その電話があったのは10月26日、木曜の夕方。
学食の片隅でレポート課題を下書きしていた夢子は、テーブルの上で震え始めた携帯電話を手に取る。
画面に表示された氏名――[中里 毅]の3文字を確認し、緊張を感じながらも躊躇うことなく通話ボタンを押した。
『もしもし、夢子か。急で悪いんだが……来週の火曜は行くか?』
片想い――と言うのもつらい、夢子のほのかな想い人。彼の言う場所は、妙義ナイトキッズがホームコースにする妙義山。
夢子は少し逡巡するように遠くを見つめた後、レポート用紙へ視線を落とした。
「ハロウィンですよね。慎吾にCD返す約束してるんで、バイト終わってから行きます。遅くなると思いますけど」
『そうか。それなら菓子を持って行け』
夢子は聞き間違いかと思って、毅の言葉を繰り返す。
「…………お菓子、ですか?」
『ああ。チョコでも飴でも何でもいい』
「……はあ……」
腑に落ちないといった夢子の口調に、毅が諭すように言った。
『いいか、夢子。これは忠告じゃない。警告だ』
「警告って……そんな大ゲサな。走り屋がお菓子交換でもするんですか」
『まぁ……そんなところだ。いいか、絶対忘れるなよ』
「わかりました。お菓子なら何でもいいんですよね」
『そうだな。とりあえず、数を多めに持っていけよ』
「あ……それじゃ、作っていってもいいですか?」
ざわめきの向こう側で、彼が息を飲むような微かな音。携帯に耳を押し付けると、少しの間を置いて穏やかな声が聞こえる。
『……夢子の手作りか』
「みんなで食べるなら、やっぱ市販品の方がいいですかねぇ」
『いや、その、……どちらでも構わないが……』
「それなら、クッキーとか焼いていきます。中里さんも来ますよね?」
『ああ。遅くなると思うが、必ず』
「わかりました。待ってますね」
挨拶を交わして携帯を閉じ、レポート用紙に書き留めた[31(火) クッキー]の文字を眺める。
ハロウィンにお菓子交換なんて、メンバーの皆はそんなに甘いもの好きだっただろうか……?
10月31日、火曜の夜。妙義山の雰囲気がいつもと違う気がした。そこかしこにオレンジの灯り。夢子はスピードを落として灯りに目を遣る。
正体は、オレンジ色のかぼちゃ。目、鼻、口を描き、中身をくり抜いて、その中にロウソクを立てているようだ。
ジャック・オ・ランタン――かぼちゃの提灯、ハロウィンの代名詞とも言えるやつだ。
道端に点々と浮かぶその灯りは、メンバーが作ったものだろう――思わず笑みが零れた。
「夢子!Trick or Treat!」
「慎吾……何、その格好……」
駐車場で、愛車――インテグラDC5――から降りた夢子を迎えたのは、吸血鬼・ドラキュラの格好をした慎吾。
燕尾服に黒いマントを羽織り、口元には血糊の塗られた牙。赤いカラーコンタクトまで装着している気合の入れ様。
裏地の赤色を見せつけるようにマントを翻し、胸元に手を遣って深くお辞儀をしてみせた。なかなか似合っている、とつい感心してしまう。
「今日ハロウィンだろ。お菓子くれなきゃイタズラするぞー♪」
夢子が慎吾へ手渡したのは、小さく包装したかぼちゃクッキー。かぼちゃの形を模して、生地にもかぼちゃを練り込んで焼いたものだ。
「えっと、Happy Halloweenって言うんだよね」
「……毅の入れ知恵か、夢子」
「へ?」
「毅に言われたンだろ。今日は菓子持ってけ、って」
「だって……ハロウィンだから、みんなでお菓子交換するんじゃないの?」
「バッカ、ちげーよ!夢子が菓子持ってなかったら、オレが夢子にイタズラできるだろ!」
「……何言ってんの?あ、コレ借りてたCD。ありがとね」
今日会う口実のCDを受け取った慎吾は、ドラキュラ姿のままでしょんぼりと肩を落とした。
「みんなー、クッキー食べるー?」
駐車場に居るメンバーに夢子が声を掛けると、まるで映画に出てきそうなキャラクターが続々と集まり始める。
