止ん事無き事情と愛情全部盛り


小春日和の午前10時、太陽光がさんさんと差し込むカフェテリアの隅。
「おはよー夢子。これあげる」
年末年始のシフトスケジュールに悩んでいるらしい、手帳を広げて唸る夢子の肩を友人が叩く。
眼前に差し出された名刺サイズの紙を受け取った夢子は、まじまじと文面を追った。
「ご紹介チケット……。ヘアサロンって、床屋さんのおしゃれバージョン?」
「……うん……まあ、そんな感じ。夢子、よくタダ券くれるでしょ。トッピング全部盛りとか、餃子とかの。そのお礼ってとこかな」
「あれ、山ほど押し付けられてるんだって。貰ってくれるだけで助かるんだから、気にしなくていいのに」
「まぁまぁ、いいからいいから。いつも近所の床屋なんでしょ?そこの美容師さん、みんな巧いから試しに一回行ってみなって」
「ん、ありがと。行ってみる」
購買へ行くと言う友人へ手を振った。だいぶ伸びてきた前髪を指先で弄りながら『ご紹介チケット』を眺める。
お店までそんなに遠くはないみたいだし、高額でもなさそうだ。そろそろ髪を切ろうと思っていた頃だから、タイミング的にはよかったのかも。
髪型や床屋さんに特別こだわりはないけど、たまには違うところで散髪するのも気分転換になるかもしれない。
あとで予約の電話を入れておかないと。チケットを手帳に挟んで、スケジュール調整を再開する。




予約時間の数分前。ガラス扉を開けると、きれいな女の人が二人揃って「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えてくれた。
「ご予約の田中様ですね、お待ちしておりました。お荷物お預かりしますね」
「お掛けいただいて、こちら太枠の中へご記入お願いします」
身ぐるみ剥がされて渡されたものは、バインダーに留められた顧客カルテとボールペン。ソファに腰掛けペンを滑らせる。
女性誌、デジモノ雑誌、漫画雑誌、インテリア雑誌、経済雑誌、絵本……ちらちら視線を送るマガジンラックはラインナップ豊富だ。

「お待たせいたしました」

男性の声が降ってきて顔を上げる。指名予約の入っていない時間帯だから、と店長さんが担当してくれることになった。
「秋山です。よろしくお願いします」
田中夢子です。あの、よろしく、おねがいします」
「こちらこそ。今日はカット、トリートメントということで……ああ、田中さんはお友達からの紹介でいらしたんですね」
傍らの丸椅子に腰を落とした彼が、記入済のカルテに目を通す。
「私がよくバイト先の無料券を渡してるので、そのお礼みたいなかんじだそうです」
「バイト、何してるんですか」
「ラーメン屋さんです。昇竜軒っていうお店で」
「へえ、じゃあ看板娘だ」
「いやそんな。えっと、こちら、美容師の皆さんお上手だと聞いて……」
「それは嬉しいな。ご期待に添えるよう、努力します」
秋山さんはニコニコと人当りの良さそうな笑顔をこちらへ向ける。
「こんなふうにしたいってイメージ、ありますか」
「ええと……バッサリ切るかんじじゃなくて……」
自分の中にある、ぼんやりしたイメージをもたもたと言葉にする。
こういう時のために女子は普段からファッション誌やヘアカタログ誌なんかで情報収集してるのか。こんなかんじで、って切り抜きとか見せちゃうのか。
きっと〈話す〉よりも間違いなく伝わるんだろうな。今の私みたいに、丸腰でへろへろ特攻するようなこともなくて。
散らかった希望を聞いてくれていた秋山さんはラックから取り出したヘアカタログをぱらぱらめくり、とあるページの写真を指差した。
「こういうイメージが近いかな」
「……あ、はい……」
「わかりました。これをベースに、田中さんに似合うスタイルにしていきますね」
なんか、察してもらってすいません。そんなことを思いながら「おねがいします」と頭を下げた。
「シャンプー台へどうぞ」
立ち上がった秋山さんの後ろについて歩いていく。背、高いひとだなあ。

