私的パートナー
あたしが広げた地図は、何処へ向かうためのものだろう。



「政志ー!大事なお客様が来ましたよー!」
夜の静寂をぶち破る騒々しさに、政志はガレージから苦い顔を覗かせて客を迎えた。

「うるせえな、音で判ってるよ。調子どうだ、夢子
「んー……今のセッティングは乗りやすいって言うか、扱いやすい、かなぁ」
「なるほど。お前、ウデ上げたな」
「へ?」
「ま、いいや。中で待ってろ」
「コーヒー貰うね」
「自分で淹れろよ」
「わかってます〜」
事務室から給湯室へ歩を進めた夢子は、勝手知ったる様子でコーヒーメーカーを操作し始める。
平日の夜更け、他のスタッフは居ない。夢子専用のマグカップと、同じデザインのものをもう一つ手にする。勿論、政志専用のもの。
コポコポと沸く褐色の液体を、素っ気ない蛍光灯が白く照らしている。


開け放たれた窓からの風。熱を残した夏の夜風は、昂り乱れる気持ちを少しばかり鎮めてくれる。
熱いコーヒーを一口含んだ夢子は、ほっと息を吐いた。



夢子。オレにもコーヒーくれ」
「はいよー」
給湯室へ投げ掛けられた声に応え、用意していたマグカップを褐色で満たす。まるで自分の心まで満たされていくように思えた。


政志へコーヒーを渡した夢子はスチールデスクに腰掛ける。
「昨日見たトレノ、文太さんかと思ったら拓海だった。アオっときゃ良かったよ、もったいない」
「あの親子は走りが似てるからな。ま、お前じゃまだまだ敵わねえだろ」
「ヤだな、藤原家のハチロクに勝とうなんて思ってないよ」
静まり返ったオフィスには無機質な秒針の音が響いている。持て余した脚を揺らしながら夢子が呟いた。
「政志、あたしと結婚しない?」
「ああ?バカだな夢子は。10年早ェ」
「10年もしたら賞味期限切れちゃうって」
じゅーねん、と唇を尖らせた夢子は、空になったマグカップをデスクの上へ。
「そん時は仕方ねぇな。貰い手がねぇならオレが貰ってやる」
「いーの?その頃あたし期限切れだよ」
「まだまだガキだな夢子は」
「む……」
「腐りかけの方がウマいってこと知らねぇのか」
「ちょ、あたしは腐んないよ!?」
「はいはい。もう遅いから帰れ」
「え〜」
「えーじゃねぇ。ほら」
政志が苦笑して夢子へ鍵を放り、それをしっかりと受け取って夢子が笑う。
「何よ、あたしに会いたかったくせにッ」
「あ?」
「手書きのダイレクトメールなんかありえないでしょ」
ジーンズのポケットから取り出した葉書を、政志の目の前でヒラヒラと振った。
「オレぁワープロだのパソコンだの苦手なんだよ。整備に来いっつーハガキ一枚作んなら手書きの方が早ぇだろ」
「そうかなぁ。CPUセッティングすンのに、ヘンなの。……コーヒー、ごちそーさま」
デスクから飛び降りた夢子が笑って葉書をしまう。大切なものを扱うように、そっと。




ガレージの前に停められた黒いハチロクは、闇に溶けていきそうな濃度でそこに在った。
シートに腰を沈める夢子へ見守るような視線を投げ、政志がゆっくりと口を開く。
「……夢子
「ん、なに」
全開の窓から見上げてくる眼差しを受け、政志は自分が思っていたよりも強い口調で釘を刺した。
「死ぬなよ」
「は?」
「峠で死んだら承知しねぇからな」
「わかってるって。政志が組んでくれたハチロクだもん。それに、あたしが政志を残して死ぬワケないでしょ」
「あのなぁ……」
「じゃ、またね政志。オヤスミ」
「ああ。気をつけて帰れよ」
夢子は返事代わりに、笑顔でクラクションを鳴らした。やがて遠ざかっていくハチロクのテールを眺め、政志は溜息を零して笑う。



「……ったく……そりゃオレのセリフだろ、夢子



違う地図を広げていても、あたしはきっと迷うことなくあなたにたどり着ける。
今のあたしが探しているものは、かけがえのない手ざわり。あたしは全身のドキドキを研ぎ澄ます。
あなたはたった一人の、かけがえのないあたしのパートナー。今までも、そしてこれからもきっと、ずっと。





[私的パートナー]END.