大きなしっぽの狼男、フランケンシュタイン、包帯をぐるぐると巻いたミイラ、大きな鎌を持った死神、白い布を被ったオバケ――
何故か戦隊ヒーローの全身タイツを着た人達も(ちゃんと5色揃ってる)。
それぞれが「Trick or Treat!」とおどけ、夢子からクッキーを受け取った。
ハロウィンは古代ケルト人の「秋の収穫を祝い故人を偲ぶ」という宗教的行事が起源になっているという。
現在では宗教的な意味合いは薄れ、秋のイベントとして定着している。
目玉は何と言っても仮装。子供たちが仮装して『Trick or Treat. (お菓子をくれないとイタズラするぞ)』と、近所を訪問して回る。
ここ・妙義山で仮装しているのは、子供と呼ぶには無理がある年齢の者ばかり。
しかし元来お祭好きの日本人は、そんなこと気にはしないのだ。要は、楽しんだ者勝ち。
「みんな、その格好で運転してきたの?」
仮装大会のようなメンバーを眺めていた夢子が苦笑しながら訊いた。
「んなわけないっしょ、夢子ちゃん。衣装持ってきて、こっち来てから着替えたんだよ」
「衣装探すのに店何軒も回ったよなー」
「道っ端にランタン置いてきたの俺!超頑張ったから誉めて!夢子ちゃんっ」
「あれ作ったのは俺だっつの」
「このクッキー超うめぇ!超かぼちゃ!」
「あ、ブラウニーもあるよー」
「それも作ったやつ?」
「うん、今朝焼いたの。形はあんま良くないけど……」
「でも美味いよ。夢子ちゃんマジ料理上手」
「ホント?ありがとー嬉しい」
和気藹々、皆で菓子を食べながらのほほんと笑っていると――――
「オレにもよこせ!」
マントを翻して慎吾が吠える。邪魔な牙は外してぶん投げた。
「いっぱい作ってきたから、そんな焦んなくてもあげるってば」
呆れながらも慎吾へ差し出したブラウニーは、即座に引ったくられる。
「慎吾、そんなにがっついたらムセるぞ」
ミイラが缶コーヒーを放った。仮装パーティーにも似た夜のお茶会を見渡した夢子が苦笑を浮かべる。
「いいなーコスプレ。言ってくれたら、あたしも何か持ってきたのに」
「あ、オレ持ってるぜ」
夢子が漏らした溜息を掬い取り、慎吾がブラウニーを頬張りながら手を挙げる。
「持ってるって、何を?」
「ちょっと待ってろ」
残りを口に放り込んだ慎吾はEG6へ駆け寄り、すぐに紙袋を手にして戻ってきた。
それを夢子へ差し出し「似合うと思うぜ」と笑顔を輝かせる。
「ありがと!着替えてくる」
紙袋を抱えて公衆トイレに走る夢子の後ろ姿を眺め、ほくそ笑む様はまるで悪魔――慎吾の傍に居たミイラに悪寒が走った。
「……何だ、これは」
仮装したメンバーがお菓子を貪っている姿を見下ろしているのは、会社帰りの毅。
「こんな時間までお仕事ですかー。サラリーマンはタイヘンですねえ」
「棒読みだな。夢子は?」
ネクタイを緩めながら周囲を見遣る。彼女に会いに来たのに――車は在ったものの、夢子本人が見当たらない。
「もーすぐ出てくると思うぜ」
「出てくるって……来てるんだろ?」
「まァな。……っと、電話」
胸ポケットから携帯を取り出すと、予想通り夢子からの着信。内容も大体想像がつく。
「どした、夢子?」
『慎吾、コレ……ちょっとナシだって……』
「何でだよ。オレが選んだからアリだっての。着たなら早く出てこいよ」
『いや、でも……』
「さっき毅も来たぜ」
『…………行くけど、絶対笑わないでよね。絶対だよ』
「はいはい」
満足気に通話を終えた慎吾は、毅を見遣り唇へ嘲笑を浮かべる。
「……どういうことだ、慎吾」
「面白いモン見してやるよ」
慎吾が公衆トイレへ親指を向け、毅も視線を送る。程無くしてそこから出てきたのは間違いなく夢子、だが――――
「な……っ」
「お、似合ってんじゃん」
とんがった黒い帽子、黒いノースリーブワンピース……その丈は膝上約20cm。そして黒とオレンジのストライプ柄・オーバーニーソックス。
慎吾渾身のセレクト、『セクシー魔女』のコスチュームを着こなした夢子。