それにしても。髪を洗ってもらうのって、なんでこんなに気持ちいいんだろう。
軽やかに躍る指先に、身体の力がふにゃふにゃ抜けていくみたい。秋山さんをひとりじめしてるみたいだな、なんて思ってしまう。
ちゃぷちゃぷ、さらさら、流れる水音を聞いていたら心地良くて。ごく短時間、寝てしまったらしい。店内に声が響いていることに気が付いた。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませぇ」
────お客さんだ。声、出さないと。元気だけが私の取り柄って、店長にも言われてるんだから。
「ぃらっしゃいませー!」
声を上げて勢い良く体を起こした途端。自分が美容室のシャンプー台に居ることに気付いた。
幸い、水が垂れてくることはなかったが──顔に掛けられていたガーゼみたいなものがひらひらと足元へ落ちていく。
店内の視線が全部、私に突き刺さっている。美容師さんも、お客さんも、今来たマダムも、まるで異質なものを見るようにじっと。……私、大ピンチです。

神様……仏様……ああもうこの際誰でもいいから、今すぐ私をここから消し去ってください……!

「らっしゃァせー!!」
体を震わせる程の大声が、頭上から降ってきて驚いた。頭上……ということは、あの穏和そうな店長・秋山さん、ですか?
店内に響き渡った声につられるように、あちこちで声が上がる。マダムは微笑いながらコートを脱いだ。
「今日はずいぶん元気がいいのね」
「お待たせいたしました。お荷物お預かりします」
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
店内は何事もなかったかのように、元通り。彼に促された夢子が背もたれへ身体を預ける。
「……すみません。助かりました」
「いえいえ。今度行きますよ、昇竜軒」
「ほんとですか、ありがとうございます」
ほっと安堵の溜息が零れる。

「ではお席へご案内します。足元お気をつけください」
スタイリングチェアに腰を落とすと身体が回転し、ふぁさりと白いカットクロスに包まれた。
「お首、苦しくないですか」
「だいじょぶです」
「ではブローしますね。熱かったらおっしゃってください」
てるてる坊主みたいな自分と向き合うのは苦手だな。鏡の前に積まれた女性向け雑誌へちらりと視線を送る。
業務用らしきドライヤーを操る手元をぼんやり見ていると「熱くないですか」と耳元で問われ、慌てて頷いた。
指先の動きに合わせて毛束が舞うのを観察すると、濡れていた髪があっという間に乾いていくのがわかる。
さすがプロ御用達、いつも使っているドライヤーよりずっと強力だ。
風音が止み、傍らのスツールに腰を落とした秋山さんが腰のあたりから銀色の鋏を取り出した。店内の照明を受けて光る、きれいな鋏。
「カットしていきます」
ふっと、声色が変わったように感じた。髪に触れる指と刃先を信じようと──信じられると確かに夢子は思う。


お疲れ様でした、とクロスが外された。カウンターへ促されて歩く自分は、一時間前とはちょっと別人。
ちゃんとしたとこで髪切るのって大変なんだな。気持ちよかったけど。
預けていたダウンジャケットを背後から着せてもらう……これ、普段されないからなんだか気恥ずかしい。
お会計を済ませ、お釣りと一緒に受け取ったのはメンバーズカード、紹介チケット、それから秋山さんの名刺。小ぶりの紙袋が一つ、カウンターに置かれた。
「こちら、ホームケア用トリートメントと、ご紹介特典のヘアケアセットです。使ってみてください」
「はい。あの、これ。良かったらどうぞ」
財布に入れていた、ありったけの無料券を差し出した。秋山さんは驚いたように「こんなに沢山、いいんですか」と尋ねた。
「ええと……貰ってやってください……」
「それじゃ、遠慮なくいただきます」
扉を開けてくれた秋山さんは最後まで笑顔だった。接客業の鑑、見習わなければ。
「ありがとうございました。またのご来店、お待ちしています」
「どうも、ありがとうございました」
「お気をつけて」
すっきりした頭、サラッサラの髪。店外へ出ると風が冷たく吹き付けた。駐輪場に停めていた〈愛車〉も、すっかり冷えているようだ。
バッグや紙袋は前カゴへ。颯爽とサドルをまたいだ夢子は、足取り軽くペダルを漕ぎだした。




