NITRO GANG
神様どうして夜は長いの?あたしが眠れないから長いだけ?
何度目になるかわからない寝返りに、目が冴えて、頭の芯が冷えて。
春の夜は暖かいのに、指先だけがひどく冷たい。



「今日もダメ、か……」
上半身を起こすと、夢子は枕元の携帯を手にした。
【 02:28 am 】
サブディスプレイに表示された時間を一瞥し、隣に置いていた照明のリモコンを掴むとスイッチを押した。
ベッドにもぐりこんでから3時間半。チカチカ、と一瞬戸惑うような素振りで、白い蛍光灯が点灯する。


シングルベッド。パソコンデスク兼ダイニングテーブルに椅子が2脚。小さな冷蔵庫とその上の電子レンジ。
玄関を開けると全てが見渡せる、学生向けマンションの一室――8畳ワンルーム。
深夜の住宅街は静まり返っている。


ここ最近、眠れない日が続いていた。眠ることに苦労するなんて思ってなかった。
眠らなきゃ、と思うこと自体、眠りが遠ざかる原因だ。眠くなったら眠ればいい――だけどその眠気が来ない。
一睡も出来ない時はさすがにキツイ。
〈睡眠欲〉は人間の三大欲求だと言う。他の2つは食欲と性欲。確かに食べないと死ぬけど……眠れなくても死ぬのだろうか。
やりたいことはまだ沢山あるし、すぐは死にたくないなぁ。
時々、つらいこともあって――いっそ死んじゃいたい、と思うこともあるけれど。死んだら何か変わるかな。

……止めておこう。ネガティブスパイラルにハマると暫く抜け出せない。
夢子はベッドから降りると軽くストレッチをした。こうなったら〈眠る〉ことから離れて、眠くなったら寝よう。



テーブルの上に放られた、愛車の鍵を見遣る。ドライブなら気分転換には丁度いいだろう。頭も冴えているし。
少しだけ遠くへ行って、星とか見て、あったかいココアでも飲んで。そしたらぐっすり眠れるかも知れない。我ながら名案だと思った。
パジャマ代わりのスウェットを脱いで、床に脱ぎ捨てたトレーナーとジーンズに着替える。
誰かに会うわけではないのだから、着飾ったって仕方ない。運転するならラクな格好が一番だ。
財布と携帯電話をポケットに突っ込んでスニーカーを履いた。履き慣れたスニーカーは足に馴染んで心地良い。
玄関に鍵を掛け、そろりと階段を降りる。足音は意外と響くので、深夜はお静かに。



愛車は駐車場の隅で大人しく夢子を待っていた。通学や買物のお供。友達を乗せようにも助手席しかないので不評だけど。
メタリックに輝くディープブルーのカプチーノ・EA11R。大学から程近い中古車ショップで、たまたま見掛けた車。
走行距離が9万kmを超えているというその車は、ピカピカに磨き上げられて次のオーナーを待っていた。
ワンオーナーで禁煙車、ETCも付いてホントお買い得ですよ――とスタッフが営業スマイルでまくし立てる。
とりあえず、と軽い気持ちで試乗して――店に戻る頃にはすっかり虜になっていた。
「これ買います!」
手続きは面倒だったけど、自分の名前が記載された車検証を手にした時の喜びで帳消しになった。
そういえば、父が羨ましがっていたのが意外だった。車には特に興味がないと思っていたから。
「今度運転させてくれよ」なんて拗ねたように電話してきたのには驚いた。苦笑しながら「狭いと思うよ」と言ったっけ。
いつも自分で運転しているから、たまには助手席に乗ってみたいものだ。
友達は免許を持っていないか、持っていてもAT限定だから無理な願いか。




国道17号、信号待ち。案内標識をチラと見遣り、妙義山にでも行くか――とウィンカーを点ける。
先月、友達に連れて来てもらった時は〈走り屋〉の車で賑わっていたことを思い出す。
「……こんな格好で誰かに会うのヤだなぁ」
思わず独り言が零れる。
もし誰か居たらスルーして帰っちゃえばいいか――こうして運転すること自体、気分転換になっているし。

たどり着いた駐車場には誰も居ない。少し安心しつつ自販機の近くに愛車を停めると、夢子は運転席から降りた。
首を回して、ジーンズのポケットから携帯を取り出すとカメラを起動させる。
『愛車と出掛けた時は写真を撮ること』が、自分なりのルールになっていた。
満天の星空の下、正面から、真横から、斜め後ろから、地面から舐めるようなアングルで――――




「お前、何やってんだ?」




上から降ってきた声に、夢子はアスファルトに腹ばいになっている自分に気付いた。
携帯から陽気なシャッター音が響く。きっとブレているだろう。
「あ、いや、えと、」
慌てて起き上がると、携帯をポケットに突っ込んでトレーナーをパタパタとはたく。
ああ、些細なことですぐ赤面してしまうこの癖が憎い。

