お寺生まれの池田さん
心霊スポットだとか、都市伝説だとか。今まで、自分とは無関係だった。生まれてこの方〈霊感〉なんてものには縁がなかったし、いわくつきの場所には行ったことがない。まことしやかに語られる『怖い話』に興味がないわけじゃないけど、万が一にでも怖い目に遭ったらイヤだから。……だから、今目の前で盛り上がっている話題には、あまり乗り気じゃない。
「ここ、行ってみねえ?」
いつものファミレス、窓際のボックス席。向かい側に座っている男友達が雑誌を広げた。ゴシップが目立つ週刊誌の、特集記事のようだ。
『テッパン!最新!心霊スポット特集』
誌面を覗き込むのは、何をするでもなく集まる、いつもの顔なじみ。高校からの友人で、現在通っている大学はそれぞれバラバラだけど、なんとなく気が合うみたいで付き合いが続いていた。でも、グループの中で〈恋人〉として付き合ったり……っていうのは考えられない。みんな、同じように思っている。試験明けやバイト帰りはもちろん、長期休暇のような時間のあるときによく集まるのは、この四人が多い。今日も、前期試験が終わったばかりの息抜きがてら夕飯を食べに来ていた。
『K県○○山─沼底から聞こえる!女の泣き声─』
ページタイトルを読み上げながら、友人が苦笑を漏らす。
「うさんくせーな。お前こんなの信じてんのか?」
「ホントになんか出たらどうすんのよ」
「ガセだろ。こーいう心霊スポットの近所に住んでるジジイが、山菜とか採れる場所隠すためにウワサ流してるって聞いたことあるぜ」
「じゃあココ行ったって、夜のハイキングになっちゃうよね」
「それはそれで、おもしろそーじゃねえ?ここからなら一時間ちょっとで行けるよな」
「行くのはいいけど、暗くてなんにも見えねえだろ。ライト積んであったかな……」
どうやら行くことに決まったらしい。隣から女友達が肘を突く。
「ねえ、
夢子も行くよね?」
「うーん…………」
「行こうぜ、
夢子。おれらで確かめるんだよ」
向かい側から男友達が二人、冒険にでも出掛けるような輝いた瞳で
夢子を見つめる。多数決には従う方がいいだろう。
夢子も「行ってみようか」と頷いた。
「おれの車でいいよな。ほら、乗った乗った」
それぞれが車で来ていたが、一台のSUV車に同乗し現地へ向かう。車内ではノリの良い音楽を流し、決定的な写真が撮れたらネットに載せようと盛り上がっていた。
カーナビの音声が、目的地付近に到着したことを知らせた。降車した全員が、その場の雰囲気に飲まれたように押し黙る。
「なんか出ても不思議じゃないよな。期待できそーじゃん」
「やっぱり暗いね、外灯なんか全然ないし」
「ライト積んでた。ちょうど一人一個持てるぞ」
手渡されたのは新しめのLEDライト。点灯させてみると明るさは十分で、頼もしく感じる。人が一人通れる程度の道らしきものを見つけ、一列になって進むことにした。先頭と後尾は男性が引き受け、間に女性二人が入る。
夢子は前から二番目だ。手元のライトだけを頼りに、奥へと進んでいく。生温かい風。木々が揺れて擦れ合う音。湿度が高いようだ。額にじんわり汗が滲み始め、手の甲で軽く拭う。来る途中、虫よけスプレーでも買えばよかった。きっと何箇所かは蚊に刺されてる。
「絶対、虫に刺されてるよね」
背後を振り返り、同意を求めて女友達へ話し掛けた──つもりだった。そこに誰も居ないことに気付くまで、しばらく時間がかかった。何度瞬きを繰り返しても、自分以外に誰も居ない。周囲にはただ黒く深い闇が広がっているだけ。手元のライトが切り出す円い光は、ひどく頼りなげに揺れている。
「……こーいう冗談はシャレにならないから!ほんと、やめてよ!」
どこかに隠れているであろう友人達に向けて声を上げるも、返事はない。風にざわざわと揺れる木々の音だけが聴覚を支配する。自分が迷ったのか、友人達が迷ったのか。いずれにしても、探しに行かなければ。そう思い踏み出そうとした足が、動かないことに気付く。全身が硬直したように、まったく動かない。腕も、手も、指の一本さえも動かせない。ライトを持つ手はやけに冷たい。
急に、足が動く。動かせた、のではなく、動かされているのだと理解した。誰かに手を引かれるように、背中を押されるように。
夢子は〈どこか〉へ向かって歩いていく。その行動に自分の意思など、あってないようなものだった。首も肩も背中も、凝ったように重い。次第に頭部も痛み始めた。これまで感じたことのないひどい鈍痛に、眩暈と吐き気。それでも
夢子の足が歩みを止めることはない。
(体の自由がきかないって、どう考えてもヤバいですよね!私どうしたらいいんですか!誰か助けて!)