「おつかれさまでーす」
3限終了後、夢子が駆け込んだのはバイト先の『昇竜軒』。平日昼のピークを過ぎたこの時間帯は、夕方まで客足もまばらだ。
出前と食器回収に行く副店長(店長の奥さん)と入れ替わるようにバックヤードでまかないを平らげ、手早く食器類を片付けていく。
歯磨きの後、ミントタブレットを噛み砕きながらエプロンの裾を払い、シャツの袖をぐいとまくる。さて、今日もがんばりますか。
気合を入れたところで、からからと引戸を開ける音が聞こえた。間髪入れずに大声を張り上げて振り返る。
「ィらっしゃ──せぇ!?」
来客が〈誰〉か分かった途端、語尾が半端に上がってしまった。厨房の奥から、店長が訝しげに出入口を見遣る。
(あ、秋山さん……!)
おしゃれ美容室の店長さんが、ラーメン屋に来てくれるなんて思ってもみなかった。
この間「店に行きます」って言ってくれたの、ただの社交辞令じゃなかったんだ。
「お……お好きな席へどうぞ」
ぎくしゃくと右手を挙げる。彼は軽く頭を下げ、奥のテーブル席へ着いた。
レモンを絞った炭酸水とか似合いそうだな、と思いながら、浄水器を通した水で満たされたグラスとおしぼりをテーブルへ置く。
「ご注文お決まりの頃お伺いします」
卓上メニューを眺めていた秋山さんが「すいません」と手を挙げた。注文票を手に早足で駆け寄った夢子を見つめ、微笑をくれる。
「醤油ラーメンを」
「はい、醤油ラーメンですね」
「これもお願いします」
差し出された一枚の紙片を受け取る際、指先が触れ合ったように感じた。
以前夢子が渡した『トッピング全部盛りサービス券』だ。『ご注文の際にお渡しください』と表記されている。
「はい。醤油ラーメン全部盛り、少々お待ちください」
厨房へ注文を通す。壁掛けテレビから流れる再放送ドラマをBGMに、店長が腕を振るい始めた。

「上がったぞ」
「はい!」
丼をトレイへ載せようとした夢子の手が止まる。
目の前で湯気を上げる、トッピングが全部入った醤油ラーメン。と、半チャーハンに餃子。ラーメン以外の注文は通していないはずだけど。
半信半疑で「店長」と声を上げると、じろりと目線が返ってきた。
「半チャンと大葉餃子、サービスだ。早く持ってけ、冷める」
あざす、と一礼した夢子が手早く配膳準備に取り掛かる。
「醤油ラーメン全部盛り、お待たせしました」
テーブルに並べられた丼と皿に、彼が目を見張った。
「これは……」
「半チャーハンと大葉餃子は、店長からです。よかったらどうぞ。この餃子、ニラもニンニクも入ってないので、お仕事前でも大丈夫だと思います」
ぺこりと頭を下げた夢子へ、彼も軽く会釈を返す。そして厨房へ「いただきます」とよく通る声を投げ掛けたところ、店長が「おう」と答えた。
ぎこちない足取りで戻ってきた夢子へ──小声のつもりだろうか、無駄にいい声で店長が問い掛けてくる。
「あいつ、食いっぷりいいな。彼氏か」
「ちッ、ちがいますよ全然ちがいますから!お客様の前でそういうのやめてください!」
思い切り手を振ってひそひそ声で否定すると、カウンターの角に肘がぶつかった。
声も出せずにうずくまる夢子へ「なにやってんだか」と呆れ声を放り、一仕事終えた店長はカウンター上の新聞をばさばさと広げる。

割箸や調味料など、各テーブルの補充はもう終わっている。
その他、話し掛けるタイミングとしてはお冷を注ぎに行く時だけど、テーブルにポット置いてあるから各自でご自由に、だし……。
食べてるところ見つめるのも失礼だろうし……近くでうろうろされても邪魔だろうし……。
結局、近付けない。悶悶とカウンターを拭いていると、かたん、と椅子の音。え、結構食べるの早いんですね。ちょっと意外です。
「お会計お願いします」
「──はい。伝票、お預かりします」
レジスター操作中、キャンディの入ったカゴを「よかったらどうぞ」と指した。ミントキャンディをひとつ、口内へ放り込む仕草を視界の端で捉える。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました……」
引戸が閉められた瞬間、厨房へ「すみません、休憩いただきます!」と怒鳴っていた。しっし、と店長が手を振る。

