スキのしるしのキス
『中古車情報誌GO!! [北関東版]』

夢子が抱えている雑誌には、何箇所も折り目がつけられている。どれも、彼女が夢をみた跡だ。
レッドサンズのメンバー数人に囲まれ、ページをめくったり携帯電話の画面を見せ合ったりしながら話している。
「車種はまだ決めてないんだっけ。どんなのがいいの?」
「あんま大っきくなくて、楽しい車がいいかなって」
「じゃあやっぱオートマ除外で。教習、順調?今混んでるでしょ」
「うん、春休みだしね。もー路上ホント怖くて自信ないよ。17号なんかいっつも混んでるしさ」
「全然ヘーキっしょ、オレらも教習するし♪何なら今からでもいいよ、なァ」
「そうそう。みんな協力するから心配いらないって、夢子ちゃん」
「ありがとー。頼りにしてます」
この間の〈夢子が乗りたい車〉ナンバーワンはロードスターだった。その前はインテR、その前は180SX、その前は……もう忘れた。
指折り数えていた賢太は、溜息を吐いて夢子へ投げ掛ける。
「ホンット浮気性だよなあ夢子は」
「え、違うよ。私が好きなの、賢太だけだし」
事も無げに言い放った次の瞬間、赤城道路一帯が妙な空気になったことに気付いていないのは夢子本人だけ。
風がひゅるんと通り過ぎて、夢子の髪とめくりかけたページを揺らす。

「……なんか……オレら、ジャマみたいなんで……」
「お……おう……そうだな、行こうぜ」
それぞれが「ここに居てはいけない」という思いを共有した結果、駐車場に居た数台の車は瞬く間に姿を消した。
賢太と二人きりになった夢子は己の発言を反芻して尚、理解し難いといった表情で呟く。
「私、なんか変なこと言ったかな」
「……あのなぁ夢子……もっと考えてからしゃべれよ!」
「なにが?」
「何って、さっきの――」
「だってホントじゃん。私が賢太を好きなの、知ってるでしょ」

叱っている自分が逆に責められているような気持ちになり、賢太は唇を噛んだ。
何も言い返せないことが悔しいのと、それを大きく上回って嬉しいのと。

「オレも走ってくる。ここにいろよ、夢子
赤面する一歩手前であることを気取られないよう、精一杯冷たい口調で吐き捨て夢子へ背を向ける。
どこか悲しげで、心細いような――背中へ縋り付く視線を振り解くように、賢太は愛車へ乗り込みエンジンをかける。
目を遣ったミラーの中、どんどん遠ざかっていく夢子の姿。
夢子はバカだ。恥ずかしいって、分かんないのかよ。気心の知れたメンバーしか居ないとはいえ、あんな……告白、みたいなこと。
オレが好きだなんて、オレにだけ言えばいいだろ。バカ夢子





遠くに聞こえる車の音は、なんとなく心地良い。いつか自分も、あの中で走ってみたい――目標にしていることは夢子だけの秘密。
携帯電話を開き、ディスプレイのバックライトを頼りに、再びめくるページ。ゆらゆらと揺れる気持ち。
「んー……決めらんない……」
好きなものがありすぎるのは、とても素敵な困り事。
自分の相棒となる一台を見付けるためにも、妥協は出来ない。
だけど紙面だけじゃ決め手に欠ける。やっぱり実物を目で見て、触って、乗ってみないと。
一人で頷いていると、うるさくてかっこいい音が耳に飛び込んできた。音に集中するように夢子は目を閉じる。
あ、これはたぶん、啓介さんの黄色いセブン。もうすぐそこまで来てる。左手に持っていた携帯を畳み、コートのポケットに突っ込む。
間も無く姿を見せたのは、夢子の予想通りRX-7――啓介だ。


「やっぱり夢子か。一人で何してんだ。ケンタは?」
数メートル離れた場所に在る黄色いセブンは、キラキラと輝いているように見えた。勿論、それを操る啓介も。
「私の失言のせいで、みんな行ってしまいました」
「何だよ、ケンタ先帰ったのか。オレ送ってくぜ。寒いだろ、こんなとこ一人で」
「ありがとうございます……あの、でも大丈夫です。賢太、すぐ戻ってきます。たぶん」
「……ま、夢子がいいならいいけどな」
頬を掻く啓介の横顔をうっとりと眺めていた夢子は、これはチャンスだと気付く。

