100%無敵
とあるビルの地下一階、ひっそりとその店は在る。地上に『キャロル』と看板は出ているものの、一般客はゼロに近い。
暴走族、『魍魎』メンバーのたまり場となっている店だ。そのことを知っている者は、はじめからここへ近付こうとはしない。
知らない者も、階段左右の壁を埋め尽くすスプレーの落書きを目にした時点で、不穏な空気を感じ引き返すに違いない。
店内には現在、三人の男が居る。一人は店のマスター。他の二人は魍魎メンバーの剛と英二だ。彼等の通う私立聖蘭高校も春休みである。
無事、二年に進級できることとなった二人はこの店で、ある人物を待っている。特別約束をしたわけではないが〈彼〉はきっと来るだろうと考えていた。
『CLOSE』のプレートが下げられたドアが開き、カウベルが軽やかに来客を告げる。店にはおよそ不釣り合いな客にマスターが目を見張った。
一人の女性──いや、まだ〈少女〉と呼ぶに相応しい風貌の彼女が、「ご無沙汰してます」とマスターへ頭を下げる。
「おう、ココはガキが来るトコじゃねーぞ。帰んな」
奥のテーブル席から剛が声を上げ、しっし、と手を払う。斜向かいで英二が嘲笑った。
それを聞いた彼女は気後れすることなく彼等の元へ歩を進め、前髪や吐息が触れそうな至近距離で〈相手〉をまじまじと見つめる。
「私、もうすぐ高校生です。先輩方と、そんなに年離れていないと思うんですが」
「──“魍魎”ナメてんのか、クソガキ!女だからって容赦しねーぞコラァ!」
苛立ちと殺気を全開に、剛が立ち上がりかけた時。彼の眉間へ──小さいながらも硬く、そして迅い──彼女の〈拳〉が一閃、叩き落とされた。
不穏な音と共に彼女の髪が揺れ、微かに英二へ香った。間髪入れず、剛が膝から崩れ落ちてソファへ沈んでゆく。
眼前で起きた疾風のような出来事に言葉を失う英二を見遣り、マスターが大きな溜息を吐いた。
「幼い頃からご兄弟と一緒に、武道は一通り。今でも続けているんですね、夢子さん」
「わあ、さすがタツさん。覚えててくれて嬉しいです。私、あんまり変わりませんか?」
「お綺麗になられて。ワカも驚くでしょうね」
振り向いた彼女は照れ笑いを浮かべ、マスターの正面、カウンタースツールへ腰を落とす。
「何かお飲みになりますか」
「コーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
素知らぬ顔でコーヒーを淹れるマスターへ、英二が恐る恐るといった口調で「タツさん、」と声を掛ける。剛が荒い呼吸を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「その女……?」
「田中夢子さん。ワカの婚約者だ」
驚きと途惑い(と痛み)で二人が混乱する中、カウンターへコーヒーカップが置かれる。
二人の表情を見渡し、マスターが「構いませんか、夢子さん」と問うた。ソーサーからカップを両手で持ち上げた彼女がにこりと頷く。
自分と武丸の関係を他者が話すことが、嬉しくて堪らないとでも言うかのように。
彼女の父親と、武丸の父親は昔馴染みである。『女が生まれたら、おまえんとこに嫁にやる』夢子の父が言ったそれは、酒席での戯言の筈だった。
男系の田中家では、女児の誕生は端から期待されていなかった。彼には既に息子が数人居り、跡取も長男に決定していた。
ある年。一条家に武丸が誕生し、それから一年程遅れて田中家に女児が生まれた。末っ子長女の夢子である。
武丸と夢子の〈結婚〉が、俄かに現実味を帯びた。家と企業の〈将来〉にとって多分に利点が在ると、双方の父親は踏んだ。
夢子は武丸を実兄のように慕い、年齢の近い二人はいつも一緒に遊んでいた。
やがて都内の女子大付属小学校に通い始めた夢子は、エスカレーター式に大学へ進学する──筈、なのだが。
マスターがふつりと言葉を切る。気付けば店内は随分静かになっていた。抑えたボリュームで60年代のロックンロールが鳴り続けている。
「夢子さんが大学を卒業後、ご結婚の予定でしたね。付属高校ではなく聖蘭高校へ進学となると……担任の先生は心配されたでしょう」
「そうなんです、本当に横浜の私立聖蘭?って。ほかに有名な進学校いくつか合格して、それで許してもらいました。結局、実績が大事なんですねえ」
「何故、そこまで──」
「決まってるじゃないですか!」