「秋山さん!」

吐息が白く立ち昇る。呼び掛けに振り向いた彼のもとへ駆け寄った。
「……あの、ほんとに来てくれると思ってなかったので、びっくりしました」
「約束しましたから。でも本当に、おいしかったです。常連になりたいくらいですよ」
「店長に伝えます。喜びますよ、きっと。顔怖いけど」
ふふ、と苦笑めいた吐息がふたつ零れる。
「おでこ、出すのも可愛いですね」
三角巾で引き上げた前髪の生え際、額へ温かな指先が触れる。愛しいものに触れるような彼の手つきはとても優しい。
自分を見上げたまま硬直している夢子に気付いた彼が「すみません」と小声で呟き、軽く頭を下げた。
「ま、またお越しください!」
にこりと笑みを浮かべ「ありがとう」と返してくれる。
今、この笑顔は私だけのもの。彼のなにもかも全部をひとりじめしたいなんて、無謀すぎる願い……だけど。

「今度は俺から、誘ってもいいかな。お酒は大丈夫?」
「──あ、いえ、まだ未成年なので……。早生まれなんです」
そっか、と呟いた秋山さんが、なにやらこちらへ差し出した。両手で受け取ったのは名刺。この前、お店でも貰ったのに?
「前の名刺はお店用だから、着付けやメイクの依頼はそちらへ。これはプライベートなんで、気が向いたら連絡ください」
「あの……なにかこう……用事とかがないと、連絡してはいけないですか」
恐る恐る訊いてみると、秋山さんは「全然」と笑った。
「世間話でも愚痴でも、暇つぶしにでも使ってくれていいよ」
「そ、そんな気軽な感じで……?」
「うん、気軽な感じで。俺、もっと夢子さんと話してみたいんだ」
落ち着きなく小刻みに揺れていた夢子の動きが止まる。ぐるぐるぐるぐる考えて、このまま会話が途切れてしまうのが怖くて。
「……私も、です」
精一杯の言葉は短く途切れた。なにか言わないと──俯き、唇を結ぶ。ああもういやだな、今ぜったい顔赤い。
「それじゃ、また。連絡待ってます」
「あ……ありがとうございました……」
間も無く、店舗裏手の駐車場から銀色の車が遠ざかっていく。信号待ちの間、運転席から手を振ってくれる彼へ慌てて会釈を返した。
信号を左折していく車体がすっかり見えなくなったところで、平静を装っていた心臓が騒ぎ始める。

俯きがちに店内へ戻ってきた夢子の顔が明らかに赤いのは、どうやら降雪間近な外気温のせいではなさそうだ。
「どうした。熱でも出たか」
「あ、いえ……あの、店長。私、ここでバイトしててよかった、って思いました」
「そいつはよかったな。これからも頼む」
「……はい」
名刺を入れたエプロンのポケットにそっと手をあてる。それだけで、こんなに前向きな気持ちになれるなんてふしぎ。
器を下げテーブルを拭いていると、店長が生活情報番組にチャンネルを変えた。お気に入りの女性パーソナリティが登場する曜日だ。
手が空いた夢子も『お出掛け情報』を見るともなしに眺めていると、引戸の開く音。
「いらっしゃいませ」
出入口へ、普段より二割増しの笑顔を向ける。ご近所の常連さんが、定位置のカウンター席へ腰を下ろした。
夢子ちゃん機嫌いいね。なんかいいことあった?」
「どうでしょー。ご注文は、いつものセットですか?」
「うん。よろしく」
「はい、少々お待ちください。先にビールお持ちしますね」
壁の時計をちらりと見遣る。そろそろ混み始める時間かな。
笑顔を教えてくれた秋山さんのことを見習いたいと思う。ひとついいことがあって、すこし、いいほうに進めた気がした。
「お先、ビールです」
瓶ビール、栓抜き、グラス。カウンターへ置いたところで厨房から「上がるぞ」と声が飛ぶ。
「はい!」
妙に張り切ってるけど、私こんなに単純だったかな。改めて向き合うとなんだかおかしい。抱えたトレイで緩む口元を隠した。
浮かれているせいか足取りは軽く、どこまでも行けるような気さえする。

「お待たせしました」
夢子がとびきりの笑顔を咲かせた。お客様のため、それから、自分自身のために。



[止ん事無き事情と愛情全部盛り]END.
theme.夢小説家に100+aのお題 no.070[独り占め]
up date.2014/01/01