心を奪われるコトなんて、一瞬あれば充分だ。
いつの間にか3年生だけど、部活には大体毎日顔を出してる。
県内の女子大を早々と推薦で決めて、あとは卒業を待つだけ。
現状はまずまず充実。これといった不満はない。
たまに、何かが足りないと思うことはある。……けど、自分からアクションを起こすのは苦手。
いつか運命的な出会いがあるかもしれない、なんて――ささやかな期待をしているのは事実。
友人達と数人で校門をくぐり抜けたとき、一台の車に目がいった。赤いシビック――EG6。
どこかで見たことがある。夢子は思った。
女子校の前に停められたそれは、夕陽に照らされてオレンジ色に光っている。
人待ち顔で紫煙を吐き出していたのは、従兄の庄司慎吾。
携帯を睨んでいたが、夢子の視線に気付き顔を上げた。
「よぅ、夢子。待たせやがって」
「慎兄!どしたの?」
「今日休講でよぉ。暇だったから迎えに来てやったんだよ。ありがたく思え」
煙草を揉み消すと、もたれ掛かっていた向かい側のガードレールからこちらへ向かってくる。
「そんなワケで夢子持ってくから」
呆気に取られる友人達を尻目に、慎吾は夢子の肩を抱いて強引に連れ去る。
助手席に放り込むと、派手な音を立ててEG6を発進させた。
「誤解されたらどうしよう……。絶対彼氏だと思われたよぅ」
「あぁ?ンなモンほっとけよ。何なら既成事実作るか?」
信号待ちの僅かな時間に運転席からキスを迫る。油断も隙も無い。
「やだっ!慎兄のバカ!」
「むくれんなよ。晩メシ奢ってやっからよ。お前まだ部活やってんだろ?弓道なんて何が楽しいんだか」
「……ケーキも。」
「ったく図々しいな夢子は。わぁったよ」
口調とは裏腹に、慎吾は愉しげにEG6を走らせる。
暫くすると、妙義山が見えてきた。
峠道のコーナーを軽く滑らせるだけで、夢子はいちいち反応してくる。
「何、今の?滑ったの?」
「バカ。わざとだよ」
「なんでわざわざ滑らせるの?」
「うっせーな。もっと大きくなったら解るぜ。チチがな」
「……胸は関係ないじゃん」
むくれた夢子はプイとそっぽを向き、もう慎兄とは口きかない。と決意した。
事実それは、妙義ナイトキッズメンバーが集まる駐車場に着くまで実行された。
「よぉ慎吾。可愛いコ連れてんじゃん。彼女?」
「バーカ。こんなガキ相手にすっかよ。ホラ夢子、自己紹介」
「……慎兄の従妹の夢子です。慎兄がいつもお世話になってます」
若干ムカつきつつ、ぺこりと会釈をする。
「へぇ、イトコなんだ。ヨロシク〜」
「全然似てないよな」
「イトコじゃ似なくて当然だろーが」
「ああ。慎吾に似なくて良かったよな」
「ンだとてめェ!」
くわえ煙草で笑いながらエルボーをキメる慎吾。
じゃれ合う姿はまるで少年――なんて夢子思ってんだろーな。フフ。惚れんなよ。
と慎吾は思っていたが、当の夢子はメンバーに囲まれ、質問攻めにされていた。
その時、闇色のR32が駐車場へ入ってきた。
車に詳しくない夢子でも、GT-Rは知っている。
「慎兄、あれってGT-Rだよね?」
「あぁ、毅の32だろ」
「さんにー?」
頭の上に大きな?を浮かべた夢子に、メンバーの高田が助け舟を出す。
「R32っていう型のGT-Rだよ」
「ふーん?」
そして運転席から降りたその人。
夢子とそう遠くはない距離に立つ彼と視線が交錯し、瞬間――真っ直ぐに射抜かれた。
急にドキドキした夢子は思わず視線を外し、慎吾の背中に隠れる。
……何やってんだろ、私。ヤバい、変なヤツだと思われる……。
「よぅ。結構集まってるな」
「おい毅ぃ。てめェのせいで夢子が怯えちまったじゃねーか」
「……夢子?」
「慎吾のイトコっすよ。可愛いっすよ」
「へぇ……。夢子ちゃん、ビビらせてごめんな」
慎吾の背中でうつむく夢子。その頭にポンと手を乗せる。
大きな手のぬくもりと、優しい感触に恐る恐る顔を上げた。
「てめ勝手に触ってんじゃねーよ!なァにが〈夢子ちゃん〉だ!」
視界を慎吾のパーカーに遮られた。背中と腰に、回された腕。
いつの間にか、しっかりと抱き締められている。微かに、煙草と香水の匂い。