「あのですね、あたしは写真を撮っていただけで……」
スニーカーの爪先を見つめたままポソポソと答える。
「それは見りゃわかるけど。どんだけ夢中だよ」
「……すみません」
「別に謝ることじゃねェけど。ソレ、お前の車?」
「あ、はい」
「ちっと見てもイイか?」
「はい、どうぞ」
「……お前いい加減顔上げろよな」
乱暴に顎を掴まれ、急に視線が上がった。
眉間にシワを寄せて夢子を見下ろしているのは、ガラの悪そうな男だった。今にも噛み付かんばかりの獰猛さが瞳に宿る。
「……黙ってないで何か言えよ」
「は、はなしてくださ……」
「おま、何で泣くンだよ!?」
みるみる間に大粒の涙を零し、夢子がしゃくり上げる。慌てたように彼が手を離し、夢子と距離を置いた。

「あのな、オレは女を泣かすならベッドの上って決めてンだよ!」
「……っ……キモいよぅ……」
「ンだとコラ!」
彼は茶髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、大きな溜息を吐いて夢子に背を向ける。
夢子は崩れるようにしゃがみ込むと本格的に泣き出した。一度泣き出すとなかなか止められない――これって、治らないのかな。




「悪かったよ」
暫くして、また上から声が降り――恐る恐る顔を上げる。目の前に差し出されたのは缶ココア。
そういえば……家を出る前、飲もうと思ってたんだ――何で分かったんだろう。もしや、エスパー?

「何だよ、いらねェのか?ココア嫌いか?」
「……いえ……好き、です……。ありがとうございます」
少し掠れた声でお礼を言うと、素直に缶を受け取った。温かさに触れ、冷え切っていた指先が痺れる。
のろのろと立ち上がると、トレーナーの袖で涙を拭って息を吐いた。

「お前寝起き?頭ボッサボサだぞ」
「……眠れなくて」
「気分転換にドライブってか」
「はい」
そんなに髪ひどいのか、と自分の頭に触れる。確かに普段より、うねっているような気がする。
家を出る前に鏡を見ていないことに気付いた。女子としてどうよ。
だけど、それよりもっと気になることがある。
「……あの、ですね」
「あン?」
「お前って呼ぶの、止めてもらえませんか」
「何でだよ」
「その……初対面なのに……」
「まァいーけど。名前は?」
田中です」
「アホか。苗字じゃねェよ。名前だよ、名前!」
「……夢子
「ふぅん。夢子、ね。オレ慎吾」
「はぁ……」
「車見せろよ、夢子


初対面の人間(一応、女)を泣かせた挙句、名前を呼び捨て。
この人は礼儀というものを知らないのか、神経が図太いのか、ただ単に俺様なのか――
彼――慎吾は、文字通り舐め回すようにカプチーノを観察している。
夢子は温かい缶を弄ぶようにして、そんな彼を眺めていた。


「へェ……でっかいウィングにカナード付けて。意外と本気組か?」
「……?何がですか」
彼から質問が飛ぶが、夢子には意味が分からなかった。
「走り屋かって聞ーてンだよ。地元どこだ」
「ああ、違いますよ。車乗るのは学校とか買物とか」
「マジか?勿体ねェな。エンジン見せろ」
「……はい」
素直にボンネットを開けると、慎吾が待ってましたとばかりに覗き込んだ。
自販機の明かりが届き、パーツが自己主張をするように光っている。


「へェ……エキマニもエアクリも、イイの着けてンじゃねェか」
「はァ、そうなんですか」
「自分の車なのに知ンねェのかよ」
「このコは買ったときからこんなんでしたよ」
「何も知らねェで買ったってのか?こいつ、かなり気合入ったチューンドカーだぞ」
「チューン、ド……?」
「ちゃんとメンテしてンだろーなァ、夢子?」
訝しげに夢子を見遣り、慎吾が問うた。
「オイルとか部品の交換は、お店に任せてます。えと、もうすぐオーバーホールとか」
「……まァ何もしないよりはマシだよな」
一人納得したように溜息を吐いた。

「ん……何だコレ」
リアウィングを眺めていた慎吾が、テールに貼られた小さなステッカーに気付く。



【 ポコチーノ 】



純白の文字で、それだけ書かれているシンプルなステッカー。
「……夢子、コレ何だ?」
「何ですか?」
少し面倒臭そうに夢子がやって来て、慎吾の指しているステッカーを目にして表情を強張らせた。
「……それはこのコの名前です……」
「おま、このセンス何だよ!カプチーノがポコチーノって!」

