クリスチーナ (page.1/2)
「うわー、誰もいなーい」

妙義山の峠道でノロノロと180SXを運転しているのは夢子
平日の夜中に走れるのは、暇な大学生の特権といえるのかも知れない。


「山道ってこんな暗いんだぁ。怖いかも……」
バックミラーに後続車のライトが映ったことに気付く。
こんな時間に誰だろう――のんびり考えている間に追いつかれ、執拗なライトパッシングで煽られた。
慌てて左端に寄せると、その車はすごい勢いで夢子を追い抜いていった。
真っ赤なボディとテールランプが、ほんの一瞬視界に映っただけで闇に溶けていく。

「ウソ……何よあれ……。何キロ出てんのよ……」
夢子はしばらく呆然としたままハザードを出して停まっていたが、またノロノロ運転を再開する。





「……あ、さっきの車だ」
駐車場へ入ると、夢子を一瞬で抜き去ったあの車が停まっていた。
なるべく距離を取って駐車する。


自販機を物色していると突然、背後から声を掛けられた。
「よう。なんか奢ってくんね?」
「ひゃあ!」
振り向くとガラの悪い男が一人、くわえ煙草でニヤニヤと立っている。

「……びっくりしたぁ……」
「お前さっきの180乗ってたヤツだろ?」
「そうですけど……」
「免許取ったばっかか?すげぇ安全運転だな」
「……こんな暗い山道であんなスピード出すなんて自殺行為、あたしにはできませんから」
「可愛い顔して言うねぇ」
彼はくつくつと笑い、煙草を投げ捨てると自販機へ手をついた。……逃げられない。
値踏みするようにじろじろと夢子を眺めている。



「名前は?」
「……田中夢子
夢子か。お前、自殺行為に付き合わねェ?」
「は?」
「隣に乗せてやるって言ってんだよ」
「や、無理。死にます」
真顔で言う夢子を見て、彼は口の端だけで笑う。



「バーカ。死なねェよ。死ぬより気持ちイイこと教えてやるぜ」


瞬きをしたその瞬間、あっさりと唇を奪われた。
すぐ近くに閉じられた目蓋が見える。サラサラと彼の髪が当たる。
強い煙草の味と、その中に微かに感じる彼の匂い。
彼は遠慮なく夢子の口腔内を侵し、舌先がゆるゆると夢子の歯茎をなぞってくる。ぞくり、と背中が粟立つ。

(何、コレ……上手すぎ……っ)
キスに陶酔しかけていた夢子がふと我に返り、両手で押しのけるとようやく彼が離れた。

「オレ、慎吾ってんだ。乗れよ」
すたすたとEG6へ乗り込む慎吾。ぽけっとしていた夢子は慌てて彼の背中を追う。

慎吾と名乗った――素晴らしく――手の早い彼のことを、もっと知りたいと思った。





「ベルト締めとけよ。死んでも知らねーかんな」
そしてEG6のエンジンに火が入る。
「イクぜ?」
「……うん」
夢子が返事をする前にEG6は走り出していた。スキール音が響き体が思い切り左右に揺さぶられる。
EG6は何周か定常円を描き、駐車場を後にする。
「舌噛むなよ」
ぎゅっと奥歯を噛み締めていた夢子は、小さく頷くので精一杯だった。
嫌という程に横Gを感じる体。認識する間もなく後ろにふっ飛んでいく景色。



ジェットコースターは好きだけど、それとは違う感覚。
〈怖い〉?……多分、違う。怖いわけじゃない。
ひとつ間違えばあっさりと谷底へ落ちる。それは頭の片隅で理解してる。でも、その恐怖以上にわくわくしていた。
(車ってこんなにくるくる動くんだ……)





EG6は妙義の峠を一往復して駐車場へ戻ってくる。
夢子の180SXの隣に停めると慎吾は運転席から降り、助手席のドアを開けた。
「おい夢子、大丈夫か?」
「……うん。なんか、楽しかった」
夢子はドキドキしながら少し笑う。
「来いよ」
慎吾から差し出された手を素直に取った。
そのまま手をつないで自販機の傍のベンチへ行き、夢子に座るよう促す。


夢子はアイスティーだよな」
「……覚えてたんだ、あたしが買おうとしたの」
「まァな」
ガコン、と缶が落ちる音が聞こえる。


夢子は大きく深呼吸をした。見上げた空には沢山の星が瞬いている。


「ほれ」
「ありがと」
夢子にアイスティーの缶を渡すと、慎吾は隣に腰掛けた。缶コーヒーのプルタブを起こしながら訊く。
「で、どうだった?」
「どーもこーも……ありえないよ、あんなの」
夢子にも出来るようになるぜ」
「ウッソだぁー」
「ホントだって。じゃあ何で180なんか乗ってんだよ」
「安かったから」
「……それだけか?」
「うん」
隣の慎吾が大きな溜息を吐くのが聞こえた。

「友達のお兄さんがディーラーやってて、程度いいやつ探してくれたんだよ。
  車あんまり詳しくないけど……このコ見たとき、なんかカッコいいなぁって思って」

夢子は愛車に目を向ける。しっかりと若葉マークが貼られた、ガンメタの180SX。細い月に照らされて鈍く光っている。

「名前はクリスチーナっていうの」
「へー、夢子ちゃんは車に名前つけてるんですかァ」
明らかに馬鹿にした口調で慎吾が言う。
「ペットにだって名前つけるでしょ。あたしもクリスチーナのこと可愛がってるんだからっ」
苦笑した慎吾は小さな沈黙の後、コーヒーを呷って呟いた。





「なあ夢子、セックスしねェ?」





無糖のアイスティーが思いっ切り、気管に流れ込んだ。涙目でむせる夢子を楽しげに見つめる慎吾。
「――何、言ってんの?」
乱暴に涙を拭うと夢子はそっぽを向いた。しかし慎吾は図々しく肩に手を回して距離を詰めてくる。
「なぁ。しようぜ」
夢子の首筋を優しく舐めた。
「やだ、首、だめ……っ」
たちまち赤くなる夢子に、慎吾の理性は切れかかっている。





……嘘だろ?Tシャツにジーンズで、何でコイツこんなに色気あるんだよ……





「もっと抵抗しろよ夢子……マジで止まんねーぞ」
掠れた声で耳元に囁かれ、夢子は堕ちた。
「ぃ……よ」
「あ?」
「ぁたしも…慎吾と……したぃ……」
最後の方は殆ど聞き取れなかった。
慎吾は真っ赤になったまま俯く夢子を軽々と抱き上げ、EG6の後部座席へ招待する。