「やっぱ絶対領域だよなー」
「慎吾!何だッ夢子の――あの格好!」
「今日はハロウィンだからいいンだよ」
まだ言い足りないであろう毅に背を向け、慎吾がマントを翻して夢子の元へ駆けていく。
「似合ってンぞ、夢子」
「ていうか寒い〜」
試しに肩を軽く叩いてみたところ、ひんやりと冷たい感触が掌に残った。納得したように呟きが漏れる。
「かなり露出してるもんなァ」
「ちょっと、そんな他人事みたいに……」
「とりあえず写メ撮ろーぜ」
「えぇー」
妙義山駐車場は、唖然とする毅を残して即席の撮影会場になった。
夢子の周りはぐるりとメンバーに囲まれ、携帯電話からは陽気なシャッター音が絶え間なく鳴り響いている。
「あーやっぱホウキも買えば良かったなァ」
慎吾が悔しそうに呟くと、傍らの死神が笑いながら鎌を持ち上げる。
「コレなら貸せるけど、魔女といえばホウキだしな」
「マジ迷ったんだけどよー。ガッツリまたがったら絵になンだろ」
「うわ、すげぇエロ目線じゃね?」
「まァな」
フンと鼻を鳴らす。
メンバーからのポーズリクエストに甲斐甲斐しく応えている夢子は今、帽子とウェストに手を当て、挑発的な表情でカメラへ視線を投げている。
「慎吾〜、もう着替えていーい?」
夢子が両腕をさすりながら訴えた。心なしか、声も身体も震えているようだ。
「ちょい待ちー。オレとツーショット撮ってからな」
慎吾が携帯を開いた直後、靴音が高く鳴る。毅がスーツの上着を夢子に着せ、低い声で呟いた。
「お前ら、命が惜しいなら今すぐ散れ」
それは何よりも恐ろしい、地獄の底を這うような声――――皆が背筋を震わせて逃げ出していく。
「上着、すみません。ありがとございます、中里さん」
「……ああ」
「クッキー作ってきたんですけど、食べてくれますか?」
「勿論。楽しみにしてたんだ」
「今持ってきますから、ちょっと待っててくださいね」
わたわたと愛車へ駆けていく夢子の後ろ姿からも、心が弾んでいることがわかる。きっと、嬉しくてたまらないのだろう。
それを不愉快に思う慎吾が、不貞腐れて毅の眼前に立ち塞がった。
「邪魔すンなよ毅」
「慎吾。お前の目的はお見通しだ」
「何だそりゃ」
「ハロウィンにかこつけて、夢子に手ぇ出そうとしたな」
「…………」
「夢子から菓子を貰えなかったら、イタズラするつもりだったんだろう」
「つーか、夢子に入れ知恵すンなっての」
舌を打ちつつ慎吾は腕を組んだ。マントが揺れ、毅の溜息が秋の夜風に乗る。
「だが市販品ではなく手作りというのは予想外だった」
「はァ?」
「お前らに菓子を配るだけならまだ許せる。……しかし俺としては、夢子の手作り菓子を逃すわけにはいかない」
「毅……」
「そして夢子のあの格好も予想外だ。お前らの仮装はどうでもいいが」
「…………」
「この季節にあんな露出度の高い服、こんな山の中で着せやがって」
「毅。お前さっきから真剣におかしな事言ってるぞ」
「もう我慢できねぇ……。慎吾、バトルで決着つけようぜ!」
「ヤだね。今日はそんな気分じゃねェんだよ」
マントを翻し毅へ背を向けた途端、嫌な感じの空気を切々と背中に感じる。
やがて夢子が足取り軽く、まるでスキップでもするかのように戻ってきた。
「ふたりとも、ケンカはダメですよー。はい、中里さん。Happy Halloween♪」
差し出された小さな包みを受け取り、毅が頬を緩める。
「……ありがとう」
「来年は、中里さんも一緒に仮装しましょうね」
「ああ」
「約束ですよ?」
上着の袖を持て余しながら右手の小指をそっと差し出した夢子は、艶やかな微笑を唇に浮かべている。
毅が頷いて小指を絡めると、夢子がにっこり笑い「嬉しいです」と小さく呟いた。
紅葉のように染まった夢子の頬が、毅にはひどく愛しかった。
道端でかぼちゃの提灯が笑っている。来年からハロウィンは、妙義山――妙義ナイトキッズ――の恒例行事になるだろう。
[おばけかぼちゃ、襲来。]END.