我慢出来ないといった様子で慎吾が吹き出し、腹を抱えて笑い出した。

「違、あたしが名付けたんじゃないし!」
「じゃあ誰だよ。あーハラ痛ェ」
「……強いて言うなら某掲示板の住民……」
「車に名前つけるスレとかあンのか」
「全然……軽自動車の2シータースレ。あたし酔ってて……いきなり[安価で車に名前つける]とかレスしちゃって」
「ああ。そのレス数の奴を採用とか?」
「……そう。その時スレがもう900行ってて、次スレのこととか話してるのに[>>1000頼む]とか……」
「ボロカス言われたろ」
「それが意外と沢山レスついちゃって、あっという間にスレ埋まっちゃった」
「で、1000がソレか」
「……うん」
「気に入ってンじゃねェの?手切りだろ、このステッカー」
「オフ会でもらったの。作ってくれた人に悪いから捨てらんなくて、とりあえず貼ってみたんだけど」
「愛着湧いた、ってか」
「うーん……貼ったはいいけど、剥がすと跡残りそうだからほったらかし」
「へェ」
慎吾が笑いながら携帯を取り出した。

「ちょ……写真撮るの!? ダメだよ!恥ずかし過ぎるって!」
「オレにも良心があるからな。ナンバーは写さねェ」
「そういう問題じゃ――」
夢子の必死の抵抗も空しく、慎吾の携帯から軽快なシャッター音が鳴る。


「ほら。キレーに撮れてンだろ」
満面の笑みで画面をこちらに向けた。……確かに、鮮明に写っている。
「……かなり画素数いいね……」
「この間機種変したばっかだからな。今ンとこ最新機種じゃねェか」
「くっ……羨ましい……あたしのパサパサ……」
夢子が携帯の待受画面――愛車のベストショット――を見せると、慎吾はそれを右手で受け取りしげしげと眺め呟いた。
「こりゃさすがに粗過ぎねーか」
「う、うるさい!返してっ」
携帯を取り返そうと手を伸ばすが、高々と掲げられて届かない。
不意に抱き締められて、慎吾の腕の中で呆気に取られる夢子の額へ小さなキスを。
展開が飲み込めないのか、ただきょとんとしている。


「オレの番号登録しとけよー夢子
「……?」
無事に戻ってきた携帯を見ると、発信履歴一覧が表示されていた。いちばん上に、11桁の見知らぬ番号。
「ウソ。いつの間に……」
腕の中の驚いた表情を見遣り、慎吾が微笑う。
素直にメモリ登録している夢子の鼻筋をつついて、さてこの後どうするか――と策を練り始める。



ポチポチと文字を打っていた携帯を閉じて、思い出したように夢子が声を上げる。
「今、ものすごく眠い」
「……は?」
「車貸してよ慎吾」
「貸すって……」
「仮眠。リアシートあるでしょ」
「そりゃ、あるけど……」
「あたしの車使っていいから――とりあえず、はなして?」
ねだるように見上げてくる夢子に、つい口元が緩み――腕の力も緩む。
夢子は慎吾の腕を解き、愛車から鍵を抜くと慎吾の目の前に掲げた。
「はい、交換。ガソリン入れたばっかだから楽しんできて」
「……第一印象裏切りやがって……」


不満げな慎吾を見遣り、夢子は眠たげな目をこすって囁いた。


「一緒に寝る?」
「!」
「本気にしないでよ。狭いでしょ」
ニヤリと唇を上げて愛車の鍵を鳴らす。
夢子から鍵を受け取った慎吾は、渋々ポケットからEG6の鍵を取り出し夢子に渡した。
花が咲くように微笑った夢子が、ふらついた足取りで慎吾の愛車へ向かう。その背中へ、慎吾の苛立った声が飛んだ。
「襲うぞ、夢子!」
「別にいいけど……寝てる女とヤってもつまんないんじゃない?」
「いや起きろよ!」
「あたし、寝たらなかなか起きないから」
「クソ……っざけンなよ」
悪態をつく慎吾に背を向け、夢子はEG6のドアを開ける。助手席のシートを倒して後部座席へ寝転がった。案外、寝心地は悪くない。
目をつぶった夢子に感じられるのは、煙草の匂いと、慎吾の匂いと、申し訳程度の芳香剤の匂い。
あたしの車の中は、あたしの匂いがするのだろうか――――
飲み込まれるように眠りへ落ちていく瞬間、愛車のエンジン音が耳に届いた。




太陽が昇って目が覚めたら、慎吾が運転するあたしの車に乗ってみよう。
全部が大きくは変わらないかも知れないけれど、何かが少しは変わる気がする。
温かな夢子の指先が、とうに冷え切った缶に触れた。





[NITRO GANG]END.