どん、とカウンターが叩かれ、コーヒーカップと酒瓶が音を立てた。大声を出したことを恥じるように夢子が俯き「今日」と呟く。
「来ますか?」
「ええ。そろそろ来る頃だと思いますよ」
彼女の唇から安堵したような笑みが零れた。想い人を待つ乙女のような横顔を眺め、剛と英二が顔を見合わせる。
マスターの言葉通り、それから間も無くして武丸が姿を見せた。
「ワカ、いらっしゃい」
武丸は声を掛けてきたマスターからカウンターの珍客へ視線を放る。目が合ってほんの一瞬、驚いたように彼の眉が動いたのを夢子は見逃さなかった。
「ひさしぶり、たーくん」
彼女の口から嬉しそうに発せられたそれは、恐らく武丸を指すのだろう。可愛らしい呼称に、店に居た誰もが頬を緩めた。
武丸はそれには答えず、つかつかと奥のテーブルへ近付き──剛と英二を見下ろす。二人はその場に縫い付けられたように身体を動かせず、声一つ出せそうにない。
「ついてきたら殺すぞ……?」
低い声で放り投げられた武丸からの〈忠告〉に、二人は勢い良く頷く他なかった。
武丸は「来い」と夢子の手を取り、店から足早に出ていく。背後からワカ、武丸、と彼を呼ぶ声が幾つか上がったが、本人には聞こえていないようだ。
「──たーくん、」
「止めろ。あいつらにナメられんだろーが」
「…………ごめん」
ひどく落ち込んだ夢子の声を受け、階段を上る武丸の足が止まる。夢子の手を強く握り直した。
「二人ん時だけだ。いいな」
「うん。……ねえ、びっくりした?」
「決まってんだろ……急に来んじゃねーよ、こんな“トコ”によぅ」
再び階段を上りだした武丸が溜息混じりにぼやき、つい夢子の口元が緩む。
地階からの階段を上りきった夢子の目に飛び込んできたものは、一台の派手なバイク。ここに来る時にはなかった筈だ。武丸のものだろうか。
夢子が知っている二輪車とは、形がだいぶ違うものだと気付く。繋いでいた手を離し、バイク──GSX400FSインパルスのシートに跨った武丸が「乗れ」と顎をしゃくった。
「……たーくんのうしろ、乗ってもいいの」
「たりめーだ」
そう言ったものの、武丸自慢のエナメル三段シートを前に夢子はただ立ち尽くしている。
「どーした……乗れよ」
「だ、だって、バイク乗ったことない……どうやって……」
困り果てた顔で、夢子が武丸とシートを交互に見遣る。チッと舌を打ち地面へ降りた武丸が、夢子を両手でひょいと抱き上げシートへ座らせた。
されるがままだった夢子が発した、素っ頓狂な悲鳴めいたものが武丸の耳をつんざく。
通行人がぎょっとした顔でこちらへ視線を寄越すが──日章旗カラーのGSX400FSとその持ち主が〈誰〉か判った途端、何も見なかったことにしたいらしく目を逸らした。
「なななななんで急にさわんの!びっくりするでしょぉ!」
頬どころか顔を赤くし、夢子はぎゃんぎゃん抗議の声を上げている。
夢子の口を塞ぐべく、武丸が右手を押し当て顔を近付けた。武丸の掌に触れる、柔らかな唇と熱い頬。指先に、小さな耳朶を感じる。
がっちりと捕らえられた夢子は目を円くし、焦点を合わせづらい程近距離に居る武丸をじっと見つめている。
「俺がさわんのに“許可”いらねーだろ……?次からァ一人で乗れよ、手間かけさせんな」
こくりと頷いた夢子が何やらもごもごと口を動かしている。解放すると「ありがと、たーくん」と顔をほころばせた。
GSX400FSは渋滞中の車間を縫うように駆けていく。
「俺ァ、てめェの人生にオンナ背負うくれー何でもねェ」
武丸の言葉は、風に散らされて夢子へは届かなかっただろうか。ひとつ息を吐き、先程よりも大きな声を出す。
「飛ばすぞ、夢子」
返事の代わりに、夢子の両腕に力が込められた。隙間なく寄せられた身体を尚も近付け、離すまいとしがみ付いてくる。背中の熱い感触に、武丸の口角が吊り上がった。
周囲が一人残らず全員、俺の〈敵〉だとしても。この世でたった一人、傍におまえだけが居ればいい。おまえと居りゃ、俺は無敵だ。そうだろ、夢子。
「たーくん!バイクって、きもちーんだね!」
夢子の明るい声が背中を押す。茜色の空を掴まえるように、武丸は加速を弛めない。空気を切り裂く速度に、誰も追い付けない。
西へ沈みゆく夕陽に代わり、東には薄っすらと満月が浮かんでいた。
[100%無敵]END.
title.JUN SKY WALKER(S)
up date.2014/01/24