泣きそうに顔を歪めて鼻をすすった途端、聞き慣れない音楽が大音量で流れ始める。思わず身体が震え「わぁ」と情けない声が漏れた。その瞬間──今まで感じていた重みや痛み、いろんなものがふつりと消えたように思えた。まだ鳴り止まない音楽は、ポケットに突っ込んだ携帯電話から流れているみたいだけど……こんな着信メロディは設定した覚えがない。しかも音量が大きすぎる。今朝からずっとマナーモードにしていたはず。というより、電話通じるんだ。こんな山の中なのに。立ち尽くした
夢子が混乱気味に携帯電話を取り出すと、画面に表示されている発信者は意外な人物だった。
(あれ……スパイラルの池田さんだ。電話くれるなんて珍しいな、どうしたんだろ)
チームの走行会に何度か参加させてもらったことはあるが、メンバーとして所属しているわけではない。同じ車種に乗っていると知ってから、
夢子は勝手に親近感を持っている。友達といっては、馴れ馴れしいだろうか。
「もしもし、
田中です」
『
田中。お前、今どこにいる』
普段とは違う、緊迫したような声色だった。私は……なにか、やらかしてしまったのだろうか。叱られるのかな……?心当たりが掴めないまま、正直に返答する。
「……山の中、ですけど」
『すぐにそこを離れろ』
「はあ……でも池田さん、なんでそんな大声──」
『女の叫び声、聞こえないか』
蒸し暑い夜の山中、ぞわりと背中が粟立つ。池田さんには何が聞こえて、何が見えているのだろう。ゆっくりと後ずさり、身体の向きを僅かに変える。私はこれから、どうするべきか。
『いいか、振り返るな。今向いている方角へ真っ直ぐ進め。──行け!』
携帯電話とライトを握り締めたまま、脱兎の如く走り出した。池田さんの言うことだから、信じられた。繋がっていると感じた。生い茂る枝や葉が容赦なく身体に叩き付けられる。それでも速度は落とさなかった。自分の意思で
夢子は走る。
やがて友人の車が見え、今度は安堵で泣きそうになった。肩を上下させてぜえぜえと呼吸を整える
夢子を、三つのライトが照らす。
「
夢子!どこ行ってたのよ!あたしの前から急にいなくなって……」
「あーもう、泣くなって。しかしここ携帯繋がんねーから心配したぞ。とにかく無事でよかった」
「おれらの居場所、よく分かったな。お前とんでもない方向オンチじゃん」
「……ごめん、早く帰ろう」
皆に異論はないようだ。それぞれが不可解な体験をしたと思っているのだろう。これに懲りたらもう、心霊スポット突撃とかやめてくれるといいんだけど。携帯電話の画面には『圏外』と表示されている。着信履歴を見ると、池田さんからの電話は確かにあった。通話したことも事実だ。明日、池田さんちのお寺に行ってみよう。蚊に食われた腕を掻きながら、
夢子は後部座席で溜息を吐いた。
だだっ広い駐車場の隅に停めた車から降りた
夢子は、普段よりも深い呼吸を繰り返した。お寺や神社の空気って、なんだかよくわからないけど気持ち良く感じる……ような気がする。手ぶらで来てしまったけれど、なにか持ってきたほうがよかったかな。しかもアポなし。居るかどうかわからないけど、会えたらラッキー?やや後悔しながら階段を上り始めると、門の辺りでこちらへ手を上げる作務衣姿の池田さんを見つけた。慌てて会釈を返しながら、運動部のランニングみたいな速さで階段を駆け上がる。作務衣がすごく似合ってるなあ、と感心したことは黙っておこう。
縁側に促され腰を下ろすと、既にお茶が二人分用意されていた。まるで、この時間に
夢子が来ることを知っていたみたいに。
「先月の走行会以来か。元気そうだな、
田中」
「はい、池田さんも。……あの、昨日はありがとうございました。池田さんのおかげで助かりました」
「助けたのは俺じゃない。お前のご先祖様、ってやつだ」
茶を差出しながら彼が述べた、
夢子の〈ご先祖様〉の特徴は──特別変わったところのない、どこにでもいそうな〈おばあちゃん〉のものだった。
「うーん……ちょっとわからない、です。あとで、母にでも聞いてみます」
頷いた彼が一瞬、自分の背後へ視線を遣ったことに
夢子は気付いた。湯呑みを持つ手に、僅かに力が入る。
「最近、墓参り行ったか?」
「……いえ、全然ですね。前にいつ行ったかも覚えてないくらいで……」
「近いうちに行ってこい。きちんと礼を言うんだぞ。ところで、来月の予定は聞いているよな」
「ええ。メールで回ってきてますから」
走行会やミーティングのこと、メンバーのこと、車のこと、大学のこと。池田さんと話すのは楽しいし、勉強にもなるから好きだな。
「長居しちゃってすみません。ごちそうさまでした」
