横たえた夢子は、唇を尖らせた真里と視線を交錯させる。上出来のシュークリーム生地を思わせるような、ぷっくりと膨れた頬を指先で軽く突いた。
「どしたの、真里くん」
「いっしょに風呂はいろってゆったの」
「…………去年の、忘れてなかったんだね」
夢子ちゃんとの約束、オレが忘れるワケないじゃん?」
随分と一方的な〈約束〉があったものだ。夢子が苦笑を浮かべる。
真里はころんと身体を転がして俯せになり「あがったらいっしょにアイス食べよーね」と、これ以上無いくらい素敵な事を思い付いた顔で夢子へ笑う。
「また?」
「風呂あがりはアイスに決まってんじゃん。今日はねぇ……さっき買った、ジェイランドコーンのチョコナッツ!」
「真里くん、ホントにジェイランドコーン好きだよねえ。飽きない?」
「まっさかァ!」
夢子の素朴な疑問をけらけらと笑い飛ばし、真里がシーツの海を泳ぐように足をバタつかせた。
「さ、寒い!真里くん寒いって!」
バタ足で波打つ布団の隙間から侵入してくる、床付近のヒヤリとした空気に抗議する夢子の両膝を割り、内腿へ押し付けられた硬い熱。
つい先程の恍惚めいた狂熱が鮮やかに甦り、びくりと夢子が身体を震わせる。それは恐れや不安、途惑いや寒気などではなく〈期待〉のせいだと判っていた。
「オレがあっためたげる」
そういうことじゃなくて――開きかけた夢子の唇は瞬きの後、真里の火照った唇で塞がれる。
夢子ちゃん、好き。大好き」
彼の言うそれが、例えアイスやバイクと同列だとしても。きっと私はじゅうぶん嬉しくて、後悔なんてしないんだろう。
甘いチョコレートと冷たいミントの狭間で心地良く揺れる意識の片隅、いっそ溺れてしまいたいとさえ夢子は思う。
いや、それは適切ではない筈だ。私の心は既に取り返しのつかないところまで、彼の総てに侵されているのだから。
恐らく昨夏、道端で会ったあの夜から。小柄で華奢な〈男の子〉だと思っていた彼に。
ふたつ重なる身体。無邪気に艶めいた約束。今、ベッドの上には何もかもが在った。





[チョコミントフレーバータイム]END.