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彼女と初めて会ったときのインパクトは、きっと一生忘れられないだろう。





平日の深夜、神奈川県箱根市某所。
突然、後方からのパッシング。誰かにバトルを挑まれた。
ここらを仕切ってるチームのリーダーとして、売られた喧嘩から逃げるつもりはない。
だが――あっさりチギられて少なからず衝撃を覚える。
あっという間に見えなくなったテールを追ってたどり着いた駐車場。
濃い紫色の車体の横、冷えたアスファルトに寝転がって紫煙を燻らせていたのは赤髪の〈女性〉だった。

地元で女に負けるなんてプライドが許さない、そう思ったのは一瞬。
近付いていくと――ふらりと起き上がって、猫のような瞳でオレを一瞥した彼女。
「アタシに何か用?」
「あんた、うちのチームに入らないか?」
「は?」
「……走り屋、なんだろ?」
「何それ」
「…………」
「あ。アタシが追い越したの怒ってんの?」
「……いや……」
「そっか。じゃあね」
くわえ煙草でR33――BCNR33――に乗り込む彼女に声を掛けられず、たっぷり一生分後悔した。




「島村さん、最近ここらで33見ませんか?紫っぽい色の」
土曜の夜。メンバーの何気ない一言に過剰な反応を示してしまうのは、あれ以来〈彼女〉を気にしているからで。
「……紫の33?」
「はい。オレらが走ってたら、すごい勢いで追い越されたんスけど」
「そうそう。かなりテクあるヤツのはずなんですけど、誰も見た覚えがないって言うんですよ」
「ホントたまーに見る程度なんスけど、どっかのチームなんスかね」
「……さあな」
もしかしたら、彼女かも知れない。
栄吉が覚えているのは炎のような髪色と猫のような瞳。紫色の車と煙草を弄ぶ白い指先。

もう一度会いたい。その願いは思ったよりも早く叶えられることになった。

「――あ!アレですよ島村さん!」
素っ頓狂な声を上げたメンバーの視線の先には〈あの〉R33。R32で埋められた駐車場の隅に停められた車から、降り立つその人は――
「なんだ、女かよ」
「33じゃん。あいつ一人か?」
どよめく駐車場の空気を気にすることなく、彼女は首を回して息を吐いた。
「おい。お前、どこのチームだ?」
「――あんた誰。大体〈チーム〉って何よ」
「なんだ。走り屋じゃねぇのか」
「だから何なのよ、それ」
「誰に断ってココ走ってんだよ、コラ」
「公道走んのに許可が必要なの?……アタマおかしいんじゃない?」
「てめぇ!」
かっとなったメンバーが彼女に掴み掛かろうとした。
彼女が一瞬腰を落としたかと思ったら、アスファルトが鳴るほど踏み込んで――――
「ぐ……っ」
溜息が出るほど華麗な右ストレート。その場に崩れたメンバーに同情の眼差しが向けられる。
「正当防衛よね?」
少し乱れた赤髪、綺麗なフォームのままオレに向けられた視線。
「……ああ」
猫の瞳に射止められて頷くしかなかった。




「……あれ?こないだの、32の人?」
「やっと思い出してくれたか」
栄吉は苦笑して右手を差し出した。
「血の気が多い奴ばかりですまないな。オレは島村栄吉」
「アタシ、夢子。ねぇ、〈走り屋〉って何なの?」
しっかりと握られた右手の温度に気を取られていたが、ひどく根本的な質問にたじろいだ。
「……車を走らせるのが好きな奴のこと、かな」
「へぇ。じゃああなたも走り屋なのね」
「ああ。夢子、お前もな」
「アタシが、走り屋?」
「33乗ってる奴が車嫌いとは思えない。それに……」
闇のような紫色に目を向ける。
「車に頼らないテクもあるし、立派な走り屋だろ」
「それ、誉めてんの?」
「勿論。そこで改めて聞きたい。夢子、ウチのチームに入らないか?」
「走り屋が集まるのが、チームってことね。名前とかついてるの?」
「箱根サンダーソルジャーズ。考えてもらえないか」
「……ごめん。無理、かな」
「他のチームにも誘われてるのか?」
「うぅん。集団行動って苦手なんだよね」
夢子は微笑って手を離し、髪をなびかせて愛車へ乗り込んだ。



「気が向いたらまた来いよ」
運転席の夢子に声を掛けると、彼女はひらりと右手を振った。
唇が柔らかな笑みを浮かべていたように見えたのは、栄吉の気のせいだろうか。





「島村さ〜ん」
振り返るとメンバー全員が、何か言いたげな表情で栄吉を見つめていた。
「……なんだ」
「あいつのこと知ってたのかよ、栄吉」
「前に一度会っただけだ」
「どういう関係なんですか?」
「……関係なんかない」
「なに赤くなってンすかー」
「うるせぇ」



夢子サンって……いいパンチ持ってますね……。すっげぇ効きました……」
「……お前、大丈夫かよ」

「島村さん、隣乗せてくださいよ。久しぶりに全開走行お願いします!」
「ったく、しょうがねぇな」
「やったッ!ありがとうございますッ!」




箱根の峠は昼夜を問わずいつも賑やか。
それも当然のこと、ここは特別な場所、走り屋の聖地。来る者は拒まず、去る者は追わない。それが原則。
しかし栄吉は彼女を――夢子を待つと決めた。
彼女にとってはバトルなんてただの〈遊び〉かも知れないが、それまでに精一杯、腕を磨いておくことにする。

今度会ったらもう一度、誘ってみよう。それは無意識の独占欲。

自由に生きる猫には似合わないかも知れないが――――
栄吉は苦笑を噛み締めた。