ずっと、彼に聞きたいことがあった。賢太を通してではなく、直接、啓介へ。
「……あの……啓介さんは、なんでセブンなんですか?やっぱり、涼介さんが?」
「ああ。アニキがFC乗ってるからな。――今、単純だって思ったろ」
「いえ、そんな。ロータリーって、孤高っていうか、独特ですよね。三角のおにぎりが頑張ってて好きです」
熱い視線を送られるなら、車ではなく自分へ願いたいものだ――苦笑した啓介は、夢子が抱えている分厚い中古車雑誌に目を留めた。
彼女が現在教習所に通っていて、卒業したらすぐにでも乗れるように〈車〉を探している、ということを思い出す。
夢子、今仮免持ってんだろ。乗ってみっか?」
「え!……でもあの、私運転ヘッタクソで、教官にも『なんで限定にしなかった!』ってキレられたくらい、」
「心配すんな、オレがナビなら大丈夫だ。そこらのヌルい車とは違うぜ」
「あッたりまえじゃないですか!」
「何事も経験だろ。乗って気に入ったら、FDも選択肢に入れてくれ」
何故か満面の笑みを浮かべ、啓介は夢子の手を取った。彼の熱い手からは逃げられない、ということを夢子は知っている。
セブン――FD3S――に興味があるのは事実。こんなにかっこいい車に出会えたこと自体、これまでの人生で五指に入るほど幸せだ。
賢太が啓介さんに会わせてくれたおかげ。つまりは賢太に出会えたことが幸せなのだと確信し、夢子は笑んだ。


突然、啓介が手を離し「残念」と呟いた。何が、そう問おうとした時――身体に、音が飛び込んでくる。
いつの間にか耳に馴染んだ賢太のシルビアの音は、誰のどんな車の音とも違う。だから、夢子には聞き分けることができる。
「ケンタのやつ、カンが鋭いっつーか何つーか……」
言葉は大きな音に掻き消される。S14がこちらへ向かってくるところだった。ヘッドライトが真っ直ぐ、啓介と夢子を照らす。

賢太は運転席のドアを開け放ったままでこちらへ歩いてくる。
「啓介さん、夢子に何してたんですか」
「まだ何もシてねえよ」
「何するつもりだったんですか」
「うっせぇな、怒んなよ。だいたいお前、今何時だと思ってんだ。こんなとこに女一人で置いてくか普通」
腕組みで苦言を呈す啓介を、賢太はじっと見つめていた。やがて賢太は「すみませんでした」と頭を下げた。
「帰るぞ、夢子
「え、でも私、啓介さんのセブン――」
「帰るっつったら帰んだよ。送ってくから、乗れ」
先程まで啓介に掴まれていた手首を、強く掴まれた。有無を言わせないその振舞いは、いつもの賢太とは違う。

夢子。車探し、オレも手伝うからな」
そう声を掛けた啓介は、ひらりと手を振ってみせる。
賢太に引かれた右手と雑誌を抱える左手で、手を振り返すことを諦めた夢子はどうにか不恰好なお辞儀を返した。

うるさくてかっこいい音がどんどん遠くなっていく。
「賢太、手ぇ痛い。そんなひっぱんないでよ」
むくれたような夢子の口調に、賢太が舌を打つ。人の気も知らないで。
足を止め、引いていた手を振り解くように放した。
夢子を振り返ると、ひどく驚いた表情を浮かべていたけれど――構うものか。どうしても言わずにはいられなかった。


「オレは!――オレの方が、ずっと!夢子のこと、好きだったんだからな!」


直後、賢太の胸元に押し付けられた雑誌の厚み。両手で受け取った重さに気を取られる。
頬から耳朶に、躊躇うことなく触れるもの。夢子の冷えた指先。
それを冷たいと感じる間も無く唇に、夢子の熟れた唇が束の間、触れる。
「なーに言っちゃってんの。私の方がずっとずーっと、賢太のこと好きだったよ」
呆れるような夢子の口調、二人の間で微かに揺れる吐息。
賢太の灼けた肌が、茹だるように赤く染まっていく――どこまで赤くなるのか、もう少し見ていたいけれど。
「知ってたでしょ?私が好きなの、賢太だけだって」
唇を真っ直ぐに結び、こくこくと頷く賢太を、夢子は心の底から愛しく思う。



人生で最高に幸せなのはきっと、あなたと触れ合うこの瞬間。
だからもう一度――あなたにだけ、「好き」のしるしのキス。





[スキのしるしのキス]END.