サンキュ.
それは麗らかな春の夜。1年付き合った彼氏にフラれた。というか、アタシからフった。
決定的な原因は、浮気現場を目撃してしまったから。前から薄々あやしいとは思っていたけど、まさかクロだったなんて。
『いや、その、違うんだ』
何が違うっつーんだよ。ふざけんなよ。
『サヨナラ』

元・彼氏に背を向けて、夢子は手にしていた携帯電話をへし折った。




「酒井?アタシ、夢子。仕事終わった?」
『ああ、夢子か。仕事は終わったけど……何で公衆電話?携帯どうした?』
「んー。ちょっと、ね」
『……今どこに居る?』
「中央公園でひとりぼっち」
『すぐ行くから、待ってろよ』
「オッケ」
受話器を戻したグレーの公衆電話から、あるだけ入れた10円玉がバラバラと戻ってくる。
携帯番号をソラで言えるのは酒井だけだ。酒井は学生時代からの友達で、いわゆる「悪友」ってヤツ。
無駄に広い大学の駐車場でドリフトした時は、ゼミの教授に物凄く怒られたな(当たり前だけど)。

……そういえば、何であんなことしたんだっけ。確か、アタシの車でも「ドリフト」できるって達也が言って――
酒井がナビに乗って、教えてくれたんだ。
初めはモタついたけど、コツを掴んだらバカみたいに楽しくて。何度もアスファルトに定常円を描いてた。




『車って、ただ走るだけじゃなくてこういう楽しみ方もある。知らなかったろ?』




ナビで嬉しそうに笑った酒井のその一言で、アタシは〈走り屋〉になったんだ。
今じゃアタシの愛車、黒いMR2は立派なチューンド車。底無しの金食い虫だけど、宝物。
「ん……来たか」
酒井の白くてバカっ速いインテグラは、アタシの憧れ。




「よ、夢子。花火やろうぜ」
細い目を更に細くして、酒井が笑う。掲げた両手にはバケツと――カラフルな花火の束。
「去年の残り?」
「いっぱい買っただろ。使い切らないやつウチにあった」
「あ、そっか。酒井に押し付けたっけね」
「どうせ今年も買うんだろうな。水、汲んでくる」
酒井がポリバケツを手に水道へ走っていく。深夜の公園に勢い良く響く水音。


「火、ある?」
「ああ、持ってきた」
ポケットから取り出した100円ライターを夢子に放る。
夢子は微笑って、早速ねずみ花火に火を点ける。
「よいしょー!」
「うわ、投げんなよ夢子!」


逃げる酒井をけらけらと眺め、夢子は[ドラゴン]に手を伸ばす。
「ねー酒井!コレ火ぃ点けて〜」
「……お前なぁ……」


燃え尽きたねずみ花火を蹴りながら酒井が戻ってきた。


夢子、ライター貸せよ」
「はいよ」
ライターを受け取った酒井は苦笑しながら火を点ける。すぐに銀色の、2m程の火花が上がった。
「いいね〜花火の定番って感じ」
「そうだな」
「次コレ!ロケット連発!」
「はいはい」


煙に追われて逃げまどう酒井は涙目で咳き込み、慌てて夢子の手を引いた。
「キレイだな」
「ちょ……酒井涙目になってんだけど!」
けらけらと笑う夢子にススキ花火を向けて酒井が反撃に出る。
「ひゃー危ねっ。やったなこのー!」
「だから熱いって夢子!」





『人に向けないでください』
注意書きを全く無視した季節外れの小さな花火大会は、夢子の線香花火が落ちたところで終了した。





煙が漂う園内にブランコの軋んだ音が鳴る。
あのね――と呟いたまま黙り込む夢子の隣で、酒井が勢い良くブランコを漕ぎながら鼻歌を零した。
「……何でその曲?」
「大輝が毎日うるさくてさ。覚えちゃったよ。なんか振り付けの練習もしてるし」
「練習ったって……どこで発表すんの?」
「さあな」
「二宮くんらしいけどね」
ふ、と笑みを零して夢子が大きく深呼吸する。見上げた空には、微かにたなびく花火の煙と満天の星。





「今日ね、彼氏にサヨナラしてきたんだ」
酒井は何も言わなかった。
小さなブランコで長い脚を持て余しながら、夢子の次の言葉を待っている。
「アタシ泣かなかったし、責めたり、キレたり、しなかったよ」
「……そうか……。偉かったな、夢子
酒井は静かに、隣の夢子の頭をくしゃくしゃと撫でた。ブランコの鎖がチャリ、と小さな音を立てる。
優しくされるから、次から次へと――弱い言葉が零れてきそうになる。




「すごく、好きだったのにな」
ぽろりと漏れた自分の言葉に、夢子は再び空を見上げる。
こみ上げた涙を引っ込めるように何度か瞬きをして、隣の酒井に視線を移すと――彼も薄っすら涙を浮かべていた。
夢子の視線に気付いた酒井は乱暴に目元を拭い「煙、まだ残ってるな」と呟いた。


「なぁ夢子、髪切るなら付き合うぜ?」
勢い良く地面を蹴り、酒井がブランコを漕ぎ始める。
「この間お前が言ってたサロン、行ってみるか」
「ソレいいね。思い切ってベリーショートにしちゃおうかな」
夢子も負けずにぐんぐんとブランコを揺らす。そして何か思い付いたように急停止すると、ジーンズのポケットから携帯を取り出した。
「酒井。髪切る前に、携帯買うの付き合ってよ」
真っ二つになった携帯電話を掲げて夢子が笑う。


「うわ……また派手にやったな」
「へへ。でしょ?」
「誉めてないぞ」
「わかってるよー。機種変したかったし、いい機会ってコトで」
花火の燃えカスを放り込んだバケツの中に携帯を落とす。底に沈んだそれを眺め、夢子は大きく息を吐いた。




酒井が来てくれて良かった。アタシの隣に居てくれて良かった。今日はホントに――――




「サンキュ、酒井」
「――何か足りないな」
「ん?何?」
「これからもヨロシク、が抜けてるだろ」
「……そだね。これからもずーっと、ヨロシクね」
「了解」
夢子の髪をかき回しながら酒井が笑う。


「はー!テンション上がってきた!ヤケ食いしに行こ!」
「オレ明日……ってか6時間後から仕事なんだけど……」
「そんなこと言わないでよ〜。さっき『了解』って言ったじゃん?」
「ったく……仕方ないな。付き合ってやるよ」
「サンキュ。だからアタシ酒井好きっ」
「はいはい」



さっきの言葉、ホントだよ。サンキュ、酒井。これからも、ずっとずーっと、頼りにしてるからね。





[サンキュ.]END.