「やるよ」
八分咲きになった桜の木の下、彼は制服のボタンを引きちぎって彼女に放った。
「これ、」
「第2ボタンってヤツ。夢子、東京行くんだってな」
「うん。……あたしね、慎吾くんのこと好きだったんだよ」
「お前……今言うか?」
「今じゃなきゃ、きっと言えなかった」
夢子は緋色のリボンをほどいて慎吾に手渡す。
「大学卒業したら、こっち戻ってくる予定」
「……4年も待てっかよ」
「あたし、きっといい女になってるよ。……それじゃあ、またね」
夢子は笑って慎吾に背を向けた。彼に涙を見せたくなかったから。
握り締めたボタンは冷たいはずなのに、どこか温かくて。こみ上げてくる涙を押し込むのが大変で仕方ない。
「なるほど。お前も青春してたんだなぁ」
毅にしみじみと言われ、慎吾が眉をしかめる。
「……オッサンかよ」
「ちょうど今くらいの季節だろ、高校の卒業式って」
「あー、だな」
「それで思い出したってわけか。見掛けによらず純情な慎吾くんは」
「……るせぇ」
慎吾が小さく舌を打ち、短くなった煙草を投げ捨てる。暖かい風がそれをさらって、深夜の駐車場に花びらが舞った。
「……一台来るな」
毅が駐車場の入口に目を遣る。彼の言葉通り、一台の車が姿を現した。
「珍しいな。メガーヌか」
「?何だそりゃ。どこの車だよ」
「ルノー。ヨーロッパ最大のメーカーだ。あれは多分、ルノー・スポールだな」
「へぇ。おフランスの車、ってか。スカしてんな」
売店の近くに停められたその車から降り立ったのは――どうやら女性のようだ。
「うわ、どんな女だよ。ツラ拝んでやる」
「……絡むなよ、慎吾」
「知らね。相手次第」
背中で手を振って慎吾が歩き出した。
「おい」
「久しぶり、慎吾くん」
「……はァ?」
「4年も経ったから忘れちゃった?あたしのこと」
彼女の銀色の車の前、顔の高さに掲げたキーリングには金色のボタン。少しくたびれたそれは、紛れもなく慎吾自身が彼女に放ったもの。
そしてそれを掲げた彼女は、あの時桜の木の下で――――
「お前……夢子、か?」
「やっと思い出してくれた」
「何でここに……」
「色々、噂聞いてるよ。いいのも悪いのも」
「だから、そうじゃなくて……」
「会いたかったの。ただ、それだけ」
「……夢子……」
本当はあの時、夢子を追い掛けて、抱き締めて、「行くな」って言いたかったんだ。
だけどそれが無意味だってこともわかってたから。だから夢子の背中を見つめることしか出来なくて。
今、腕の中に居る夢子を離したくないと――――切に思った。
ふと気付けば毅のR32は消えていた。
あのでかいエンジン音すら聞こえない程、オレはテンパってたんだろうか。
季節が変わって桜の花が落ちても、オレのこの気持ちは変わらないだろう。
[桜の時]END.