「換気っ!」
京一の部屋で夢子は勢い良く窓を開け放った。外は憎たらしい程の快晴。
「もー。タバコなんか止めなよ、京一」
「……それは難しいな」
ベッドに腰掛け雑誌をめくりながら、京一は事も無げに呟く。右手には夢子の不機嫌の元凶――細い煙を上げる煙草。
夢子は恨めしげに京一の手元を見つめ、小さく頬を膨らませた。
「難しいって、拓海クンにリベンジかますよりも?」
ぴく、と京一の眉が反応する。
「夢子――何故藤原のことを知っている」
「清次と野上から聞いちゃった」
「…………」
「でもアタシが無理矢理聞き出したんだから、2人のこと叱らないでよね」
京一は溜息を吐き、煙草を灰皿に押し付けた。隣に腰を下ろした夢子が京一を見上げる。
「京一はアタシが肺ガンになって死んじゃってもいいんだ?」
「そういうわけじゃ――」
「吸ってる本人より、周りの人間が吸い込む煙の方が有害なんだよ?」
「……ああ」
「せめて、アタシといる時だけでも止めてくれると嬉しいんだけどな……」
しゅんとうなだれる夢子を見遣り、京一はまた溜息を零す。
これじゃ俺が苛めているみたいじゃないか。どちらかと言えば――今の被害者は俺だろう?
「……わかった」
ポケットから一箱取り出して夢子に差し出した。これで事は済んだかと思ったら――
「この間カートン買いしたよね?」
夢子の黒い笑顔にたじろぎながら、京一は腰を上げストックを名残惜しげに取り出した。封を開けたばかりのそれを夢子へ手渡す。
「ライターは?」
「…………」
ズシリと重みのあるジッポを手に、夢子は満足気に微笑った。
「夢子といる時に吸わなければいいのか?」
「んー。ホントはいつも吸わないのがイチバンいいんだけど」
「……それがないと火が点けられないんだが」
「あ、そっか。ここIHだっけ」
「ああ」
「何か、問題でも?」
にこりと――やっぱり黒い――笑みを浮かべた夢子。京一はこめかみを押さえながら呟いた。勿論、冗談のつもりで。
「極論、夢子と会わなければいいんだろう」
夢子の表情が見る見るうちに凍っていく。
しまった――と思ったが刹那、夢子は鞄を手に部屋を飛び出していった。京一に煙草とガムボトルを思いっ切り投げ付けて。
『普段はおっとりしてる夢子がキレると半端なく怖い』
チーム内でもそのギャップはダントツだと噂されていることを、ようやく思い出した。
散らばった煙草の箱を拾うが、肝心のジッポだけが見当たらない。
京一は今日何度目かの苦い溜息を深々と吐いた。
「京一、アタシとバトルして」
それから数日後。日光いろは坂――明智平駐車場。夢子が珍しく愛車・青色のエボVI――CP9A――で姿を現した。
「コースとか段取りは京一に任せる。だからアタシが勝ったら約束して」
「……約束?」
「今後一切、禁煙すること」
「…………」
「アタシが負けたら、もうタバコのこと口出ししない。コレも返す。……約束する」
夢子が掲げた右手に、鈍く光るジッポ。メンバーがぽかんと夢子と、傍らのCP9Aを見つめる。
『約束なんか大嫌い。どうせ果たされないんだもの』
以前の夢子なら自分から〈約束〉などと言い出すことはなかった筈だ。
「……夢子……」
「どうする?」
京一は夢子の手を取り愛車・CE9Aの助手席に座らせた。駐車場にエンジンの咆哮が響き渡る。
中禅寺湖畔に停車したCE9Aの車内――夢子は運転席の京一に問うた。
「京一。バトル……受けてくれないの?そりゃ、アタシなんかじゃ相手にならないって言いたいんだろうけど、でも、」
「あの時からずっと、禁煙してるんだぞ」
「……ホント?」
「まぁ……あいつらが吸うから、服は煙草臭いだろうけどな」
「じゃあコレ、いらない?」
「そうだな……。夢子が持っていてくれ」
ジッポを手にこくりと頷いた夢子はどこか嬉しそうで、京一もやっと笑んだ。
「俺から取り上げた煙草の代わりにキスして貰おうか」
「え?」
夢子が聞き返す間も無く、唇が重なる。
歯列を割って侵入ってきた舌が絡み、身を捩らせた夢子の掌から落下したジッポ。あの日放り投げたミントガムと京一の匂い。
もっと中まで来てちょうだい。アタシの衝動を突き動かす程――――
月明りの下で微かに揺れるCE9Aの中、京一の目が鋭く光った。
[本能]END.