「……慎兄、苦しいよぅ。離して〜」
「ダメだ」
「〈しんにぃ〉だってよー」
「オレも呼ばれてーなぁ」
「慎吾、夢子ちゃん嫌がってんだろ。離せよ」
「夢子に手出そうってんだろ。そうはいかねーぞ!」
毅の大きな溜息が後方から聞こえた。
「メシ奢ってくれんなら離す」
「何だよそれ」
「慎兄!迷惑だよそんな――もがっ」
全てを言い終わらないうちに口を塞がれる。もごもごと反対するが、夢子の声は届かない。
「給料出たばっかだろ?」
「まったく……そういうことは覚えてるんだな」
「夢子がどーなってもいいのか!」
「わかったよ。俺もメシまだだし、行こうぜ」
「お、やりィ」
やっとのことで解放された。
毅はメンバーと少し話した後、苦笑しながら愛車へ乗り込んだ。
「……慎兄!」
振り向くと、頬をぷっくり膨らませた夢子が慎吾を睨んでいる。
「何だよ夢子。怒んなよ。死ぬほどケーキ食ってイイぞ」
「もぅ……」
「結局ファミレスだもんな……。いくら近いからって他にもあるだろー」
「でも私好きだよガスタ」
文句を言う慎吾の隣で、夢子はワクワクとメニューを開く。
あぁどうしよう、ケーキ久し振り。ティラミスにしようかな。でも新メニューも気になる……。
「好きなもの頼んでいいぜ。夢子ちゃんも遠慮しないで」
真剣に悩む夢子に、にこりと笑顔を向ける毅。
夢子は照れながらハイ、と返す。
……なんか、コドモ扱いされてるんじゃないかな。ふとそう思った夢子は聞いてみることにした。
「あの、」
「ん?」
「私、いくつに見えますか?」
「いくつって――中学生じゃないのか?」
「……高校3年生です……」
「……そうなのか。悪い」
この制服がいけないのかな、と少し落ち込んだ。気に入ってるんだけどな。セーラー服。
「だからよォ、夢子には色気が足りないんだって。チビで貧乳だしな」
しょんぼりとうなだれる夢子の上半身を一瞥して慎吾が言った(確かに、身長は150cmしかないけど)。
「もー。そんなこと言わないでよっ」
「事実だろ。つーか、バレバレ」
「見てもないのに……」
「じゃあ見せろよ今ここで。ほれ」
「やだよぅ。慎兄のエッチ」
「どーせ背中と区別つかねーんだろ」
「ひっどーい!」
キャンキャンと慎吾に噛み付いていると、向かいの毅が吹き出した。
結局慎吾はいちばん高いメニューをオーダー。
夢子は散々迷った挙句、きのこ雑炊とティラミスという妙な組み合わせに落ち着いた。
食事を済ませ、ドリンクバーでまったりと語らっていると、夢子の携帯が震えた。
「あ、おかんからだ。ちょっとごめんなさい」
慌てて席を立つと店の隅へ移動する。
夢子の背中を追っていた慎吾は毅に視線を合わせ、ニヤリと笑った。
「どうだ。夢子、可愛いだろ。セーラーってのがまたソソるよな」
「……あぁ、確かに可愛いな」
「なンだよ。とぼけんなよ。狙ってンだろ?」
「何?」
「オレはごまかされねーぞ。毅が夢子を見る目、獲物見つけたハンターって感じだしな」
コーヒーを啜りながら慎吾が言う。
間違いない。オレも、同じ目で夢子を見てるから。
「夢子のバージンはオレんだからな」
「……何言ってんだお前」
「本気だぜ?イトコってのは結婚できんだよ。ってことはセックスしてもイイってことだろ」
慎吾はぺろりと舌なめずりをして、カップをソーサーへ置く。陶器の触れ合う耳障りな音が大きく響いた。
店内は混んでいる筈なのに、2人の周りだけがやけに静かに感じられる。
「……悪いがそれは遠慮してくれ」
「なんだァ?本気か、毅」
「あぁ。本気だ」
2人が静かに火花を散らしているところへ、ぽてぽてと夢子が戻ってきた。
「そろそろ帰って来いって言われちゃったぁ。まだ9時半なのに……」
「じゃあ送るよ」
慎吾から視線を外すと、毅がスイと立ち上がる。
「あんまり遅くなると心配するだろう?」
「はい……。ていうか、もう既に心配されてるみたいです」
(毅のやつ――抜け駆けする気だな)
「毅、てめ夢子んち知ってんのかよ」
「教えてもらえばいいことだろう。県内の道なら大体わかるからな」