立ち上がると「頂きものだ。遠慮するな」とお菓子を沢山持たされた。どれもこれもやけに高級そうな、自分じゃ買わない(買えない)レベルのお菓子たち。遠慮なく受け取り、頭を下げる。小洒落たゼリーは日持ちするみたいだし、部室の冷蔵庫に入れておこうかな。夏休みの間も、きっとみんな集まるだろうから。
「気をつけてな。またいつでも来いよ」
彼の手が軽く背中へ触れた。はい、と頷きながら、優しい掌だと
夢子は思った。
夏期休暇中の学内掲示板は、いつもより閑散としている。対照的に、サークル・部活動用掲示板は合宿や大会の告知で溢れていた。キャンパス内を歩くと、ほとんど人影を見ないことに気付く。この時間帯は暑いから、エアコンが快適な図書館にでも居るのだろうか。部室棟へ近付くと、ギターやベースの散らかった音が聞こえ始めた。一階、軽音楽部の仕業だろう。開け放たれた窓から室内を覗き込むと、アンプを調整していた友人が
夢子を見つけて手招く。ライブが近いらしく、チケットを数枚無料でくれると言うが──近々帰省の予定があるからまたの機会に、と断った。軽い世間話の後お菓子をお裾分けして、目的階まで軽快に階段を上がっていく。
四階の端、〈史学部〉部室前。二度のノックには誰も答えない。ドアは施錠されているようだ。鞄からキーリングを取り出し、部室の鍵を選り分けてシリンダーへ挿す。数日は閉め切っていたらしく、ドアを開けた途端に熱気を肌で感じた。窓を開けると温い風が入ってくる。身体にほんの少し風を感じるだけで、暑さがずいぶんマシになる気がして息を吐く。冷蔵庫を開けると──未開封のペットボトル飲料が数本、それから各自専用の名前入り調味料。併せて冷凍庫内もチェックするが、期限切れのものは入っていないようだ。リサイクルショップで買ったコンパクト冷蔵庫には不釣り合いなゼリー達を取り出し、うやうやしく庫内の棚へ収める。コピー機横の裏紙を使い、書置きを残していくことにした。差し入れがあること。一人一個食べて良いこと。今日の日付と、自分の苗字。その辺に転がっていた養生テープで、冷蔵庫のドア前面に貼っておく。回転椅子へ腰を下ろすと携帯電話を取り出し、発信履歴から実家の番号を表示した。この時間なら、たぶん母が居るだろう。母の〈ケータイ〉はきっと鞄に入れっぱなしで、電源が入っているかどうかすら怪しい。実家の固定電話の方が確実に思えた。家族の携帯番号は電話機に登録済で、着信音の鳴り分け設定もカンペキ。誰からの電話か、実家ではすぐにわかるはずだ。
『もしもし。ひさしぶりね、
夢子』
お墓参りに行きたいんだけど。挨拶もせずに開口一番そう告げると、母は電話の向こうで驚いたようだった。
『帰ってくるの、お正月以来ねえ。でもどうしたの、急に。去年はお盆も帰らなかったじゃない、県内に居るのに』
「いや、まあ……たまにはね。でさ、ちょっと聞きたいんだけど」
池田さんから聞いていた〈ご先祖様〉の特徴を話した。結い上げられた白髪、眼鏡の形、着物の模様、扇子の色。
「親戚とか、どっかに心当たりないかなと思って」
『たぶん、ひいばあちゃんだね』
「ひーばーちゃん?」
『私のひいばあちゃんだから、
夢子のひいひいばあちゃんよ。写真で見たことあったかねえ。私が小さい頃に亡くなったから……』
「どんな人だったか、知ってる?」
『聞いた話では、少し変わった人だったみたいだけど。災害を予知したり、行方不明の人を見つけたことがあった、って』
「へー……。帰ったときに詳しく聞かせてよ」
『それなら、ばあちゃんに聞いた方がいいね。一緒に行こうか、きっと喜ぶよ。運転には気をつけて、早く帰っておいで』
通話を終了し、ひとつ息を吐く。池田さんにはちゃんと〈見えて〉いたんだ。お寺生まれってすごい。
夢子は純粋にそう思った。
ふと──誰かの気配を感じたような気がして、背後をそっと振り返る。当たり前だけど、誰も居ない。へんなの、と息を吐きつつ椅子を回す。感じたそれは、いやなものじゃなかった。もし、その存在が自分を見守ってくれているのだとしたら。
夢子は鞄を手に立ち上がり、ホワイトボードへ個人予定を書き込む。
〈
田中:しばらく実家へ帰らせていただきます。〉
黒色マーカーを置いて窓を閉め、ついでに各所の施錠を一通り確認してからブラインドを下ろした。練習を続ける軽音楽部からの騒音をBGM代わりに部室棟を後にし、灼熱のアスファルトから青色の夏空を仰ぐ。Tシャツの襟元を幾度か引っ張り「あちぃねえ」とぼやきながら、学生用駐車場へと歩いていく
夢子が池田姓になるのは──まだ、先のこと。
[お寺生まれの池田さん]END.
title.寺生まれのTさん
theme.
夢小説家に100+aのお題 no.061[着信メロディ]
up date.2013/05/18