「そうなんですかぁ?すごーい」
呑気にはしゃぐ夢子が、とても無防備に見えた。
こいつ、このままだと毅に食われちまう。オレの方が先に目ェつけてたのに。
「選べよ、夢子」
「え?」
「オレか毅か、ここで選べ」
「……選ぶって……」
「慎吾と俺の、どっちに送ってもらいたい?」
2人に見つめられた夢子は、もじもじとスカートのプリーツをいじっていたが、
やがて何かを決意したかのように「……毅さん……」とぽつりと呟いた。
テーブルに突っ伏した慎吾が視界に入ったが、気にしないようにする。
「私、GT-Rって乗ったことなくて……」
「そうか。じゃあ行こうか、夢子ちゃん」
毅はにこりと笑うと、伝票とキーを手にレジに向かう。その背中に慎吾の悲痛な声が飛んだ。
「夢子に手出したら承知しねーかんな!」
「……わかってる」
「手出す??慎兄またねー。毅さん、ご馳走様です」
「あぁ。うまそうに食うとこ見れて嬉しいよ」
「……そんなにがっついてました……?」
楽しげに笑う2人を見送ると慎吾はチッ、と舌打ちをする。
煙草を取り出したがここは禁煙席。ウェイトレスに咎められ、仕方なくポケットに仕舞った。
「くっそ、ムカつくぜ……」
イライラと髪を掻き回して大きく溜息をつく。
「夢子……無事でいろよ……」
駐車場に停められているR32は、主の帰りを静かに待っていた。
「近くで見るとすごい迫力ありますね〜。カッコイィです」
「ありがとう。ベルト締めるからとりあえず座ってくれるかな」
「あ、ハイ」
助手席のドアを開けて毅が促す。夢子はバケットシートにすっぽりと収まった。
夢子の鞄を後部座席に置いた毅はシートの横にしゃがみ、4点式シートベルトをまず腰の部分から締めてやる。
(うわ、なんか恥ずかしいかも……)
(?なんかイイ匂いするな)
お互いに何を言ったらいいのかわからず、カチャカチャという金属の触れ合う音だけが聞こえる。
「……よし、出来た。苦しくないか?」
「はい、大丈夫です。すごいしっかりサポートですね」
「あぁ、サーキットなんかで使うようなベルトだからな」
毅はドアを閉めて運転席へ。セルを回すと振動がシートを通して伝わってくる。
(やっぱり慎兄のシビックとは違うんだぁ……)
「家はどの辺?」
「あ、**です」
「じゃあ17号で県道だな」
「えっと……多分そうです。道路、あんまりわかんないんですけど」
「近くまで行ったら教えてくれるか?」
「はい。わかりました」
「……それから」
「?はい」
「敬語、使わなくていいから。タメ口でいいぜ」
ゆっくりとR32を発進させると毅は言った。
助手席の夢子からは毅の横顔しか見えない。
「でも……毅さんて、慎兄より年上みたいだし……」
「あいつの従妹なら、夢子ちゃんも仲間みたいなもんだから。気遣うことないって」
「……はい」
「ハイじゃないだろう?」
「あ、えと、……うん」
「よし」
くすりと笑うとラジオのスイッチを入れる。抑え気味のボリュームでDJのトークが流れてきた。
毅の運転は多分すごく上手いんだ、と夢子は思った。
変にスピードを出すこともないし(滑らないし)、割り込みも、無茶な車線変更も、感情任せのパッシングもしない。
慎吾とは反対の丁寧なドライビングに夢子は驚いた。
車には弱く、よく酔ってしまうのだが毅の運転では全く平気。
それどころか、車に乗ることってすごく楽しいんだ、と初めて思ったのだった。
(免許取りたくなっちゃったなー……)
と、ラジオから流れるある曲が気になった。
「……あ、この曲」
「ん?これ好きなのか?」
毅がボリュームを上げる。
「今日慎兄の車乗ったときもかかってたんだけど、タイトルも誰の曲かもわかんなくて。気になる〜」
「これなら俺、CD持ってるぜ。結構古いけど」
「ホント?いいな。聴きたぁい」
「ウチにあるけど……持ってくか?」
「え、いいの?」
「あぁ。少し遠回りになるけど」
「いいよ、貸して貸してっ」
「じゃあちょっと寄り道な」
R32はウィンカーを点滅させて交差点を左折した。